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東京のど真ん中で一生賃貸&多拠点生活派だった私が、10日で郊外に家を買い、移住を決めたわけ。 #1

2021年9月30日。

いつの間にか夏が過ぎ、秋が訪れ、気づけば1年の終わりがすぐそこに。

先日36歳の誕生日を迎えて、今日は必ずnoteを書こうと決めていたので、最近の「わたし」について改めて書いていきたいと思う。

この夏、私たち夫婦は家を買った。(想定外)

人生の節目は勝手に訪れるんじゃなく、「自分で節目にするもの」だと思っている。

34歳になった日、父の余命宣告を受けて生き方を変えた。
35歳になった日、CRAZYから独立して働き方と在り方を変えた。
36歳になった日、移住して暮らし方を変えている。

結婚7年目を迎えた今年の夏、海の近くに中古一軒家を買った。

私は、都内で賃貸派。絶対的アクセス重視。大学卒業後に上京して、錦糸町からはじまり、六本木、赤坂、恵比寿、代官山、渋谷。オフィスがどこになっても、便利で刺激的な東京のど真ん中を選んで生きてきた10年だった。

物件の広さや綺麗さよりも立地。私にとってはそのエリアに住んでて気分が上がるかが最重要で、家賃を抑えるために、ユニットバスの物件や築年数がかなり古いハイツを選んで住んでいた。(都心のタワマン住んでそう〜とかよく言われるけど、タワマンなんぞ住んだことは1度もない。むしろ4階建て以上に住んだことない人生。)

そもそも「家」へのこだわりや執着はあまりなくて、独身時代は「寝に帰る場所」だった。家よりも服や経験にお金を使いたいタチでもある。さらには実家もマンションで、一軒家に住んだことすらない私が、この度、家探し始めて10日であっさり移住とライフシフトを決めた。

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この意思決定スピードは、「こう生きたい」「こうありたい」が明確だからなのだとつくづく思う。

昨年ニュージーランドで人生観が変わった私は、叶うならば今年からニュージーランドと二拠点生活をしたいと考えていた。さらには向こうで妊娠出産、子育てがしたい、と思うようになったのだ。(そもそも出産や子育てにもあまり興味がなかった私が。)

でもコロナの収束は当面見えず、海外との自由な行き来がすぐには難しい状況。これは思い切ってライフプランを変更した方がいいかなと考え始めたのが5月。

実はその頃、本の出版をきっかけにたくさんのエールや嬉しいメッセージを頂いたけど、同時に心ないDMが届くこともあった。「そんなの気にしなくていいよ」って言ってくれる人も多かったけど、元来小心者で気にしぃの私は、「たったそれだけのこと」が人生の全てみたいに思えて、しばらくSNSが怖くて遠ざかっていた。要は、弱っていたのだ。

6月には、半年続けた妊活の一つの節目に、1年前に凍結した卵を戻す、凍結胚移植手術をした。ホルモン剤や注射でカラダは浮腫むし、太るし、気持ちの浮き沈みも激しくて、その上願い叶わず生理がきた時の残念な気持ちやなんとも言えない焦燥感も味わった。なんだか人生の複雑さ、思い通りにいかない歯痒さに直面して、パッとしない期間が続いていた。

でも同時に「そろそろ新しい人生を始める時だな。」という感覚が確かにあった。

今年、35年間の人生を全て詰め込んだ本を出版した瞬間に、次のステージにいく感覚があった。何かを手放す必要があるような、思いがけない一つの決断が新たな人生をスタートする鍵になりそうな気がしていたのだ。

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人生が動く瞬間は、いつも突然訪れる。

定期的に世界を旅しながらの多拠点生活もしたかったし、家を買うつもりも、東京を出るつもりも微塵もなかった我らが、ひょんな出会いから、逗子葉山で家探しを始めたのが3ヶ月前のこと。

それは、旅先でのある出会いがきっかけだった。

2021年、年明けから走り抜けたクラウドファンディングを終え、人生肯定本の出版がひと段落して、少しリフレッシュしようとふと思いついた5月の朝。その足で向かった瀬戸内一人旅。

前から気になっていたホテルに「今から行っていいですか?」と電話しながら、まだ予約すら確定してないのに家を飛び出した。思い立ったら吉日、こういう直感は必ず素敵な出会いや経験を生んでくれると知っているから、すぐに行かずにはいられなかった。

ガタンゴトンと電車に揺られ、児島駅に到着。実は、倉敷は私の父の生まれ故郷だ。幼い頃によく来たけど、大人になってからは、6年前に親戚に結婚の報告に来た以来かな。

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一日3組限定の宿に同日チェックインだった、逗子で土曜日だけの珈琲店「アンドサタデー」を営む彼女と出会った。なんだかシンパシーを感じて話してみると、実は共通の友人がたくさんいて、極めて近いところに生きていたのに、東京じゃなくて、なぜかこの倉敷という地で出会えたことに意味があった気がした。

そして一人旅を終えて東京に戻った翌週、逗子にある彼女たちの珈琲店をひとりでふらり訪れて、その夜ゆっくり二人で食事をした。

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そしてその1ヶ月後、わたしは逗子葉山で家探しを始めるのである。

