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パラグライダーで墜落。そして入院。その20 ~悲しいお知らせ~

墜落してから1ヶ月と10日ほど経った頃のお話です。

前回、左足が1/3荷重になった次の日に今後の人生計画に大きな影響のあることを知ることになりました。。。。


<知ることになった経緯>

実は石川の病院に入院していた頃、担当医の方がA4用紙に自分の怪我についての情報をまとめた紙をくれていました。
そこには
・怪我の名前と、どういう怪我なのかの解説
・どういう手術をしたかの解説
・今後の治療の計画
・「こういう後遺症が出る可能性があります」といった解説
・「こういう動きはあまりしないで」といった解説
といった情報がとてもわかりやすくまとめられていました。

まとめられた情報のお陰で自分の怪我の詳細、今後の治療計画、治療にあたって気をつけることなどをしっかり把握することができました。患者自身が自分の病気や怪我のこと、その治療と注意点などをしっかり把握することがとても大切だとこの時に痛感しました。
(ちゃんと把握していたことで、入院中に未然に事故を防ぐことができたりしたこともありました。その話は別の投稿でまとめようと思います。)

「ちゃんと自分の怪我と治療を把握しよう。」それは転院した先でも変わりません。なので、転院先の病院ですべての手術が終わった時に担当医にお願いをしました。そういった情報をまとめた紙をください、と。

<衝撃的な内容・・・>

お願いをしてから1週間ちょっと経ったこの頃に、そのまとまった紙をいただけました。お忙しい中で書いてくれたことにはとても感謝しています。

そこには衝撃的なことが書かれていました。

・腰の本手術で腰椎5つが金属の棒とスクリューで固定されている。
・1年~2年後に5つの固定を3つに減らす、追加手術が予定している。
・その追加手術をした後でやっと普通強度の運動が可能になる。

まだ手術をしなければいけないことはこの解説の紙を読んで初めて知ったんです。

それまでは「半年ほどで社会復帰が可能です」という説明しかうけていませんでした。なので、半年ほどでそこそこ体は戻り、そのあたりから簡単な撮影の仕事を再開して、1年後くらいには東京に戻ってまたフリーランスフォトグラファーとして仕事をしながらパラグライダーで飛ぶ、前の生活に戻れたらいいな。なんて漠然と考えていました。

しかしその後、改めて確認をしたのですが、言われていた「社会復帰」というのは体をあまり使わないオフィスワークを想定されたものでした。パラグライダーはスポーツとしては体をハードに使わない方ではありますが、瞬間的に全速力で走ったりすることもあうので、普通強度の運動は必須です。
そしてフォトグラファーというのも実は結構体を使う仕事です。撮影内容によってはかなり歩くだけでなく、重いものを持ったり運んだりと、ハードです。先輩のフォトグラファーは「撮影はスポーツだ!」というのが口癖の人もいるくらいです。

<内容を知って。。。>

パラグライダーだけでなく、フォトグラファーの仕事も完全に復帰できるのは腰の手術を終えてからの話。
つまり、追加手術後に仕事や生活が落ち着く時間を多めに見積もると、完全復帰できるのは1年半~2年半後になるということが、この時に判明したのでした。。。

半年~1年で復帰するつもりだったのが、最短で1年半。。。。もっとかかる可能性も。。。この差はかなり大きいです。

頑張ってリハビリして、体を戻して、なるべく早く東京に戻ろう。と思っていました。

しかし現実は、腰の追加手術をして、落ち着くまでは実家で暮らしていく以外の選択肢はちょっと考えられない。。。それまでは実家の愛知で生計をたてていかなければならない。。。かなり今後の計画を修正していかなければ行かないことが判明しました。

「死にかけた代償はやはり軽くはないなぁ。。。。」

そう思い、すごく落ち込みました。
どうやら、色々と変化が必要な時なんだな、と思いました。
写真やパラグライダーとの関わり方、人生そのものもちょっと模索していかなければ行けないなと。

新たな道を探す旅が始まりそうです。
いい道が見つかるといいな。



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前島聡夫/空飛ぶ写真家
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