実験創作終えて
わーもう1週間経っちまったよーよよよ♪
1週間早いよー早すぎよー♪
先週日曜、
わたしの実験🧪の3日間が終了しました✨
見物してくださったみなみなさん、
ほんとにほんとにありがとうございました☺️
アンケートフォームに答えてくださった方、ありがとうございます。
今のとこ、13件のアンケートが届いています。
ありがたく読みました。
ありがとうございます。
質問してくださった方、後日お答えしますので、お待ちください。
年内までアンケートフォーム開放してるので、
まだの方は答えてもらえたらうれしいですし、
すでにお答えくださった方でも、後々追記したいことあれば書いてもらえたらうれしいです。
1、2日と実験者として遊んでくれた風さん(池内風)もありがとう☺️
稽古場・会場を借りるので協力してくれたケンケン(大原研二)もありがとう☺️
見物してくださったみなさんに改めてのお礼メールも、いまだ!となんか勢いで昨日夜中に送りつけてしまい、よなよなごめんなさいでした。
そのことも書きましたが。
とにかく、眠っていたら、わたしのメールで起こしたりしませんようにと祈りつつ✨
最終日の本日は、また1、2日目とは異なる空気感で、結果3日間ぜーんぶ異なり、とーってもおもしろかったです。
1日経ったいまも、なんだか興奮冷めやらぬ感で、いま書いています。
もうなにから書いていいやら状態ですが、おい!わたし!落ち着け!!と、実験期間中ぷちぷち思考し、メモしたことも含め、振り返りで思考したことざざざと書いてこうかなと思います。
と、実験終えた翌日に書いていたのまんまアップしてます。
長くなって途中から下書き保存し、書き上げたのが今日12/11。1週間経ってしまいました💦
とゆーわけで、こっからはわたしの振り返りです。
ご興味あれば、お読みください。
広報
わたしは、今回実験やるにあたっての説明・・
「こんな実験するよー」
ってのがうまくできてなかったなーって改めて思った。
広報的な側面で。
こういうこと表現してみたい!って在って、それを、どう説明どう告知していいのかの言語化、コピーライター的な感じで、短いワードで伝わるキャッチコピー的なのがわたしできなかったなと。
とにかく、わたしの心に在るモノ・思考を表現してみるから見物したい方いたらして見物して欲しいなと思ってて。
けど、それじゃあ、わからん過ぎたかなぁ・・とも思って。
わたしの中にある大きなテーマは、お知らせ記事に書いたけども、そうゆうんじゃなくて、もう少し絞ったわかりやすいワード、そうゆうの、見つけられたら良かったのかもなぁ・・と思った。
ワード探し
広報の話題とも、ちょいと関連するけど、自分がぴとっとくるワード探しは結構した。
今回、どんなワードでお知らせしようかなと。
お知らせ記事に書いたように、わたしの数年前から思ってる夢があって。
わたしのスケジュールやその他諸々などもあって、「実験」ってのが、ぴとってわけじゃないけど、まぁまぁしっくりくる気がして。
見てもらう方も、「見学」ってよく使われてるけど、全然ぴとっとこなくて。
「見学」という言葉のわたしの感覚的に、見て学んで欲しいわけちゃうねんな・・ってあったから。
普通に、観劇のように観てもらうお客さんとしてお知らせするチョイスもあったけど、なんだかわたしはしっくりこなくて言葉を探してて、見物・・見物!いい!ぴとっときた!って思って見物にした。
わたしは、にんげんとも言えるけど、物でもあるなーといまはなんだか思えるんで。
「物(わたし)を見るひとたち」
また、「見物」というわたしの言葉の感覚が、余白がある・・入退場自由みたいな、なんてゆっていいかわかんないけど、そんな、ふらっと出逢って体験するみたいな感じがして、心地いいなと思った。
誰かにとっては、そこのこだわりいらんから、内容端的にわかりやすく伝えた方がいいんちゃう?ってとこで、わたしは妙にこだわりがあった。
めっちゃ余談やけど、
なんか言葉って広辞苑とかwikipediaに書いてある以上の自分のフィーリングでの意味とか質感とか色とかなんかないですか?
