イギリスでコロナにかかって、のたうち回ったけど完治した話
新規感染者数、1日平均2万5,000人。にもかかわらず、マスク着用率がざっと見て20%以下と極めて低い英国。三度の飯よりパブな国に住む外国人として、できる範囲で万全な対策をしてきた。
人が集まる場所はなるべく避ける、ソーシャルディスタンスを保つ、誘われてもなるべく会わない、自分一人だけでもマスク着用、基本どこでも単独行動…。
一人暮らしも数年経つので、こういうのは朝飯前。春のロックダウン時から国+自分で決めたルールに従って生きてきた。
普段から嫌煙でお酒もほとんど飲まない。会社の福利厚生で知ったPelotonを通じて筋トレにも真剣に打ち込みはじめ、自宅からもダンベルやヨガマット、食事アプリを駆使して健康維持に徹していた。まさかコロナに感染して3週間も寝込むことになるなんて夢にも思わずに…。
Day -2 筋トレ後、突然右脇下に痛み (10/30)
コロナのコの字も予想していなかった10月最後の土曜。この日は朝からグズついた天気だった。
筋トレ界隈で有名なTestosteroneさんが著書で「雨の日こそライバルがいなくなる最高のチャンスだ!」と書かれているのを見て、「確かにそうだ!」と目をキラつかせて小雨の中ジムに向かう。
予想通りガラガラでプライベートジム状態に。60分のブートキャンプをみっちりこなした後、雨も上がってリフレッシュして帰宅。しばらくして、なぜか右脇下に鈍痛を感じる。腋窩という本来なら筋肉痛にはならない場所…?
あまり気にしないようにして過ごしていたら、その夜政府からロックダウン2.0がアナウンスされ、再び英国全土がロックダウンになってしまった。
Day 1 座っていられないほどの倦怠感 (11/2)
遂にコロナデビューしてしまう11月2日がやってきた。
先週土曜日からの脇の下の痛みはあるものの、7時にパッチリ目が覚めたので、ロックダウン前、最後のジムへ。30分のブートキャンプがこんなにキツかったっけ?と思うほど、疲労感が残る。
家に帰って朝9時からリモートワークを始める。午前の全体会議には普通に参加。夕方4時のMTG後、突然倦怠感が押し寄せる。まず椅子に座ってられなくなった。
ソファーにもたれて残りの仕事を片付ける。ブルブルっと悪寒がする。この時は朝から張り切りすぎたかなー?程度にしか考えていなかった。
夜、いつもより2時間近く早くベッドに入る。なんだか体が熱くなってきた。体温を測ると37.6℃。うーん、しんどい。早よ寝よ。
寝る前に英国保健省のコロナアプリにアクセスして症状(発熱)を入れたら「PCRホームキット注文画面」に飛んだので、時期も時期やしね…とホームキットの申込みして就寝。
Day 2 汗だくで乗り越えた予算会議 (11/3)
早めに寝たのもあってか体温は翌朝37.2℃に下がる。地獄の幕開けと知らず、朝の時点ではすごく安心している。
ただし昨日同様、倦怠感がすごい。今日は年に数回の大切な予算会議やのに…。会議の始まる11時まで許可をもらって横になる。
会議直前に熱を測ると突然の体温38℃超え。リモートではあるものの念のため出席者に通知したら、日時をずらすか?という案も出たが、わがままで続行させてもらった。
この熱の感じは2〜3日でよくなる気がしなかったし、自分が担当するマーケットの予算会議を他人主導で完結されるのだけはごめんだ。なるべく参加者にも協力してもらい、汗だく50分で終了。本当に頑張った。
Day 3&4 PCR陰性。しかし駆け出す発熱ジェットコースター(11/4-5)
ここからは地獄のはじまりである。38℃以上の高熱が止まらない。バイオリズムのような上がったり下がったりの高熱が始まる。
PCRテストキットは爆速でスコットランドから届くも、熱で衰弱しているので、うまくいってるかなーと不安になりながら検査。封をしてポストに投函するスタイルで、郵便局員の人嫌やろなーと思いつつ、家から一番近いポストへ向かう。一歩踏みだすごとに上半身に反動を異常に感じて歩きにくい。
熱に加えて頭痛も酷くなり始める。頭を両手で強く握られているような痛みで、立つたびフラフラで壁に手をそらさないと歩くのも難しい。咳はないし、嗅覚や味覚は100%あるのでコロナではないよなーと自問自答を繰り返す。
