居残り人事
居残り人事
皆様方は会社勤めでらっしゃいますか?昨今は会社に縛られない生き方ってんで独立される方も多くいらっしゃいます。何者にも縛られず、己の看板で腕っぷしで稼ぐ渡世、日々ご苦労様でございます。
とは言え会社員稼業も楽ではございません。人事通達が出される日なんて物は冷や汗でございます。何処そこへ異動せい、誰某が昇格降格だの…へえへえ、そんなに動かしてなんかいいことあるんですかねえ。
そもそも何を見て人を将棋のように動かすのか。それこそ将棋のように…
あいつは斜に構えてるから角だ
あいつは後ろに引けねえ香車だな、ただあっちの方はヤリ手だね
なんて具合でしょうか。
今日はちょっと会社の中のおかしな人の具合についてのお噺し。
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とあるブランドのとあるお店、日本に初出店てことでそれはそれは盛況しました。何事にも人足がいるってんで右から左から質を問わず人を集めちまったようでございます。
「おう、相棒、今日も、えっへへへ、やってるね。おう若いの、ご苦労様だねえ。やってる?おうやってる励んでるねえそうでなくちゃ。」
この男、平 次春(たいらつぐはる)と申します。歳の頃は三十路過ぎ、量り売り十把一絡げで会社に潜り込んだ謎の男。誰某かの知り合いの知り合いとかの触れ込みでございます。
「おはよー、さっ今日も仕事と行きましょうかね。どれメールを、と…お、溜まっているねえ。金は一向に貯まらないのにこっちはどうだい…えっへへw」
面接らしい面接もなく紹介なのをいいことに、有る事無い事針小棒大のたまうこの男、普段は何をしているのかさっぱりわからない。
会社の上役が
「平君、君の担当店舗の売り上げが伸びて来ないぞ。どうなっている?」
と聞こうものなら
「へい。どうなってるとおっしゃられましても。従業員一同必死でやっておりますので、もう今日にも反撃の狼煙がバッ!っと上がりますから。それはもう大仙、土浦の大花火ってくらいにどんと参りますので、乞うご期待。ってなもんでございます。」
と、返してくる。
それでも上役引くに引けないので
「今月末には回復傾向か、その兆しがないと困るよ!」
と被せる。
それに対しても。
「上役、私もね…看板背負ってやってます。私のね可愛い従業員員たちも前向きにやっているわけです。前向きに進むその姿勢が回復傾向じゃないわけないじゃないですか!
おっと、思っただけで目頭が…あい、すみません。けどね!それくらいやっておるんです!」
と堂々たる立ち回りでございます。
そのくせ配下の従業員には割と辛口で、たまに担当の店舗にやってきては
「お前さん、いまのお客様もうちょっとやれたんじゃないのかい?寿司屋でマグロと言われてマグロだけ出すなんて二流も二流ですよ、
そこは、旦那お目が高い、マグロとはお目が高い。ですが只今は夏の盛りでございます。手前の方でキュッと〆たサバがございます。そいつで地均ししつつ、先ほど手前の寄り合いで仕入れたいい酒がございますから、そいつをクッとやっていただきまして、その後サンゴのように赤いマグロをやっていただきたいな、なんて思うわけでございます。
と、これくらいして初めて見習いですよ。」
なんて偉そうな講釈をぶちかます始末。この男の舌にはモーターがついていて無限に回転するのではないのかというくらいの口八丁。
ただ、不思議と完全に的外れなことは言わないところがこの男の魔力なのでございます。
魔力はあってもなかなか上手くいかないのが世の常、担当店舗はなかなか業績が上向いて参りません。ある日、また会議でその話題になりました。
「平君、そろそろ具体的な改善点をレポートにしてくれないか?」
上役の上役が渋い顔を更に渋くして平を詰めます。
「へい、まさにお耳に入れようと思ってたところでござんす。ただ、店舗の連中の頑張りもございます。少しお時間を頂戴できませんか。連中も歯を食いしばってやってますので、私の口から
てめえら、手を止めてレポートを出しやがれ
とは、とてもとても、申せません。
ですので、ここは曲げてお時間を何卒…何卒ッ!」
こう来られては上役の上役も
