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誕生日前夜、38歳最後の日に。

37歳最後の日、私はこんなことを書いていた。

37歳は、カラダの不調をきっかけに集中デトックスすることを決めて、業務委託で受けていた仕事も2022年いっぱいで全て一区切りさせて、立ち止まった。そして旅に出た。そのおかげで私は今ここにいる。だから37歳のわたしの決断に全力で拍手を送りたい。ありがとう!!えらい!!

38歳に向けたキーワードは、「統合」「触媒・媒介」「メッセンジャー」。これまで占星術で見てもらったり、シャーマン的な人に合うたびに言われてきた「メッセンジャー」としての使命を発揮していく時だなと思うので、ますます一つのところにとどまらず、色んなところに触媒して、統合して、アウトプットする1年にしていこうとおもう。

37歳のわたし、ありがとう!ー誕生日前夜に思うことー

そして38歳最後の日の今日、スリランカの自分が働くホテルに、日本から自分のオンラインスクールのメンバーたちをゲストに迎え、アーユルヴェーダリトリートを主催している。これは1年前には想像もしていなかったこと。

スリランカと日本の2拠点生活を1年間続け、「日本に戻る」「スリランカに帰る」という言葉を無意識に使うくらいには、どっちもが自分のホームとなって、このライフスタイルがすっかり定着した。今では年の半分以上をスリランカで働き、暮らしている。

5人の仲間とのリトリート初日。
毎日のトゥクトゥク通勤

これまでもいろんな変化があったし、変化を選んできた。

34歳、父の余命宣告を受けて、生き方を変えた。
35歳、CRAZYから独立して働き方と在り方を変えた。
36歳、逗子に家を買い、移住して暮らし方を変えた。
37歳、自分のカラダと徹底的に向き合うと決めて、考え方を変えた。
38歳、Tagiru.に加わり、スリランカとの二拠点生活で人間関係を変えた。

もちろんどれも突発的に変化を起こしているというよりは、「結果的に」この時期になっているだけ。変化の予兆はその半年前くらいから感じていて、その感覚や違和感を見て見ぬ振りせずにすぐに動き始めて、半年くらいかけてコツコツ整理や準備をしてきて、誕生日前に最後の一歩を踏み出すことが多いという感じだと思う。

並べてみるとどれも大きな決断だけど、いつも不思議と「怖い」とか「不安」みたいな感覚は全くなくて、ごく自然に流れるように出会いやきっかけが訪れて、そしてそうなることがわかっていたかのようにわたし自身も何の違和感や不具合もなく変化の波に乗っている。

もちろん、心が無双しているわけじゃない。孤独を感じたり、焦りを感じたり、寂しくなったりは当たり前にするけど、それは変化を選ぶ時の代償だと思うし、何かを選ぶということは、何かを手放すということで、過去を思い返して執着したり、必要以上に感傷に浸ったりすることは、ただの自己満足だと思っているから、「そういう感情もある」ということだけは受け止めて、前を向くようにしている。時間が解決してくれることもあるし、環境がどう変わったって、周りにどう思われたって、全ての点を線に繋げていくのは、自分の責任。

そうやって変化の波に乗るのが上手くなった30代。そしていよいよ40代に向けて、30代最後の1年が始まろうとしている。

38歳を振り返って。

38歳の最終日、わたしはまだ人生の踊り場にいる。

この1年は自分のことだけでなく、あらゆるものを俯瞰してみながら、エネルギーチャージの時間でもあった。占星術で見てもらうと、私の人生における一つのピーク(全盛期)は2025年、40歳になるタイミングだと言われていて、私もそう感じていたから、それに向けての準備をここ数年はしている感覚。

そして、38歳のわたしが意識的にしていたことは、「表に出ない。」ということだったかもしれない。今は学びの時だと思って、粛々と自分の中を耕し、肥やしを増やし、観察し、委ねてきた。表立ってなにかを発信したり、自分を積極的に出したり、"オア明奈"を商品や中心にした仕事ではなく、一歩引いて見守る、寄り添う、支える役割を。

アーユルヴェーダホテルで働く日々でもそれは意識していて、ゲストリレーションとしてゲストが困った時にはサポートしつつ、私個人の意見、私個人の話はなるべく伝えないようにしている。情報も渡しすぎないように。あくまでTagiru.という「場」、アーユルヴェーダという「考え方」、そこにゲストが身を委ねていただけるように。ご自身で選択をしていく、味わうサポート役として寄り添い、見守る。
経営視点でいくと、オーナー夫婦のそれぞれの理想や言いたいことを噛み砕き、ボイスチェンジをしたり、整理をしたり、壁打ち役になって、リベロ的ポジションを。

「目の前の人の人生に、積極的に踏み込む」ということをしてきた30代前半から見ると、自分の意思を全面に押し出さず、優しく見守る、相手に委ねる、ということに最初は戸惑いもあった。気づくとすぐに踏み込もうとしてしまう。そして「これが正しい」という自分の正解を押し付けて、正義を通しがちな性格や、何でも完璧にやりたいという真面目な性分がすぐ顔を出す。

でもそれは私自身がアーユルヴェーダでいうところの「ピッタ」という体質が故だということが、この1年でよくわかった。強みと弱みは表裏一体。美徳は、脆さにもなる。自分の性質、体質を理解したからこそ、そこと上手く付き合いながら、本来性のピッタがあがりすぎないように意識して人と関わること、仕事に取り組むこと、日々を過ごすことは、わたしに新たな物の見方や関わり方もできる、ということを教えてくれた。おかげでとても生きやすくなった。自分を許すことも上手になった。

見て見ぬ振りしていた自分の奥底にある弱い部分、嫌いだった思考の癖にも真っ向から向き合い、ずっと保留し続けてきたことにもちゃんと終止符を打った38歳。色々あったけど、清々しい1年だったな。

明日からは39歳。30代の締めくくり、39(サンキュー)の歳らしく、感謝の気持ちでたくさんの恩返しをしながら、広い心で変化を受け入れ、愛に溢れた1年にしていこう。

誕生日前夜、38歳最後の日に。

2024.9.18


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