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全員、開花してくれ(俺のために)

人間、生きてる限り多かれ少なかれ周りの環境に制約される。「生きづらい日本」みたいな論調とか、「海外はもっと自由」みたいな話が巷にはよくあるけれど、ぶっちゃけ現地の感覚にそこまで差はない。確かに、日本では体感したことのない種類の自由をブーストのように注入されて、快感を得られる時期はある。でも現地になじみ、現地の人と関係を作っていくにつれ、彼らが抱える深い葛藤や「不自由」について徐々にわかってくる。しまいには、彼らと同じ目線でその不自由を共有することにすらなってくる。

特に今の時代、世界のどこにいても、どこで育っても、「社会」から受け取る不快指数は高い。海外在住日本人の人でやたらと海外を礼賛する人や、その人の言葉を聞いていて「コンプレックス」を植え付けられているような感覚がある場合、注意した方がいい。その人は日本人が日本語でしか情報をなかなか得られないことを自分のブランディングに上手く利用することで立ち回っている可能性が高い。もちろん、海外でしか得られない刺激的な経験や、それが自分を劇的に成長させることはある。僕もそういう経験を求めていたからこそ10年近く海外を転々とした。でも、だからこそ言えるのは、海外は理想郷ではないし、日本にいたら何もできないわけでもない。むしろ日本は可能性の宝庫にしか見えない。どこにいても、全ては自分次第だ。

それでも、声を大にして言いたいことがある。表題のままで恐縮なのだけれど、全員、開花してくれないか?俺のために。

「俺のため」ってあえて付け加えるのは、本気で、人のためでもなんでもなく、自分にとってみんなが開花してくれることが圧倒的にためになることだから。俺は人のためには生きていない。自分の人生を自分のために生きている。でも、他でもないその目的のために、みんなに開花してほしい。なぜなら、人々が自分を開花させるために生きている(生きられている)社会では、クリエイティブで面白いことがやりやすいからだ。言い換えると、自分が自分らしくいられるからだ。

人々が、「自分が自分であること」を妨げられ、ありうべき可能性や希望が鬱屈してしまっている社会では、足の引っ張り合いが起こりやすい。秘められた才能や面白いアイデアを持っていたり、社会的にとても意味の大きいことをやるために立ち上がろうとしている人たちが、逆に妬みの対象になったり、「どうせそんなこと無理だ」と指摘され続けて意欲を失うことが多くなってしまう。仮にそこで負けずに粘ったとしても、そこにかけなければならないエネルギーは、本来多分必要ない。体罰がいらなくなったように。スポーツの上達に過剰なしごきはいらなかったと、ようやくパラダイムが変わりつつあるように。

「才能」という言葉は垢だらけのマジックワードで、とかく古典的な意味での芸術や学問やビジネス論みたいなものに回収されがちだ。僕は「才能」をそういう意味では使っていない。そもそも、才能を「あるかないか」でとらえていない。「ある」(そう、全員)のは当たり前で、それが開花するのかしないのか、の問題だと思っている。人は才能がないからくすぶるんじゃない。くすぶってるからせっかくの才能が開花していないだけだ。そもそも、基本的には数億個が同時に解き放たれる精子の中で唯一生き残った人しかこの世には存在していない。その時点で、自分には才能がないという発想に至る意味がわからない。

才能はいつでも開花させられる。もちろん一朝一夕の話ではない。でも「才能」という言葉を一般社会での用法とは別角度から眺め、そもそも自分にそれが存在しているという前提で生きることを選んだ人には、必ず開花する時がくる。才能の内容は千差万別だと思うけれど、個人的に一番開花してるやつが少ないなと思うのは「人の話を聞く才能」。人の話を聞く、なんて初歩的なことだと思われるかもしれないけど、正直、周りに聞ける人たくさんいますか?人の話を聞ける才能って、すごくないですか?人を(ひいては自分を)幸せにすると思いませんか?伸ばし甲斐があると思いませんか?僕が言ってるのはそういうことです。

人が生存するために必要なことなんて、実はほとんどない。僕らが普段求めていて必要だと思っているもののほとんどは、全く不必要なものだ。パソコンもスマホも高い財布もビルもショッピングモールもゴルフ場もいらない。無形のものも含め、不必要なものを得るために時間を使わせ、自分自身を開花させることができないように、今の社会は巧妙に設計されている。そしてそれは、繰り返すが世界のどこに行ってもそれほど変わらない話だ。僕自身が、自分をいかに開花させることができるか、もがき苦しみながら考えてきた。自分にどんな可能性があるのか、何ができるのか、わからずに長い間迷いながら進んできた。唯一ブレずに守り抜いてきたのは、自分には何かできることがあると信じ続けること。それを開花させながら生きること。

屈託なく、その人が本質的にその人であり続ける。そんな生き方ができている人は、同じような心構えで世界に存在している人たちの足を引っ張ったりしない。むしろ勇気を与え合い、高め合うはずだ。だから、全員、一緒に開花しよう。俺のためにな。


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