「そ、そうかえ…ただね平君。本国からの目もありますからね。頼みますよ。」
と引き退らざるをえないのです。
責められるたびに絶妙に矢面に立たないようにする立ち回り、まるで九郎判官義経の如しでございます。
こんなような男が営業と人事を兼ねたような仕事をしているわけですから、それはもう領収書の凄惨さたるや空いた口が塞がらないそうです。
ある日、経理の人間が
「平さん、この飲食を経費精算するのはちょっと…」
と苦言を呈すると
「ほ!なんですかあんた、あたしに勘定しろってんですかい。えぇええ、構いませんよ。懐に困っているわけじゃないんだ。ただね、あたしは看板のことを考えてるんですよ、看板わかりますか?」
「はぁ?」
「はぁ?じゃありませんよ!私ら営業は世間様に向けて商売してるんだ、ここでペーペーの営業がたかが二千三千円の飲食費を自腹で出してごらんなさい!世間様はこう思いますよ。
ああ、あそこの看板は、ケチだねサビだね、もう看板だね、
とね。」
「はぁ」
「ですから、えぇ構やしませんよ。そしたらこの請求は引き下げやしょ、ええ私が泥飲みましょ。あんたそうおっしゃるわけだ。仮に考えてごらんよ
おお平、2000円で2000万の話もってきたな
この可能性があるってのに、あんたドブに捨てるんですかいー?えぇ!?」
「はぁ、はいはい、また後日。」
「投資マインドですよ経理のお姉さん、ドンと大きく出なきゃガンも大きく返りませんからね。」
「あたしゃあんたの口上に凍死しそうですよ。」
「なんか、のたまったかえ?」
「はいはい、こっちの話です。」
そんなこんなな翌る日でございます。会社の風向きもずいぶん変わって参りました。悪くはないのですが良くはないってなりますと、自然アラを探したくなるものです。
上役の上役は空気を変えるために、他所の問屋の腕利きの人間を入れるようになります。
放蕩気味だった諸々が改まり、粛清の風は平にも吹き始めるわけです。
「平さん、少しお時間よろしくですか?」
髪もスーツもノリが効いてパリパリと音がしそうな腕利き、名前を木曽(きそ)と申します。
「こいつは木曽の旦那、少しというのは如何程で?」
「お時間は取らせませんので場所を変えましょう。会社のそばの喫茶店へお越しください。」
「へいへい。」
そういうと木曽はセンスのいい靴をカンカンと言わせながらオフィスのエレベーターホールへ、追いかける平は動きやすいとかいう理由でスニーカー、音を立てずにひょこひょこ。
このブランドのオフィスはオシャレな街の一等地のビルの高層階にある。平にはフロア違いの芸能事務所の練習生に手を出しているとかいないとか、そういったところも抜け目がありせん。
ビルのそばにある喫茶店
ファーストヒルズベーカリーと申します。
オープンテラス、言ってしまえば外で飯を食える構えをしておりますが、木曽は平を店内の一番奥へと迎えます。
金髪のウェイターが無表情に水とメニューをテーブルに置くと、木曽は無表情にアイスコーヒーを注文し、平は
「昨日の酒がまだ残っております。ここは迎え酒ならぬ迎え酒ビールと参りたいもんですが、なにぶん勤務中ですのでアタクシはこのフルーツパフェと参りましょう。」
「では、その二つで。」
木曽がメニューをウェイターに返す、平は水をまずそうに飲んでいる。
「では、平さん…さっそくですが、当社の現状と展望についてミーティングさせていただきます。」
「オッ、展望たぁいいですね。前向きに参りましょう。」
「これまで何度か伺いましたが、担当店舗の不振についてなぜレポートを提出されないのです?」
「へえ、それに関しては中長期的眼線で動いておりまして。なにぶん我々は新しい旗揚げでございますので、一日一か月の進捗追うよりももっと長い目で見たいなと考えておりまして。」
「ほう、なるほど…そういった行動指針はどちらで学ばれました?」
「どちらも、こちらもそりゃ前職ですとか前々職ですもか性分でしょうよ、違いますかい?」
不穏な空気の最中、さっきのウェイターがコーヒーと中身がきっちり色分けされて渦を巻くパフェを持ってきた。
木曽はコーヒーに砂糖もクリームも入れないどころか口をつけようともしない。パフェを食べようとスプーンを持ち上げたところに
