社会的処方の負の側面を考えるシリーズ
1月7日でございます。 今日は夜に撮っております。 現在22時前です。
今日は比較的ね暖かかったですよね。 夜は寒いけど。 例年よりは暖かい気がするんですけど、どうなんだろう。 体調崩してる人もやっぱり多いよね。 こんなに気温差があると。みなさん体調には気をつけていただきたいなと思いますが、お前が気をつけろよって感じですよね笑。
今日は朝から仕事で、午前中は介護予防教室の講師の仕事がありました。府中市にある3つの地域包括支援センターの委託を受けていて、今日は地域包括支援センターおしたてからの依頼の教室でした。
今、府中市ではフレイル予防講座を各地区でやっているんですけど、その講師です。今担当させていただいている包括支援センターはもう7年くらい担当させてもらっているんじゃないかな。 おかげで包括の職員とも仲良くさせてもらっていますし、各地区で参加してくださる方たちともまちで会うと挨拶させてもらったり立ち話をするような関係になりました。本当ありがたいです。
午後は会社で打ち合わせがあったり、夕方はフラスタの店番を1時間半くらいしていました。夜はブルーブラックマガジンさんで担当している連載の原稿がまだ完成していないので、近くのカフェで書いていました。僕は書き始めがなかなか大変で、最初書いてしまえばバーって書けるんですが、そこまでが書けないんですよ…。でもね、そんな時間も楽しめるようになりました笑。
で、原稿書くのに情報収集をしていたんですが、そこで 面白い記事を見つけちゃったんです。
磯野真帆さんと社会的処方
人類学者の磯野真帆さんという、僕の好きなというか、僕なんかが好きなんて言うのも失礼ですね。追っかけてる方がいるんです。著書もたくさんあって、実はCancerXのイベントにも過去に1度登壇いただいているんですよ。
どんな記事を見つけたかというとこれです。
2022年4月のBuzzFeedの記事です。社会的処方を批判的な視点で見ていると言う記事を発見。これは、2021年に磯野さんが「医療人類学から考えるコロナ禍下の生と死」というテーマで取材を受けた記事が、社会的処方を批判的な視点で語っているところがあり、この記事がきっかけで実現した対談のようです。
磯野さんと社会的処方の先駆者である西智弘さん(以下、にっしー)の対談の記事で入り口からすごく面白い。にっしーは一般社団法人プラスケアの代表であり、緩和ケア医でもあって、僕が共同代表理事を務めるCancerXでは立ち上げ時期の頃に一緒に活動させてもらっていました。
この記事の冒頭を抜粋しますね。
この引用は2001年に磯野さんが取材を受けた中のものなんですが、このコメントに対して西さんどうですか?というところから記事ははじまります。
この視点すごく大事なんですよ。僕も以前noteに書いているのでリンク貼っておきますね。
社会的処方に対しては批判的な目で見るという空気も必要なのではないかと、いまでも思っています。にっしーは、先駆者という立場であって、1つ1つの言動に意味を持たせながら活動をしているので違和感はなくて、あと同じように社会的処方の文脈で活動している兵庫県豊岡市でだいかい文庫というシェア型図書館を開いている守本陽一さん(以下、もりもん)もにっしーと共著で本を出していたり、素敵な活動をしていて、彼にも違和感はないのですが、「社会的処方」という言葉はいまだにしっくりこないところがあって。にっしーやもりもんがやっていることは果たして処方なのかというところなんですよね。
これは良い意味で言っているんだけど、処方というと医師と患者というパターナリスティックな関係を思い浮かべてしまうので、彼らのやっていることはそうではなくて、対等な立場で関わっているから「処方」という言葉に違和感がある。すごく。ただ、「社会的処方」という言葉を使うことでわかりやすさはあるよね。
医師による社会的処方の役割
僕はこの「社会的処方」という言葉はすでにプラスティックワードになっていて、前にも話したような「つながり」と一緒で、耳触りの良い言葉で、深い意味を持たないでもそれっぽくやれちゃって、表面的な言葉として社会に流通していっていることに違和感がある。
しかも、以前はこの「社会的処方」が診療報酬として点数がつくという話があったんです。どうやら今はこの話は鎮火しつつあるみたいですが。僕はここについてはかなりリスクがあると思っていました。
例えば、クリニックとか病院で診療をしているようなその街のことを全く知らない医師が、私は「社会的処方」をしますと言い、薬以外に地域のサークル活動を紹介したり、商店を紹介したり、個人を紹介したりとかして「私はつなぎ役です」みたいなのっておかしいですよね。
にっしーやもりもんのように、診療時間以外はまちに出て、まちの人たちとさまざまな形で関わりを持っていますという医師ではない人が、私は良いことをしているみたいな顔で「社会的処方」をするのはどうなのかなーって疑問はあります。実際にそういうことをしている医師が増えている気がするんです。
使い勝手のいい言葉だし、キャッチーだし、業界でも「社会的処方」って雑誌などのメディアで出ると、見る人は増えるわけですよ。 それを見て、自分にも出来ると思いはじめる人が増えていっている。
がっつりまちに出てそこで暮らす人と関わりながら、まちの情報を得て、それを診療の時に活かして「社会的処方」するという形だったら良いと思うんですよね。
また今度読んだ感想を話していきたいと思いますが、皆さんもぜひ読んでいただいて感想を教えて欲しいですね。
繰り返しますが、「社会的処方」を否定しているわけではないんです。批判的な目で見るような空気がないと、何しても良いみたいな感じになってしまうのが嫌で。診療報酬の実現性がなくなったということが救いですが、実際どうなんだろう。
磯野さんのこういう視点が好きなんですよね。こういう視点で問いを投げかける姿勢は見習いたいなーと思い、著書も読ませてもらっていますしSNSもチェックしています。
みなさん、「社会的処方」どのように見ていますかー?
ということで今日はこの辺にしておきます。 ではまた。