頭痛と高熱に我慢できず、翌日のかかりつけ医を予約。イギリスは3月から医師との対面診療ができないので、電話での診断となる。
翌日、かかりつけ医には「断言します、あなたはCovidじゃない。PCRは陰性になるでしょう。溶連菌感染症だから、近くの薬局に今すぐ抗生物質取りに行きなさい」と自信満々に宣言してもらい、急いで閉店前の薬局へ。
その晩、PCR検査の結果がメールで届き、陰性の通知。この時は「すごい、主治医当たってた」程度に思っていた。熱は相変わらず37℃台後半〜38℃前半を行ったり来たり。頼むから抗生物質効いてくれ…。
Day 5 飛んだフューズと悪夢 (11/6)
高熱と頭痛でベッドの上でのたうち回る日々が始まる。ここ数日、熟睡なんてできていない。寝汗がすごいし、大量の水を飲んで過ごしているから1時間に1回、目が覚める。
溶連菌の薬の効果があったのか、特に気になってなかった喉の痛みが消える。脇の下はずっと痛いまま。氷枕いるわ〜、と思いたったのが午後5時。
うちの冷凍庫は古くて電気効率が悪いので、本当に必要な時だけ使うようにしている。フラつきながらキッチンへ行き、冷凍庫のスイッチを入れるとブチンと鈍い音と共に停電発生。嘘やろ、今、一番あかんやつやん…。
ブレーカーを全部上げ下げするも、電力が戻る兆し一切なし。悪夢である。
真っ暗ななか管理会社の番号にかけると「うちから頼むと週明けの月曜対応にされるから、とりあえず1時間待って、自分で直でカチこめ」とずさんすぎる応対を受ける。
「1時間待つの意味がわかりません、高熱で一刻も早く電気が必要なので今かけますね」って言うと「じゃあ私に電話かけたけど繋がらなかったことにして」という謎の口裏合わせをさせられる。
どうやら本来なら営業時間内の管理会社が対応すべきだが、金曜午後5時で訪問もできないので、管理会社の契約先の電気会社に入居者の私が直接交渉して今日中に来てもらえ、と言われているようだった。責任転嫁のレベルがすげえ。
埒が明かないので、電気会社に直でかけることに。一人目、音聞こえませーん、でガチャ切りされる。
二人目、繋がるがなんで今かけてきてるの?と問われ、口裏合わせの内容を伝えると、上司に取り継がれる。折り返します、とのこと。折電なし。
三人目、二人目から30分後にかける。折り返します、これまた折電なし。
この時点で管理会社からとりあえず待てと言われた1時間は悠にすぎている。部屋も真っ暗で携帯も充電できずWi-Fiも断たれた絶望の世界。そして寒い。
震えながら意を決して四人目にかけると最初のガチャ切り女子だった。しかしガチャ切り女子は誰よりも要領がよく、エンジニアを手配してくれた。
水道トラブルでもないのにクラシアンがイギリスにもあれば…。と闇の中で祈った。「暮ら〜し安心、クラーシアン」「電気のトラブル5000円〜」「安くて、早くて、安心ね」と5000回ほど脳内再生。ぶっ壊れてる。
1時間半ぐらいしてから、ようやくエンジニアが到着(停電発生時5時→エンジニア到着9時前)。「マーカスです!」と元気に挨拶したエンジニアの彼はナイススマイルで第一印象はすこぶる良い。
マ「一応入室前のチェックなんで。Covidにかかっている人いないですよね」、Noと答えて次の質問、マ「Covidの症状、高熱、咳、味覚嗅覚がなくなった人はいないですよね」
私「あ、熱はあります。でもCovid検査は陰性です。」
この瞬間、さっきまでの笑顔が嘘のようにマーカスの顔が凍りつく。焦って昨日届いたばかりのCovid陰性通知メールを見せるも、「ここ3ヶ月仕事してきて、熱あるとか言われたのお客さんが初めてで。いやーどうしようかな」と玄関先で地団駄踏まれる。そら嫌よね。
私「今夜あなたがうちのぶっ飛んだヒューズ直してくれないと、私、家のなかも真っ暗で寒いなか高熱で週末過ごすことになるの。お願い助けて」と懇願する。
私「Covid陰性で、主治医には溶連菌感染症と伝えられたし」って言うと、マ「細菌感染って、それマスクやできっと」と軽いロンドンの若者ノリで言われる。まさかマーカス、あなたアンチマスカー…?