「ほうほう、それはどちらの前職で得られましたか?具体的にご教示いただけますか?」
と切り込んだ。
「こいつはどうも、疑りが深えや、木曽の旦那、アタクシ、こちらのパフェを食べてからでもよろしゅうごんすか?」
「…どうぞ…」
そういうと、てっぺんにあるサクランボを残しながら下の方にあるアイスクリームやフルーツをすくって食べ始めた。
「平さん、ここだけの話、あなたの仕事ぶりに疑問の声が挙がってます。」
「ずるずる、甘えなこりゃ…はいはいなるほど。」
「あなたの履歴書拝見しました。素晴らしいご経歴だ。L社にH社にG社、歴任されている。私もこの業界で知人は多いですが、不思議な話があるんです。」
「かー冷てえなこりゃ、バナナが凍ってやがる…はいはいなんざんしょ。」
「あなたのこと、私の知人誰も知らないんですよ。」
木曽の語り口にも熱が入る。コーヒーは湯気を失ってとうにぬるい飲み物に成り果てております。
「そらそうよ。」
一方の平は器用な食べ方で下半分を食べ尽くし、残るのは上の生クリームとサクランボだけになっております。
「平さん、どういう意味ですか?」
「あんさんの知人がアタシのことを知らない。そらそうよ、と申しているんですよ。」
「…?」
「察しのぬるい男だね、そこのコーヒーと一緒だね。前職の経歴なんざ切って貼ってきたもんですから。ないんですよそんなもん。ないの。ナッスィング。ゴースト経歴なんてねw」
顔色を一切変えずに答える平に対して、逆に木曽の方が脂汗。
「まぁそんな顔色しなさんな、ゴーストですが化て出てるわけじゃない。手足もございますし働けますよ、今のまま働こうなんざ申しませんよ。降格なんてのはどうです?そうだ店舗の一般スタッフへの降格なんてよろしかろう。何処の馬の骨よりかは顔の知れた幽霊の方がいいでしょ、ね?」
「……は、はぁ。」
残った生クリームをペロリと食べてグラスにはサクランボだけが残っております。
「いきなりクビにしたんじゃ、他の社員も驚いちまいます。残した方が懲罰感も出てあんたの手柄になりますから、さ、さっそくやりましょう。どうぞどうぞ。」
すっかり緩くなったコーヒーをすすり、平が渋々了承。
「へぇ、どうも。じゃアタシの方はデスクを片付けますから。現場に出るからにゃしっかりやりますので、改めてよろしくどうぞ。あ、ちなみにサクランボ食べますか?こいつもどうぞ。
アタシはね乗っかってるだけのお飾りは嫌いなんで差し上げますよ。
エッヘヘヘ。」
そういうと平は喫茶店を引き上げて行った。当然、会計は木曽持ちでありました。
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木曽の尋問にあっさりと経歴詐称を白状し、自ら店舗のお手伝いの丁稚奉公に身を投じた平。配属先はかつて勤務していた本社と目と鼻の先の煌びやかな路面店。
当然のことながら店舗の売り子スタッフは腫れ物を触るような有様、それもそうだ昨日まで命令下ろして偉そうにしてた人間がいきなり丁稚奉公っつたって、戸惑うなというのが無理な話。
店の女性スタッフなんかは恐れをなして目も合わせない。
多少は堪えたかと思いきや、当然のことながらそうは問屋が卸さない。最初のうちは殊勝にも掃除なんぞをしていたが、そのうち周囲にも話しかけるようになってきたもんだ。
「俺が掃除しますと、どうです?気の流れが良くなるんですわ。気が良くなると人流れも良くなるってんでね。繁盛の基本のキですな。ケケケ。」
なんて軽口を叩くようになる。
店の方も暇な時は徹底的に無視を決め込もうとしたが、どういうわけかこの男が来てからというものの閑古鳥が鳴いたことがない。
売り子連中も一生懸命やっておるわけですが、どうも混み合うと息も絶え絶え汗もだくだく。混雑の波が終わると、お互いの悪いところを陰口叩き合う。そのくせ上役の前ではヘコヘコとしちまう小物揃いにゃ荷が重い。
平は実際にその有様を見て、何かを感じたのか徐々にお客の前に出るようになります。
ある日のことでございます。
混み合って店内に入れないお客が溢れて列ができてしまいましたところに平が現れ。
