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走るわたしの記憶
中学生の時、わたしは毎朝、稲佐山の山頂まで走っていた。
学校がある日も早くに起きて走って、それから徒歩30分かけて学校へ行っていた。山の中腹の住宅街に住んでいたので、稲佐山の山頂まではゆるやかな坂道をとにかく淡々と走る。当時はスマートウォッチはないし、距離もどのぐらいあるかはわからない。とりあえずストップウォッチ機能のあるスポーツ用の時計(といっても最低限の機能しかついてなかった)をつけて、いつも同じペースで走る。
15年前の私が何を考えて毎朝走っていたのかはわからない。
ただ、動機は鮮明に覚えている。
1つ下の後輩に1000m走で負けた。
わたしの通っていた中学校は、毎年スポーツテストで行われる1000m走の結果が下駄箱の掲示板に張り出されていた。順位は全学年の総合順位で、確か20位まで載っていたように思う。
陸上部だったわたしは、走るのが好きだし、負けることはないとどこかで思っていた。思えばかなりの自信家だし、この頃の自分はいまよりも自分の意志を持っていた。(最近はそのころの自分を少しうらやましいと思う)
スポーツテストは学年別だし、2年生女子で1番だったわたしは、学校でも1番だろうと思って、自信たっぷりに順位表を見たら2位だった。
しかも、3年生に負けたのではない。1年生に負けたのだ。
今思えば、本当に傲慢というか、「あなたの自信はどこから…?」「わたしの自信はわたしから!」とでも言いだしそうだし、少年漫画の主人公の友だちで「ま、俺は絶対一番だけどな」と豪語していたけど、実は主人公が1番で、自分は負けポジションからスタートの登場人物さながらだ。とにかく負けん気が強かったわたしはその日悔しさでひとりひっそりと学校のトイレで泣いた。
実はこのスポーツテスト、期間限定で集められる駅伝部の選考も兼ねていて、わたしは晴れて駅伝部のメンバーになったのだが、1位の1年生も当然いる。絶対に負けたくないわたしは、どんなにつらくても練習を休まず、走り始めた。
それから受験まで毎朝走っていた。途中からは悔しさではなく、ルーティーンになっていた。今からでは想像できないが朝6時ぐらいに起きて着替えて走って帰ってシャワーを浴びて学校に行く。朝8時に布団から飛び起きてメイクもそこそこに8時半に家を飛び出す今の私からは想像できないほどの、ちゃんとした朝を過ごしていた。
当時読んでいたあさのあつこの『バッテリー』に感化されていたのもあるような気がして恥ずかしいが、主人公の巧が毎日走っているのを読んで継続できたんだと思う。
高校は受験に失敗して滑り止めの私立高校へ。部活禁止のクラスに入ってしまい、勉強漬けもあって運動があまりできなくなった。
あの頃の私は何を思って毎朝走っていたのだろうか。暑い日のことより、寒い日のほうがよく覚えているのも不思議だ。ジャージを着て、耳を凍らせるかのような冷たい風に手先も赤くかじかみ、それでも屈伸をして走り始める。吐く息は白くて、最初の信号が青にかわるまでじっと見つめる。次第に身体が熱くなりジャージが邪魔になって着てきたことを後悔しながら、山頂の自販機にある温かい飲み物をのんで一息ついて、また走って下りる。
家に帰れば、妹たちが3人、朝からぴりついてる母、黙って珈琲を飲んでいる父。学校にいけば、授業があって、行事になると女子のいざこざに巻き込まれないよう、中立を保つも「どっちの味方なの」とつめられて困り果てる日々(男子から「お前も大変だよな」と言われて「敵味方とかないじゃん…」などと天を仰いでいた)
そんな多くのものに関わらざるをえない中学生のわたしには、毎朝走ることが大切なひとりの時間だったのかもしれない。
トットットット…一定のリズムを刻む自分の足音は覚えている。
もしかしたら、なにも思うことなく無心になって走ることで自分を整えていたのかもしれない、
早朝に刻む足音、毎日走っていることを誰にも言わず自分だけの秘密にしていたあの時を思い出すと、少し胸がきゅっとなる。
いまからでも、また頑張れるかしら。