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記憶の引き出しを開ける。

今日の私は新月と生理のせいですこぶる体調が悪い。そして驚くほど自己肯定感が下がり、メンタルの落ち込みがひどい。そんな日に文章なんて書かない方がいいと知っているのに書かずにいられなくて、全くまとまりのない恥ずかしい文章に仕上がるのだろうから、いつか非公開にしよう。

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今回スリランカに唯一持ってきた本があって、空いた時間に少しずつ読んでいる。友人に勧められた本なんだけどこれが全然面白くない。でもなぜだか読まなきゃいけない気がして読み進めている。今日は生理で朝からダウンして、あまりにお腹も腰も痛くて寝るに寝れず、仕方なく本を読むことにした。

そしたら「過去の精算」と「自分が無意識に生きていたコントロールドラマと向き合う」という話に突入して、よりによってこんなにもメンタル落ちてる時に…と思いながら、過去のことを振り返る羽目になった。でもなぜだかこれが私にとって思ってもみない次なる一歩のきっかけになる予感がした。(だから書いている)


過去の精算。それは自分が無意識にしている思考の癖、繰り返しているよくない行動の根源と向き合うこと。そろそろ、そこと向き合う時ですか、という気持ちにはなっていた。(それが何かはまた時が来たら。)

人生振り返ると、中学生時代に辛いことが多かった。だからその頃の記憶が抜け落ちている。たぶん記憶から消したかったのだろう。でもその頃に自分の癖が出来上がった気がする。だからその時のことを思い出し、閉じていた記憶の引き出しを開けることにした。

誰しも「あの頃」を思い出すスイッチになる音楽があるんじゃないかと思うんだけど、わたしにとってのそれは19(ジューク)だった。そしてそれを久しぶりに聴いた。

1999年か。
もう24年も前のことであることに愕然とする。時が経つのはこんなにも早いのか。

音楽の力を借りて記憶の引き出しを開けると、あの頃が昨日のことのように蘇ってきた。

クラスメイトのいる教室、休憩時間の廊下でのやりとり、背伸びして買ったヘアワックスの匂い。たわいもない会話、授業中にまわした手紙、MDで聴いていた音楽、あの時に吹いていた風。友達との口喧嘩、逃げ込んだ保健室、一人で唇を噛み締め泣いた時間、親との会話。

ありありと蘇える。突然驚くほど鮮やかに。目の前に。そして湧き上がることばたちを書き留めた。


いつからだろう
ほんとうのホンネを言えなくなったのは

いつからだろう
それっぽく話すのが上手になったのは

いつからだろう
これが自分だって決めつけるようになったのは

わたしが作られたのはいつなのか
これまでの全てを推し並べて
頭の中で時系列を遡って振り返っていく

思い出した青春に懐かしんで
あの日聴いたあの曲で耳を塞ぐ

目の前の景色と
頭の中の思い出
時間が交錯して、記憶が解かれていく

変わらない日々に苛立つ
正解を押し付けてくる周りに自分を押し殺す
自由に生きている人を羨み
あの時選ばなかった道に思いを馳せる
でも、なんて言っていつも正当化してしまう

この時々訪れる不安や切なさや疑いの正体はなに?

永遠の青春ソングを聴きながら
真っ赤な夕陽が沈む
夜が訪れる前の18時


19に(というかみつるさんに)がっつり影響を受け、なんだか歌に出来そうなことばたちをメモる。(いつか作詞して歌つくりたいな

掘り起こされた記憶はどう精算されていくのか。
もう少し引き出しの整理に時間がかかりそうだけど、行くべき方向は見えてきた気もするから、この本はやっぱりもう少し読み進めてみようと思った10月14日、新月前日のキロク。

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