私が愛せない青松輝の短歌
青松輝さんを初めて知ったのは、ベテランち名義でされているYouTubeからでした。今でも全動画(サブ・生配信含む)を見ているくらい好きで、考え方含め様々なところで影響を受けています。
短歌を始めたきっかけも彼の影響です。2年ほど前にサブチャンネルに投稿された『自分の短歌の本を朗読します』という動画を見て、今まで自分が知らなかった世界で興味が湧き、少しずつ自分でつくってみたりいくつか歌集を買うようになりました。そこから短歌の奥深さと面白さにどんどんのめり込むようになり、歌集や同人誌を買い漁ったり、ネットから情報を得たり、とにかく短歌に触れるようになりました。この2年で少しずつですが短歌がわかってきたような気がします。
短歌を知れてほんとうに良かったと思います。今回はこれから青松輝の短歌について、何かを書いていこうと思います。ほとんど誰にも見てもらえないかと思いますが、もし彼の作品を知らない人に知ってもらえたり、私と同じように好きな人となにか接点が生まれれば嬉しいなって思います。
私は評どころか長い文章すらろくに書いたことのない人間なので、つたないものになるかと思います。お見苦しかったらすみません。また、取り上げる作品の順番に意図はないです。書きたいものから書いていこうと思うので、作られた時期はバラバラになるかと思います。ご了承ください。
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この歌は本のなかで一番初めにでてくる短歌です。YouTubeの朗読でも読まれていた歌なので、おそらく私が初めて知った短歌ということになります。
そのためか、青松輝の短歌のイメージとしてまず浮かぶのがこの歌です。私が思うに青松さんの短歌は『キラキラと彩色されているがその奥に静かな暗さがある』という感じです。
この歌でいうと、夜明けのコインランドリーが光に充ちているという光景は明るいイメージですが、占いをチェックするという行為に、先の未来に対しての不安や、観念的なものにすがることの暗さを含んでいます。夜明け前のコインランドリーって人が全くいなくて、放つ光も無機質な感じがしそう。そんな中で占いを見るのも少し怖さがありますね。
このように考えると暗いようにも見えると思いますが、パッと読んだ時にはこれからいいことがありそうな、明るい歌だと思うんです。読んでてストレスを感じもしないし。このように不穏さと希望が混ざっていて、明るさの裏で暗さが見え隠れするといった感じが私が思う青松さんの短歌のイメージです。
私にとって青松さんの短歌とイメージが近いなと思っているのが佐藤りえさんで、調べてみたら青松さんのTwitterにも、影響を受けているという投稿がされていました。
ぬばたま第六号の「歌って−ください」という彼の随想でも佐藤さんの短歌について言及しています。すごい文章なのでぜひ読んでみてください。
この短歌を読んでいると思い出す歌です。3人の短歌のイメージは、
青松さんは「キラキラによって暗い部分が隠れている」感じ
佐藤さんは「暗い部分があるけど気にしてない」感じ。
永井さんは「暗い部分を開き直った」感じ。
かな(変なこと言ってたらごめんなさい)。
この歌なんかも青松さんの短歌の特徴がよく出ていると思います。
ラズベリーとブラックベリー、その形を連想させるナカグロの多用で一首が飾り付けられ、一見華やかに見えるけど、「寂しくないよ」があなたがいなくなるだけで一瞬にしてひっくり返ってしまうという、不安定な状態にあることが隠れています。
一首がラズベリーからブラックベリーに進んでいくので、赤→黒のように色のイメージは流れます。私はこの短歌では赤は血や火、黒では闇や静けさが連想されました。
「あなたさえいれば」の熱意や必死さから、不安を含んだ暗い「寂しくないよ」へと感情が動いていくように読みました。
横書きの、この短歌を全体的に眺めた時に、中央の「嘘」が強く浮かんでくるような気もします。
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私はこの歌を鈴木えてさんのブログで知りました。
青松輝の短歌は分からないのでしょうか。
たくさん短歌を読んできましたが、その中でもたしかに青松さんの短歌は難しいと思います。先程も述べたとおり私が短歌を知ったのは青松さんからだったので、知りたての頃はどうにかしてよさを理解したいというふうに必死でした。
普段詩に触れていない人はどうやって読んでいいのかがわからなくて、意味が分からなくて、しんどいだろうと思います。
私が色んな評や短歌を読んできて思ったのは分からないほうがいいということです。短歌をたくさん読んでると、経験値的に、これはどういう狙いでどういうことを読者に思ってもらいたくてつくっているんだろうなっていうのがわかるようになってきます。
自分にとってそうして透けて見える短歌は、作者の自意識を感じて気持ち悪くなってしまいます。そういう意味で分からない方がいいのです。「分からないけどいいということだけは分かる」という短歌が私は一番いいなと思います。けどこれってつくり手としては相当難しくて、青松さんはそこに挑戦されているんだと思います。
抹茶塩の歌はどれだけ考えても抱きあったことと抹茶塩の関連が見えてこないですが、その色や質感のイメージは湧いてきます。