「へい、こちらへお並びくだせえ。あいすみませんどうも手前どもの手際が悪くて、こちらへ品よくお並び頂けますか?ええ品の悪い方もこちらへ…はいはい。」
なんて客あしらいをはじめた。すると客の方からもクスクスと笑い声が漏れ始める。
一客終わった様子を見ると
「はい、先頭のお兄さん方お待たせしました。こちらを出られる時は手提げの袋がたっぷりでしょうから、入る前に肩と手首回しといて下さいや。さぁ張り切ってどうぞ。」
なんて事を言い始める。そのくせ筋者と思われるような荒くれ者には
「はい、大変お待たせをいたしました○○様。お顔とお名前はかねがね…本日、担当のAはおらんのですが、きっちりやりますので。○○様がお越しの折には女どもがいろめき立ちやがりますので…へえ、どうぞごゆっくり。」
などと切り替えて口上はじめる。不思議なことにこの男、一度見た客の名前と好みと、その担当を覚えてしまう。
そんな調子なもんですから、列に並ぶ客の中にも
「あんたが担当してよ。」
なんて客がちらほらおいでになるわけです。これには当然のことながら他の売り子どもは苦い顔…
さらに翌る日
そこそこ混んでいてそこそこ暇な日曜日、売り子が全員お客についてご相伴してるとみるやフラリと売り場に現れる。
店の中をふらふらと見物してるこわもての中年男性に声をかけた。
「どーもいらっしゃいやし。」
「…」
「旦那は今日は見物で?あたしら汚い商売ですんで旬のものは引っ込めておりやす。見物ならあたしは引っ込みますが?」
「なんだあんたは」
「へえ。あっしは首の皮一枚の売り子でございやす。旦那、他のやつと目つきが違うね。知ってる方だと見込んでお声をかけておりやす。」
「なかなか面白い奴だな、俺はこういった肩肘張った店が好きじゃあねえ。ざっくばらんに見てえから放っておいてくれろや。」
「肩肘張っちゃあお疲れだ。こちらに椅子がございますからお掛けくだせえ。座っちゃあ店も回れますまい。あっしが代わりに回りましょう。」
「お前さんが回ってどうするんだい。わかったわかった。ちと若いもんに手土産をな、どうにも勝手が分からんといった次第よ。」
「さすが旦那、お抱えの若いもんに手土産たぁ…このご時世なかなか出来ることじゃございやせん。数もやはり十や二十じゃありますまい、店ん中空にする構えでやらしていただきやす。」
「バカ言うない、二、三個でいいんだよ二、三個で。」
「またまたご冗談を、さっきから財布の唸り声が聞こえてきますぜ。」
「零細経営者捕まえてよく言うぜ、まぁ、、あんた名前は?何てんだ。」
「平でございます。」
「平さんよ、あんたの好きに見立ててくれや。天井はねえ。頼むぜ。」
「へいへい。おまかせを。おひねりまで、こいつはどうも、、ひひひ。」
てな具合で、どんな客であろうと、最後には両手一杯の買い物をして帰る。
「あのチンピラはいるか?」
などど、指名が入ることも増えてきたもんですから驚きです。
平の不思議な力は客あしらいだけには留まりません。
ある日、店の若い男のスタッフがとんでもない不始末をしでかした時でございます。すったもんだの末に詫び状を書くことになった。
ネットを切り貼りしながら文言整えてようやくできて、さあ清書となって青ざめた。
字が汚ねえんです。
ミミズが這ったような字の奴、丸文字のやつ、揃いも揃って悪筆揃い、さぁ困ったってんで泡食っております時
「なぁにやってんだおめえさん方は、ちょいと見せてみな。」
てな具合で手本の書をつまみ上げると、するりするりとしたためて、ちり紙でも渡すように突っ返した。
なんだチンピラがイタズラ描きでもよこしたかと見てみて、さぁ驚いた。
見るも見事な書であります。
時節の挨拶から、詫びの文言の流麗さ、そして何より文字の美しさたるや驚き桃の木山椒の木ときたもんだ。
これには店の長も苦虫を潰したような顔をして平に礼を述べたそうです。
こうなると面白くないのが他の売り子どもだ、せっかくやってきても美味しいところを全部掻っ攫われる。これまでは足の引っ張り合いで何とかなってきたが、今度は相手が悪すぎる。
恐れをなした売り子集は、寄り合って上役に泣きついた。
「あいつがいたんじゃ仕事にならん。」
「あいつが売り上げ掻っ攫う。」
