旧ブログからの転載です。
<ゼークト(Hans von Seeckt 1866-1936)>-------------
第一次大戦で、ヒンデンブルグの後を継いで旧軍最後の参謀総長となり、1920年から1926年まで国防軍統帥部長官を務めた。
ヴェルサイユ条約の下でドイツ軍の再建に当たり、これに成功。
治安維持のために存続を認められた警察軍10万人について、将来の再軍備に備えて特別に優秀な将校を集め、また下士官・兵にも幹部教育を施すことによって全体の質を高めておき、いざ再軍備となった際には、たちまちにして精強な国防軍を復活させた。
また、国際監視の目を逃れるため、ロシアの領域内で戦車や飛行機などの新しい武器の研究をしていた。(ロシア軍に招かれて、その指導に当たったため、赤軍の組織がドイツ式になった。)
クラウゼヴィッツ=モルトケ型の教養の高い軍人。「モルトケ」、「一軍人の思想」等の著書がある。
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著書「モルトケ」には、この偉大なプロイセン参謀本部の先達を引用して、"行為の極致としての戦争"に触れた箇所があります。
他方、次のような一文もあります。
小林秀雄は、これを一種の名文と評して引用しています。
そこから、ゼークトが精兵主義に進んだことに注目するわけですが、何よりまず、ゼークトの曇りのない透明な視線に心を動かされている。
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この時期の小林の、このテーマの文章について、どのような制約の下で、どのような秘めた意図があったのかも興味深い問題です。
素直に読めば、ゼークトの著書に「一人の徹底した実行家の明確で不変な像」が立ち現れるのを見、「自分の職分について徹底した認識を持った人間の力」に思いをいたす、というものです。そして、返す刀で、官僚主義やスローガン、ジャーナリズム文化人を斬る。
大岡昇平は、ゼークトを「典型的な軍人」と見る立場は、当時の日本軍部の官僚化・無力化、情報局とそのロビーの言動への危惧を反映したもの、と述べています。また、「ゼークトは「事変」前、中国にあって蒋介石の軍隊を組織した軍事顧問であり、それを賞賛することも、情報局ロビーの気に入らない情勢になっていた。」(新潮社「小林秀雄全集」第7巻解説)
(実際、大木毅氏の『戦史の余白』(作品社)には、ゼークトについて、在華軍事顧問団長として「親中路線べったりになっていた」との記述が見られます。)
柄谷行人は、小林秀雄が作った『文學界』は、左翼が壊滅した後に、自由主義をベースに知識人の抵抗の拠点を目指していた、と述べています。
ただ、ここでの「自由」は、現実的な自由主義がまったくないところでそれを創造的に実現するもので、「美学」的なものでしかありえなかった、となるわけですが・・・・・・・・
現代において、ゼークトの見解をそのまま受け入れることにはもちろん無理があるでしょう。
ただ、この時代の優れた軍人の一人から提示される、戦争と人間精神の矛盾、人間の尊厳と暴力の相克は、深刻で生々しいものに感ぜられます。