突飛な抹茶塩が、いつまでも忘れないよと抱き合っている様子を想像していたのを嘲笑うかのようにも思えるし、
抹茶塩が手からこぼれるイメージから、本当は忘れてしまうことがわかっていながら抱き合っている2人というようにもみえてきます。
このように色んなイメージが湧いてくるのが、「わからないけどいい」の例のうちの1つではないでしょうか。
前にベテランちさんがなんかの動画で「料亭の味理論」みたいなことを言ってました。料亭のスープが色んな味がしておいしいように、なんでも色んな要素がある方がいいっていう。まさにそうだなと思います。
二首目のラティオスの歌は、「静かに」から「ゆっくり」というイメージを連想して、大きくて重量感があってつやつやした質感が浮かんできます。そこから過度に装飾しないで「青く光った」と散文的になっていることで、逆に神々しさが放たれているなと思います。夜の静かさ暗さとラティオスの神々しさの対比がいいですね。
以前青松さんと初谷むいさんのトークイベント「短歌という魔法」で、短歌の作り方について話されていたんですが、お二人とも全然違っていて面白かったです。
初谷さんは降ってくるように31文字一気にスラスラでてくるそうで、それに対して青松さんは使いたい言葉や文章をためておいて、合うものを組み合わせて使うというようなことを話されていました。言葉と言葉の質感・イメージの掛け合いに重点が置かれているように思えるのはそうした作り方によるものでもあるんだろうなと思います
この歌なんかも「なんか未来」「レスキュー忘れてしまいそう」「花吹雪のよう錠剤舞って」のような文章を組み立てて作られたんだろうなと思います。
もしかしたら「なんか未来」と「なんか忘れてしまいそう」をあわせたのかも。
「なんか未来」って変なことは言っていないようにみえて、普通に生きてたら絶対使わない言葉で面白いですよね。口ずさみたくなるし。
それにしてもすごいですねこの歌。詰め込んでいるのにそれぞれの関係に無理がなく、ストレスなしに読めて、最後錠剤が舞うイメージがスローモーションでふっと浮かんでくる感じ。
「レスキュー」も音で一首を引き締めていて、そこから加速していく感じが魅力的ですね。
この歌はパッと一気に完成するタイプではないからこそのよさが詰まっていると思います。
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青松さんは現状を否定して、詩を書いて、言葉を使って、生きて、その時に生まれる暴力性について常に考えられているんだろうなと思います。
それはのど笛の永井祐評から、
エッセー「詩の到来、その素描」から、
手紙『sincerely』から、
「ふたたび戦うための7章」から、
そして彼の短歌からそう思います。
『sincerely』には愛について書かれていました。
選び直せてしまうからいつまでも現在を否定してしまう。
何かの配信でベテランちさんが「愛」を「祈り・誓い・許し」の3つの観点で考えていると言っていました。
この3観点がずっと気になっていて、自分なりに考えてみたのですが、それぞれ「未来・現在・過去」に対応し、
「未来を祈り、そのために今誓い、その結果これから起こること全てを許す」。こんなことを言っているんじゃないかなと思いました。
だけど全てを許して、選び直さないことなんてできるんでしょうか。
私は詩の歴史について知らないので難しかったのですが、ふたたび戦うための7章では
というように書かれていました。
言葉が、自分が世界に対して遅れているから、私が私でしかないから、人が生きる以上、全てを許すことのできる「愛」はないということなんですね。
けれど否定性の波のなかで肯定性を獲得するためのプロセス、つまり「祈り・誓い」は続けないといけない。世界は1つしかなく、逃げる先などどこにもないから。
私には詩がなんだかよくわかりません。
2年間短歌を読んだりつくったりしてきましたが、それが私にとってなんなのか、他者にとってなんなのか本当は少しもわかっていないんだろうと思います。
青松さんが「短歌という魔法」で「どうして短歌をつくってるんですか?」というような質問に
「短歌を書いているとき以外は全て嘘のように思えてしまう。今こうやって話していることも実は嘘なんじゃないかと思う」
というような回答をされていました。
私はなにをしていても嘘のように思えてしまいます。生きているという実感が全然なくて、今この文章を書いているのも変な感覚です。それは戦っていないからですね。
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生きていることってよくわからないし、自分が自分でしかなくて、他の人が自分ではないということを不思議に思います。
周りの人が本当に生きているのかもわからなくて、でも、みんなそう思って生きているんだろうなとも思います。
この短歌はそういうことを言っているような気がする。
この歌が好きです。けど愛せはしない。
いつも戦っていてありがとう。
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変な文章になっちゃってすみません。ここで終わりたいと思います。もし見てくれた方がいらっしゃったらありがとうございます。
私も最後に一首残そうと思います。