一応マスクはしてくれて、いやいやながら作業も始めてくれた。しかもあれよあれよと手際よく直してくれた。私もコンセント入れたり繋いだりと、マーカスに指示をされるがままフラフラ状態で家のなかをヘルプに走る。
冷凍庫には今後一切触れないよう注意されて、ようやく電気が繋がる。長時間立っていられないので途中でぶっ倒れそうにはなったけど、温かい食べ物が食べれる幸せと部屋がぬくもる安心感で心が満たされる。
高熱と停電のダブルパンチでヘロヘロだったが、リスクを覚悟して任務を遂行してくれた好意に癒され、マーカスに心の底からお礼を言った。
マ「今晩は自分が当番やから、また何かあったら連絡しなよ!」と最後はとびきりのナイススマイルで去って行った。
Day 6 緊急病棟でまさかのCovid-19感染宣告 (11/7)
マーカスのおかげで電力は回復するも体力はこの日ピークレベルでやばくなる。体温計は39.9℃へ。遂に40℃手前まで来たその事実に卒倒しそうになる。
そんな矢先、最近ロンドンオフィスに異動になり、うちの近所に越してきた新しい同僚の中国人、エコーからメールが届く。
「体調大丈夫?買い物が必要なら私が行くから言ってね!」
…神かな?
高熱で買い物にも行けず、食欲も減退。料理もギリギリのラインで続けられている。コロナと闘うために栄養は付けないといけないけど外には出られないジレンマのなかで、代わりに買い物してきてくれるのは本当にありがたい。
実は昨日の停電時にも彼女の顔が一瞬浮かんでいた私は、思いっきり甘えることにした。午後2時、買い物袋ふたつを抱えて、エコーがうちまで往復40分近く歩いて来てくれた。
過去10年を香港で過ごしてきた彼女は、料理ができない。イギリスに移ってからも、中華系オンラインショップで買った冷凍食品ばっかり食べてるーと笑いながら言っていた彼女が一個一個私のリストを読んで、慣れないテスコで買い物してきてくれた。
「元気になりますように」って、小さいお花もくれた。優しさに感動して涙。あとでお礼のメールをしたら「私がロンドンで右も左もわからないとき助けてくれたから、お互い様よ!」って明るく励ましてくれた。
数時間後、パリにいる彼からも大きな大きな秋の花束が届いて、寝室がちょっとした華やかな病室になる。弱っているときそばにあるお花の生命力って、偉大。フラワーパワー、ありがたや。
優しさを噛み締めるのも束の間、夜に向かって体調はダダ下がる。頭痛と高熱のダブルコンボが、問答無用で体力・気力を蝕む。
土曜日でかかりつけ医にも電話ができないので、ヘタった力を出し切って119番の一歩手前のような111番サービスにかける。心筋梗塞や呼吸困難など、急を要する病気でない限り救急車は来てくれない。
救急隊員さんに救急対象外と告げられたあと「どうすればいいですか」と聞くと「我慢できないなら緊急病棟に行け。紹介状出しとく」と助言される。
え、緊急病棟…。いつ行くの…?今でしょ!っということで、夜8時過ぎてたし、歩くと上半身への反動はすごいが、わずかな希望を寄せて緊急病棟のある病院に向かう。
緊急病棟は土曜夜にも関わらず20〜30人ほど待っている。よくあるイギリスの光景である。昔の上司ジェイソンが「機械工時代に指切断してしまったとき、プライベート医療の保険入ってたおかげで助かった。普通の緊急病棟に行ってたら、多分一生指ひっついてなかった」って皮肉を言ってた。
医療が無料である故、様々な人が様々な理由で様々な時間に病院に押し寄せてしまう。自分もその一人だが。
これは2時間待ちコースやろな…とざっと見積もった私は、とりあえず喉がカラカラだったので水をもらって座ってられないので肘掛けに思いっきりもたれて待つ。