嘘みたいだけど、ふと思い立って向かった初夏の倉敷で、新しい人生が動きはじめる音がしたのだ。これは、はるか昔のようで、つい最近のこの夏のおはなし。

家探しじゃなくて、暮らし探し。

そこからの展開はすごかった。「コレ!」と興味がわいた時の自分の初動の速さと行動量には毎度驚愕するんだけど、今回も例に漏れず。笑

「実は、友達が家を建てることが決まって、今住んでる賃貸物件を出るんだけど、すごく好条件だから、試しにそこ見てみない?」と提案を受け、夫には「逗子の友達の家でホームパーティーするから行こう!」と嘘をついて、連れ出したのが6月20日。気の早い私は1週間ほど前からすでにSUMOで気になる物件をチェックしていて、午後から内見を3件ほど予約済みだった。(もちろん夫には内緒で。)

夫は週5で都内に通勤。15年以上オフィスに自転車通勤している彼からすると、1時間かけて電車で通勤なんて青天の霹靂、予想外も予想外な話だった。でも私に説き伏せられ渋々賃貸でいくつか内見してみたものの、家賃は都内とほとんど変わらない。出産してライフステージが変わるとまた引っ越しすることを考えると、初期費用もバカにならんなぁ、、、という現実に直面。「ならいっそ、買うか??!」と言い始めたのは夫。そもそも外国人である私の夫は賃貸住まい反対派で、数年前にも家を買いたいと言い張っていた。その時は私がイメージがなさすぎて、「いや、ないっしょ!」の一択だったのだけど。

そんなこんなでなんだか火がついた私たちは、翌日から自転車で巡り、人に会ったり、スーパーで買い物してみたり、とにかく足で稼いで泥草く物件を探しまくった。

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1日5件くらいの内見アポを入れて、仲介会社も5社ほど比較。同じ物件を問い合わせて、一番早く内見予約を取り付けてくれる仲介業者を選んで行った。(ここまでくるともはや、仕事。プロジェクトマネジメント。)

そもそも逗子葉山のエリアは人気エリアで、全然空き物件がない。もしあったとしてもすぐに売れちゃう。全てはご縁とタイミングだと色んな人から言われていた。

ただ私としてはこれは、「家探し」というより「暮らし探し」の感覚だった。新しい暮らしをはじめる空気を掴む。家が大事なんじゃなくて、ここで暮らすイメージが持てるか。条件よりもなによりも、空気が合うかが重要で、選ぶよりも、その土地に選んでもらえるかだと思っていたから。

結婚7年目、私たちはふうふ第2章をスタートさせた。

実はその後、脅威的な行動力と奇跡的な巡り合わせで、10日ほどで物件が見つかって、7月頭に契約。ローン組みやら、インスペクションやらを爆速で進めて購入。

結婚式同様、プロセスを楽しみ自分たちの手で形にしたい私たちは、仲間の力を借りて、全力のセルフリノベーションをすることを決め、8月13日の引き渡し当日から着手した。

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結婚後すぐにCRAZYに入社し、「世界を変えたい!」と熱狂して自分の人生に必死だった29歳〜34歳。35歳からはかなり肩の力を抜いて軽やかにふうふ第2章をはじめていたように思う。

8月に結婚7年目を迎えた私たち。さらに私の中では「36歳までの誕生日までに引っ越し」は絶対だった。

もちろん9月中旬が住んでいたマンションの更新期日だったこともある。でもそれより何より35歳の締めくくりには暮らしを変えること、新しい場所で、新しい自分で、新しい人生をはじめると決めていた。(こうやって私はいつも、強制的にお尻を決めて人生の節目をデザインしているのだ。)

そんなこんなで、東京と行き来しながら週末泊まり込んで、寝袋で寝ながら作業をする真夏の思い出をたくさん蓄えて、9月9日(誕生日の10日前)に移住した。

怒涛の3ヶ月。でも人生が動く時って大抵がこんなもんなの。

とはいえ途中だいぶ端折ったので、改めて物件を見つけてから購入までのステップ、中古物件購入を経験して感じた業界の当たり前への違和感、仲間と共にセルフリノベした理由、家のこだわりについてはじっくり書きたいと思う。(#2以降をお楽しみに!)

結婚式の次は、家。人生の節目のタイミングでご一緒できるプロデューサーとして、ライフスタイルと家づくりまでお任せしてもらえるようになりたいな。事業にもできる予感がしている。何事も経験。人生なんでもやってみるもんだ。

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いつか、のための今ではなく、今は今を生きる。

家も暮らしも自分たちで育んでいく感じが愛おしい最近。

実は昔から、こういう大きな決断に対してあまり思い悩んだりしない。「今だ」というタイミングも、「これだ」という感覚も外したことがない。

「直感は過去の自分への信頼」という言葉を大切にしてきた。直感を信じて行動できるのは、自分がしてきた選択を誇れてる証拠。

一瞬でも心が動いたことに正直にいられるかって、人生を謳歌するのに実はすごく大事なことだと思っている。

明日が来るなんて限らない。だから今この一瞬を全力で生きてたい。

決断はいつでも直感ファースト。今はいつかに必ず繋がるから、いつだって心躍る方へ。

うまくいかないことも、落ち込むことも、自分と葛藤することもあるけど、そういう感情も無視せずに。一度きりの人生を、味わい尽くしたい。

2021年も残り3ヶ月。全く新しいことにチャレンジしようとプログラミングスクールへの参加も決めました。(この挑戦の理由も改めて)

30代後半の人生も、益々謳歌します!

2021年9月最後の日に。
人生を祝うプロデューサー
オア明奈

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