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【9月コラム】Ep.3 積極的孤独の先に。

誕生月の9月がもうすぐ終わる。

毎月、1ヶ月の終わりに30分で書くコラム。

”A day in my life as a true myself.”
私が私であるための、毎日について。

今月は「積極的孤独」という私の毎日に必要な時間。


9月19日、スリランカで38歳を迎えた。
37歳最後の日にnoteを書いたように、とても充実していて、新たなフェーズに自分を推し進めてくれた1年だった。

誕生日当日は、気づいたらライオンキングみたいな仕上がりになっていて、完全にアフリカの女王。笑

いろんなものを器用に手作りしてくれるスリランカの人たち。この国は優しさが溢れてる。心のこもったサプライズでたくさん祝ってくれたTagiru. Familyに感謝!自分へのプレゼントにはバースデーピアスを開けた。スリランカ産のホワイトサファイヤでピアスも作ったよ。

そんなたくさんの人に囲まれて幸せな誕生日を迎えた私が、月の最後に書く話が「孤独について」というのは、なんとも真逆をいくようなのだがね。(でも実はつながるのだよ。

積極的孤独。

ひとりになるのが不安。
暇な時間が耐えられない。
いつも予定を詰め込んでしまう。
誰かと一緒に何かしたい。

そういう感情ってあると思うし、実際にひとりが不安な時ってあると思う。でも、逆に私は「ひとりの時間」がないと耐えられない。

積極的孤独。意図を持ってひとりになる。
それが私にとって幸せな毎日を生きるためのとても重要なファクター。

一人旅が好きな私。
特に海外をひとり旅してると、孤独を感じる時間が多い。

言葉が通じなかったり、道がわからなくて迷子になったり、行きたい場所に辿り着けなくて途方に暮れたり。息を呑むような美しい景色を目の前にしても、「きれいだね!」って感動を横を見て一緒に共有できる人がいるわけじゃない。

だから「わぁーー!」って自分一人で静かに感動するしかなくて、不安な時はぶつぶつ自分に喋りかけたり、悲しみや怒りの感情は心の中で反芻して消化するしかなかったりする。

孤独って寂しい。
でも孤独が人生を耕す、とも思うのだ。

私自身が、積極的に、意識的に孤独になる時間を選んできたことが、私を耕し、今の私の人生に花を咲かせてくれてるんだろうな、と。

思えば、10代の頃からそうだった。

仕切るのは得意だけど、団体行動は好きじゃない。
イベントごとは中心で目立つポジションにいるけれど、みんなが盛り上がってきたら、急に1人でスッとその場から抜けて静かなところに行きたくなる。

高校時代の文化祭とかもそうだったなぁ。盛り上がる声をちょっと離れた場所から聞いて一人で浸る、そういう時間が好きだった。

「積極的に」自ら孤独の時間を求めてしまう。

でもたぶん完全にひとりになりたいわけじゃない。
帰ってきたらみんながいる。待ってくれている人がいる。誰かがそこにいる。そういう安心感の中でだからできる「積極的孤独」なのだと思う。そうやって私はいつも中心と外側を行ったり来たりしながら、バランスをとってるんだろうなぁ。

積極的孤独の先にある、自由。
自分の世界にひとりで浸る孤独な時間で、わたしは自由を取り戻しているのだと思う。ひとりでいることで、自由が自分の手の中にちゃんとあることを確認しているのだと思う。


そういう時間を通して、私はわたしの人生を耕し続けている。

スリランカ暮らしが始まって、丸1ヶ月。今もそうだ。
自分から積極的に、意識的に、日常を飛び出してスリランカに来た。

家族も友達もいる心地よい場所から、新しい環境へ。一時の孤独を感じながら、私はまた人生を耕すという自由な時間を選んでいる。

ちなみに9月最終日はパンチャカルマ(アーユルヴェーダのデトックス療法)の1つであるヴァスティ(浣腸法)を体験して、ハーブの入った油剤を浣腸で体内に入れながらトイレとお友達になるそんな1日だった。(ある意味濃い締めくくり。w)

ありがとう、9月。
10月も最高の1ヶ月になりますように!

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