すると10分も待ってないのにいきなり名前が呼ばれ、ガンガンの頭痛はあるなか、思わずガバっと起きる。どうやら先の救急隊員さんの紹介状が功を奏して優先されたようだった。早く歩けなかったけど、ここにいます!とアピールする。
まずは看護師さんの問診。これまでの経緯と、かかりつけ医にもらった薬の説明、全く効果を感じず高熱と頭痛に悩まされていると告げると、熱を測られる。39.8℃。開口一番、看護師さんは言う「コロナに罹ってると思う」。
頭が一瞬フリーズする。まさか私が…?状態である。
血液検査をしましょうと言われて別室に案内される。私は大阪人なので普段は超速足なのだが、看護師さんの歩くスピードについてけず、ゆっくり歩いてもらってもいいですか、と涙目で聞くと「おーごめん!これ乗って」と数メートルの距離を車椅子に乗せられて、看護師さんの優しさと自分の弱りきった身体に悔しくて泣きそうになる。
この後、お茶目なネパール人の女の子と新人で緊張しているウンベルトという名前の若い2人の看護師さんたちが血液検査のため血液採取する。
ウンベルトに連れられてCTスキャンも取って、知らないうちに点滴もx3ぐらいされてて、イギリス人たちが信じて止まないパラセタモール(アセトアミノフェン)もx2ぐらい液体で投与されて、熱は一時的に36度台まで下がる。
ウンベルトには「やっぱ下がったぞ!」と得意げに言われたが、体調は相変わらず最悪のままである。
あれこれしてるうちに90分ぐらい経っていて、ここで突如医師が登場。この先生、名札を見ると苗字がLoveなので、ドクターラブである。なんかよくわからんけど、一瞬で病気をふっとばしてくれそうな縁起の良い苗字やなと謎の期待を寄せる。
ドクターラブに問診を丁寧に受けて、脇の痛みも触診で詳しく精査してくれた。そして最初のウンベルトの血液検査がうまく行ってなかったからごめんやけどもう1回!と採血されて、再び病室で結果を待つ。
ドクターラブが神妙な面持ちで帰ってきたと思うと、「血液検査の結果、Covidとの類似点が多すぎました」と曖昧なことを言われたので、「それって、私がCovidに感染したってことですか」と再確認すると、Yesと即答される。
私、コロナやったんや…。
原因不明の高熱と頭痛の嵐にも、妙に辻褄があった。PCRも熱のあるなかのセルフ検査なので多分うまく行っていなかったのだろう。血液検査でアウトと言われれば、ドクターラブを信じるしかない。溶連菌ではなかった。
アモキシシリンという抗生物質とドキシサイクリンという抗菌剤を手渡され、「家に帰って良し!」と告げられる。時計を見ると9時すぎに着いたのにもう深夜すぎである。今から帰るのきっつーと思いながらも、ウンベルトやドクターラブの数時間に渡る手厚い看護に感謝して、「はぁ、私コロナなのか」と、絶望よりはやや冷静に何度も頭で繰り返してフラフラで帰宅。
Day 7-9 高熱と頭痛のピークが同時発生 (11/8-10)
薬を飲んでも熱が止まらなくて、寝汗もこれまで以上に酷くなった。病院から帰った朝、エコーが買ってきてくれたパイナップルを4切れぐらい食べたら、その場でほぼ胃に何もないのに嘔吐。トイレにすら間に合わず辛い。
光や音にも拒否反応を感じだし、パソコンはおろかクラシック音楽のラジオですら聞いてると気分が悪くなってくる。両親にFacetimeする気力もなかった。横になっている以外、何もできない状態。
三浦春馬や竹内結子など、コロナ禍での命を絶ってしまった人々のことが突然、頭によぎった。彼らの葛藤がほんの少しだけ理解できた。心の傷は外からは見えないが、いつ治るか分からない痛みと生きていくのって本当に辛かったのだと思う。