わたしはあるなーって思ってんです。
「日本語正しく使いましょう」ってのもわかるなーとか、せやな、とか思うのと同時に、わたしはわたしのフィーリングの言葉や造語も使いたいってか使ってるし、日本語めちゃくちゃになることもあるのですが、それもそれでいいやんって思う派です。
自信と比較
わたしは、何年もの間、ずーっと自信なかった。
生きてて、何もかもすべてのことに自信がないわけじゃあなかったと思う、そりゃね。
ちょっとくらい、ちょっとくらいは、自信持ててるとこもあったとは思う。
思うんやけど、わたしのそれはとても脆く、
「あなたは自信ありますか?」と急に問われたとして、何に?かわからんくても、わたしの本音は即答で「ないです!」と答えられてしまうほどには、わたしは自信がなかった。ずーっと。
自信ないように見えないと思われたり言われたこともあった。
・・あーわたしの弱いとこバレてない、しめしめ・・笑
と思う自分もいた。
強い自分になりたかったし、憧れていた。
だから強くなろうと自分なりに少しずつ克服していってたとこもあったかと思う。
けど、わたしの感覚でいうとこの自信は、正直なかなかもてなかった。
自信ない自分がイヤだったから、そうじゃない自分になろうと頑張ってて、頑張ってるのをうまく隠せていたこともあったかもやけど、結局んとこ、わたしは、わたしの自信のなさを自覚、痛感してた。
わたしはわたしを誤魔化すことはできないからバレバレなのです。
逆に、自信ないことへの自信は大いにあった。
いまは・・?というと、ヘンに頑張らへんくても前よりかは自信が持てるわたしになってる。
たぶん、2、3年前までのわたしなら、この実験やれてなかったんじゃないかなぁ・・楽しむ余裕などない。怖すぎ。恐怖やん、こんなん。
いまのわたしが、やろうと決めてやったこと、わたしはわたしに、ぱちぱち👏✨よくがんばったねと言いたい。
こんな自分褒めをおおっぴらに書いてることすらも、前なら、恥ずかしいアホみたいと思えて、過去のわたしにはできなかったことと思う。
わたしはわたしに対し、ある部分では、スパルタなところがあった。
はぁ?こんなんで褒めるって・・はぁ??意味わからへんねんけど、って。
けれど、いまはちっちゃくても、いまのわたしができたことを、まるで赤ちゃんがハイハイからよちよちと歩けるようになったのを喜ぶかのごとく、「わたし、やれたねーできたねー」って気持ちがある。
なので、この実験を3日間やったわたし、よくやったね、ってその喜びもある。
どこかの誰かじゃなくって、わたし。
2、3年前までのわたしと、いまのわたしとを比べて、いまのわたしができたことに喜びがある。
ちっちゃいことでも、自分が自分を認めてあげることが、自信、すなわち、自分を信じることに繋がってくんちゃうかなぁといまのわたしは思う。
わたしのやったことなんて、誰でもできるようなことなんかもしらん。
そう思われてもいいし、なんでもいい。
比べるんは、自分だけでいいなーっていまは思う。
だってまじ意味ないなーって思えてて。
キリないもんね、自分以外と比べること。
わたしは、さんざんっぱら、どこかの誰かを羨ましく思ったり、比べては凹んだり、自分はまだまだや全然あかんって苦しんだりをしまくりまくってて、挙句、他者からも「◯◯はこうなのに、ももかはダメできてへん」的なことを言われた時にゃぁより一層、あーわたしはダメだ・・ダメ人間なのだ・・と負のスパイラルに陥りまくっていた。
これら負のスパイラルは、いまのわたしにとっては、無意味とゆーか、まぢでいらんなと心底思うんで、負のスパイラルにとっぷり浸かる前に、いまは「比べるんやったら自分にしときー」って、わたしはわたしに言ったりしてる。
理解すんのと、実際そう思えるようになるかは別もんで、すぐシフトチェンジできるわけじゃないから、こうやって自分にゆってる。
比べてテンション上がったり、自分に心地いい影響あるぶんにはいいけど、そうじゃない時は、ぽいっちょして手放した方が、わたしは心地いいなーって思うようになってて。
わたしの言葉の感覚でいうと、「自信」って言葉には、ときおり付随して、横柄、傲慢のようなニュアンスも潜んでいるように感じることがある。
わたしは、そうゆうんじゃなくて、漢字のままシンプルに、「自分を信じる気持ち」を日々育んでいきたいと思う。
服と裸んぼ
今回の実験、服、何着ようかも考えた。
案の一つには、服を何着も使う案もあったけどボツにした。
結果、毎回おんなし体操服のようなボトムスに、シンプルなベージュのカットソー+♡マークの付いたカーディガン着てやることにした。
なんか、それにして良かったなって思う。
わたしはね。
実際、目に見えて裸んぼになったりはしてないけど、今回やってて心の面では裸んぼになった感覚が、わたしは強くあった。
こわさもあったけど、なんかだいじょぶって思えた。
