【11月コラム】Ep.5 何者かよくわからない、でいい。
毎月、1ヶ月の終わりに30分で書くコラム。
”A day in my life as a true myself.”
私が私であるための、毎日について。
今月は、「何者かになりたい」のその先について最近考えていたこと。
「あきなさんって、何してる人か説明しずらいよね。笑」
初めましての人に紹介される時、こう言われることが増えた。
でもそれでいいな、と最近思い始めてる。
何者かになる、の先は、
何者なのかよくわからない、なのかも、、、と。
思えば、2014年に株式会社CRAZYに参画すると決めた時、採用プロセスそのものが、自分の生き方を哲学する時間だった。
Who am I?「私は何者か?」という問いを自分に立て、自分はどんな人生を生きるのか?を全社員の前でプレゼンして、全社員から「この人と一緒に働きたい!」という同意を得る、というのがCRAZYの最終面接。
これは、ライフプレゼンについて書かれた2017年の記事。(懐かしいな)
この頃からずっと「私は何者か」ということを問い続けてきて、「可能性に挑み続ける人」とか「人生を祝う人」とか自分自身のことを言語化してきた。
”何者かになりたい”と願う人は多い。
肩書きをつけて、〇〇の人ってブランディングすることで、何者かがよくわかり、仕事や繋がりが生まれていく。
でも「何者か」を目指した先に、いつのまにか「その界隈の人」となることで、勝手に(ありがたいことに)まわりが「〇〇の人だから」とラベリングするようになって、仕事やコミュニティがそれに偏るようになる。
もちろんそれがいい時期もあるけど、自分の興味を広げたり、新たな切り口から繋がりを増やしたいときは、それが世界を狭めることもある。
ウェディングの人だから。
教育関連の人だしね。
飲食の人だもんね。
そうやってカテゴライズされると、それ以外を無意識に排他している(されている)こともある。
それって今ありたいと願っていることと違う。最近、そんなことを親しい友人たちとこの前話していた。
だから「よくわからないけど、面白い人」とか、「センスがいい人」とかそれくらい曖昧な感じで紹介してもらっていろんなところに顔を出せる方がいい。「〇〇の人」と呼ばれるようになったら、いつのまにかフワリと新しいことを始めてて、違う分野にまたがってたりして。
今、何をしてる人かよくわからない。
けど、あきなさんに来てほしい。やってほしい。
そんな風に「〇〇の人」としてではなく、「個人」として声かけてもらえるような、「ノーカテゴリー/わたし。」であれたらいいな。
スリランカから帰国して、日本での毎日を過ごす中でそんなことを考え続けていた11月だった。
2023.11.30