数時間無の状態で横になったら、バイデン&ハリスの勝利宣言の動画だけ見れた。良いスピーチで心を打たれ感動して泣く。パラセタモールの効果で36.5℃まで熱が下がったので、まさか!とこちらも勝利宣言の準備をしていたら、期待外れの38℃に戻ったりと発熱コースターの振り幅は広くなる。
脇の下の痛みは、薬の効果でようやく治った。嘔吐は幸い1回で済んだが、その後下痢が数回続く。抗菌剤で善玉菌も根こそぎやられたからかな。どうやら、発熱→咳→嘔吐→下痢というのはコロナの典型的な発症順序らしい。すっと腑に落ちた。
Day 10 音楽の力 (11/11)
家にきてくれたエコーとマーカスの会社、職場の上司など、最小限の人にだけコロナにかかったことを告げる。大騒ぎして友達にメールしまくったところでロンドンは広い。何もできず心配だけさせると思ってのことだった。
しかしカリブ系フランス人の友達、ダヴィードから「ずーっとメールしてなかったね!ほい!」って突然この曲が送られてきたとき、緩みまくっている涙腺が爆発して号泣してしまった。
ケンドリックやバスタ・ライムスのクレバーなリリックは頭痛で追えなかったが、子供時代のマイケル・ジャクソンの歌声って天使で、不思議な力がある。歌詞も「辛いときは僕がここにいるよ」って、偶然やけどイントロだけで最高な一曲を送ってくれた。
思わず「コロナにかかってボロボロやったのでマイコーの声が胸にしみたよ、ありがとう」と返事したら「どっひゃー大丈夫け!?」って返事が来て、その日から定期的に「今日は体調どうや」と聞いてくれるようになった。ありがたい。
Day 11-16 薬疹、はじまる (11/12-17)
薬漬け生活も二週間目にさしかかり、一向に下がらない熱に悩まされながら悶々と過ごす。この頃から、泣きっ面に蜂とはまさにこのことか、というほどの全身蕁麻疹に悩まされはじめる。
手足からはじまり身体中がめちゃくちゃ痒いのに、普通の蕁麻疹のように数時間で止まないのである。せっかくこの頃から頭痛が治ってきて家のなかでは普通に歩けるようになったのに、かゆすぎてまた眠れなくなってしまうという地獄。
かかりつけ医に予約枠がなかったので再び111番にかけるとたらい回しにされて最終的にかかりつけ医から電話があり、抗ヒスタミン剤を出してもらえるとのことになった。が、なぜか医師側のミスでキャンセルになっており、翌日熱が下がったので薬局にいくと薬は出せないと断られる。
かかりつけ医には電話で「covid発疹よ」と言われたが、薬剤師さんには薬疹なので今の薬をやめたら治まるよと助言をもらい、処方箋外でも買える薬を出してくれた。ただこの薬、お求めやすい価格ということもあってか全然効かず。痒みは最高潮へ。発狂しそうだったので最後の1錠を残してドクターラブにもらった薬を終了することにした。
Day 17 熱の終わりに見た夢とピーター先生 (11/18)
コロナにかかってから1時間もまともに寝ていなかったけど、この日は夢を見た。変な夢で「3つの工程を全てクリアしたので高熱は解除します」とバイ菌たちに黒板を使って説明された。何の3つ?と疑問に思いながら…。
その後ピーター先生という大学留学時代にお世話になったツーリズムの恩師が現れた。先生とは5年ほど前にクルーズ船の旅行中で持病が悪化され他界されるまで、旅に出る度に絵葉書を交換する交流があった。彼の優しい微笑みをじっと見たところで夢が終わった。起床後、生と死を改めて考えさせられた。