これって、自分を信じてるからできたことな気がする。
わたしは、前にも舞台本番で裸んぼの気持ちになった感覚あったけど、いまのわたしから言わすと、まだたぶん、その時のわたしから服一枚剥いだだけで、裸んぼじゃなかったんちゃうかなーって思う。
なんてゆーか・・ぴとっと皮膚に張り付いた肌着みたいなん着てて、肌着着てんの忘れて上の服が脱げたから裸んぼになったように当時のわたしは思ってたけど、まだぴとっと張り付いてんのあったなーっていまのわたしは思う。
当時のわたしはそれに気付かへんくて、裸んぼと思ったように、いまのわたしは思える。
で、そんな、いまのわたしが言ってることもまた、まだ裸んぼじゃなかった、って未来のわたしが思うのやもしれぬ。
まーそれでもいい。
いまはいまの感覚で。
そういえば、今回実験終了後、1時間くらいお片付けしながら、見物してくれたみなさんとおはなしする機会を設けた。
(残れておはなしできる方はどーぞと任意で)
伝えてくれた感想の中でも、なんて言ってたかなー?言葉忘れた(ごめんなさい🙇♀️)けど、質感だけ記憶にあって、「百花さんが(気持ち・スタンス的な意味での)裸だった・・」みたいなことを伝えてくれた。
虚勢張らずありのまま曝け出しでやりたいと思ってた。
みっともないわたし、隠したいようなわたし、汚いわたし、恥ずかしいわたし、緊張してるわたし、アホみたいなわたし・戸惑うわたし・・とかとか。
さてはて、わたしはわたしのやりたいわたしでどこまでやれたかなぁ・・わっからん。
よくよく瞬間瞬間を思い出せばわかることもあるかもやけど、ぱっとはわからん。
まー終わったことは終わったこと。
やり逃げって意味じゃなく、進むって意味で。
やってる側と見物側同士
今回、わたしの実験行ったのは、一般的な劇場のように舞台と客席が分かれているような場所ではなく、見物者と実験者のわたしがフラットな距離感での公民館でやった。
客席も固定で作らず、立って見たり移動してもOKの、お好きなように、と。
ミザンスも決めず、内容ややってみることのひとり稽古内でやったこともやってないことも含めて、その場でやってみた。
あかり(蛍光灯)も1日めは、真ん中だけ付けてたけど、やってる最中に違うなと思って、2日めからは、あかりはまんま光々と付けたまんまにした。
で、1日めと2日めと比べて、3日め最終日は、それまでの倍以上の見物者がいてくれて、おめめが、肉体が、思考が、倍以上あると結構違った。
毎回違ったし、1&2日も同じく見物者が見物者も含めて見物することにはなってたけど、3日めは、それがかなり影響あったように思う。
ひとりで創作してる時に、そのへんのことそこまで深くは考えられてなかった。
それが、わかったのもおもしろかったし、それもひっくるめてやれることあるなと思った。
意味わからん
わたしの実験創作は、「おはなし」として創ってはなかった。
いわゆる、ストーリーは創らなかった。
めちゃくちゃ大きな括りでの、わたしの中でのストーリーはあった、とも言えるかも知らんけど、まぁなかったと言っていいと思う。
まだなんにもやる前から、いわゆるのストーリーを創る気はなかったし創ろうとも思わなかった。
取り立てて真新しいことやりたいとかじゃなく、こういうことを表現すんのにどうすんのがいいかなぁって視点で考えた。
わたしの持つ価値観や思考、捉え方、観念などをできるだけ排除して客観視するもうひとりの自分は、「わけわからん」と思われる可能性大いにあるな、とは思った。
ストーリーあった方がわかりやすいかもなーとも思った。だけど、わたしの中ではなんかそれだとぴとっとこなかった。
前衛的なことやりたいわけでも、ヘンにアート的なことをやりたいわけでもなかった。
結果的にそうみえたりみえなかったりあったかもやけど。
触れたかったん。
見物する人いろいろやと思うけど、だれかのどこかには。
拡げたかったし。
ミニマムなとこから遠くへ。
アンケートを読み、触れられていたんだなぁと感じられる感想も思った以上にあった。
ふわふわふわ。
しゃわしゃわしゃわ。
うれしい。
やってよかった
自信うんぬんのとこで書いたことは端折って。
アンケートフォームの中に、選択式アンケートがあって、【見物してみて、あなたの心になにかしらのいい変化はありましたか?】の問いに、「あった」という方が今のところ圧倒的多数で、その変化は様々だと思うのだけど、見物して心になにかしらのいい変化あった方が多くてうれしいし、これもまた、やってよかったなぁと思ったことのひとつ。
自分のやりたいことってのが、やってみて明確になったのもよかった。
まだなんかあった気がするし、ふと思うことあるかもと思うけど、このへんで。
見物来てくださったみなさん、ほんまにありがとう☺️
気にかけてくださったみなさん、後から知って見たかったと言ってくれたみなさんも、ありがとう☺️
読んでいただき、ありがとうございました♡