その後、すーっと軽くなる感じがして体温を測ったらやっと37℃前後で安定してきた。体温に振り回されるのには慣れたので、慎重に過ごしていたが、夜には調子もよくなって星野源のPop Virusをフルで歌えるほど復活した。
音楽って素晴らしい。そして歌が歌えるって、最高。普通に生きてたら当たり前のことやけど、2週間以上のたうち回っていた間には想像もできなかったことなので、久々に好きな歌が歌えて、さっぱりできて気持ち良かった。
Day 18 体調がついに安定する (11/19)
起き抜け調子よし。体温も36.5℃スタート。昼過ぎに37.1℃に戻ったので、あまり調子には乗らないようにして2時間ほど寝る。薬疹で顔は相変わらずパンパン、目もボクサーのように腫れているが、熱と頭痛、気持ちはだいぶ楽になった。
心配してメッセージをくれた同僚数名だけにコロナに罹ったことを伝えると、一気に広まって大量の人から心配のメールが突然届いた。メッセージをくれるのはありがたいが、一気に大量だと返信もしんどい。皆「できることがあったらなんでも言って!」って送ってくる。いやできること、ないねん。
隔離中で薬局とコンビニも最小限にしか行ってはいけないのに、他人にできることはほぼない。エコーがしてくれた買い物が、近所に住む人だけができる最高で最大の助けだ。
出社していたわけでもないのに他の同僚に言いふらす同僚のモラルの低さにうんざりした。英語ではCovidiots(covidとバカという意味のidiotsを合わせた造語)という言葉があるが、covidiotsとの付き合いは今後最小限にしようと誓った。
ただ、covidiotsがいたお陰(?)もあってか、状況が伝わった元同僚のレイナが日本食レトルトセットをJAPAN CENTREから大量に送ってきてくれた。感謝。物資による助けが正直一番ありがたい。
もし周りにコロナに罹った人がいたら、連絡する前に相手の調子を一回考えてみてほしい。電話は咳で話せないだろうし、頭痛や熱でスマホを見るのすら辛いかもしれない。そして本人が伝えてと懇願していない限りペラペラ周りに言うのは控えよう。タイミングによっては思いやりにも武器にもなる。
Day 19 微熱は残るが、ほぼ完治。 (11/20)
まだ平均体温の0.5℃ほど高い微熱が続いていて、3週間近く寝たきりだったので体重も4kgも減ってしまった。2020年は筋トレに精を出していたのに、免疫のために筋肉量が4kgも奪われたのは悔しい。でも貯筋は元気になってから再開すればいいし、今は健康であることにとても感謝している。
Pelotonのインストラクターがよく「トレーニングできるっていうことは最高のPrivilege(特権)だ」と言う。病気で辛い、身体が動かせないという状況下で、筋トレや運動に健康的に打ち込めるのは特権そのものだと身を以て学んだ。
頭痛や脇の下の痛みは完全に消えて、もう高熱もない。献身的に支えてくれた家族・友達、大切な人々、NHSの医療従事者の皆様に深く感謝する。
長文駄文で1万字近くも書いてしまったが、のたうち回っていた時あまりネットに情報がなく、さらに日本とは状況も違うので不安が増して困ったという経緯があって今回細かく手記に残すことにした。
もしコロナに罹った人が読んでいたら、私のように長期戦になったとしても絶対に治る病気であると信じて辛抱強く闘ってほしい。本当にしつこいし、拷問を受けてる気分になるけど、長い人生で見たら一瞬のような病気だ。
コロナを乗り越えると、人間少し強くなれる。他の人にも優しくなれる。生きていることに心から感謝できるようになる。できるだけ食べて横になってリラックスして、焦らずのんびり回復を目指してください。