「あいつはしゃべってばかり。」
有る事無い事文句が募り、しまいには
「あいつがいるなら、あたしらは引き上げる。」
なんてことを言い始めた。
これには流石の本社連中も困りあぐね、最後の頼みとばかりに社長の懐刀にまで上り詰めた木曽を頼った。
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またまた呼び出された平
注文するのは先方はコーヒー、平は同じくフルーツパフェ。飲み方も同じく、木曽は飲もうとせず、平は下の方から食べはじめる。
「平さん、何で呼び出されたか、お分かりでらっしゃいますか?」
「お褒めじゃあなさそうですね。」
平然と言ってのける。
「単刀直入に申し上げる、これまでの経歴詐称やなんかは当社一切漏らしませんので、お辞め頂きたく…」
「ほう、今度はぬるくない物言いだ。」
「男の頼みだ、次が見つかるまでは居ていただいて構いません。どうか、どうか…」
「面あげてくださいや、あんたがそこまで言うってこたぁ、あんたの一存じゃあないね?」
「それは…申し上げられません。」
「ええです、ええですよ、あんたも苦しい立場だ。アタシも男だ、呑んで差し上げましょう。」
サクランボを残したパフェのグラスにスプーンをカラリと放り込みさらに続けた。
「はぁ、ここのパフェは美味しいね。追い出しがてらもう一杯いいかね?あと、あんたタバコ吸う?」
「吸いますが何か…?」
「あ、そう。ちょっと吸いたいんですけど、数本頂いていいかね?」
「…どうぞ…」
「はいはい、ハイライトね、、はいどうも。いいライターだねデュポン。へぇさすがにセンスがいいや。」
「…」
「木曽さん、最近家に帰ってないね?」
「はぁ?」
「いやね、あんたに久しぶりに会ってあたしゃ楽しい。ただこないだと違って靴が汚ねえ。外泊したね。それと、あんたと同じ匂いを、今日店の女から嗅いだような…」
「そ、そのデュポンよろしければお持ちください。」
「そんなつもりじゃないんだけど、ハイライト、あんまり好きじゃあないんだよねえ。ただ財布を店に置いてきちまった。どつしたもうかねえ。」
「こ、これでコンビニで買われては」
千円を渡して寄越す木曽、男前もぐちゃぐちゃである。
「やだねえ、あたしゃ脅してるんじゃありませんよ。そしたら立つ鳥なんとやらだ、今日から店仕舞いの支度して、ごきげんようといきましょう。」
「あ、お兄さん、金髪のお兄さん、パフェ出すのちょいと待っておくんな。あたしゃタバコ呑んできますから、それからでいいからね。ゆっくり作っておくんな。」
こないだの金髪のウェイターがクスクス笑いながらパフェを作っている。
木曽は黙ってぬるいコーヒーに口をつけた。
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
それからしばらくして平はサッと退職した。
最終日には送別会もなく、本当に跡形もなく去っていった。平を指名する客は残念がっていたが、やがて同じような日々が戻っていった。
いつぞや不始末をしでかした若い男の売り子が昼飯がてらにあの喫茶店に行くと、堂々たる姿でパフェを食べてる平を見つけた。
「た、平さん…」
「おう、兄ちゃん久しぶりだねえ、どうだい相変わらずシケたツラだね。」
「あの、店では言えなかったんですけど、こないだの不始末の時はありがとうございました…」
「あー?忘れちまったよそんなこたぁ。」
「店の人はなんか、平さんクビにしてやったとか手柄みたいに言うもんで…なんかそれって、おかしいなって思いまして…」
「けけけ、連中のしそうなこったな。」
「た、平さんて何者なんですか?」
「あたしかい?あたしゃ居残りさ。居残り稼業だよ。」
「居残り、、、?」
「まぁおたくのところで稼げるだけ稼いだってこと。付け加えるんなら、おたくらの会社はこのパフェと一緒よ。」
「…パフェ?」
「大甘だってことさ、けけけ。」
「…。」
「まぁ、あと兄さんのために言ってやるわ。
あたしは頭を使った
あたしは名を売った
おたくらはごまを擦って
おたくらは媚を売った
あたしからすりゃ
おたくらの方が居残りに見えるてなもんよ。
けけけ。」
面食らった若い売り子、そういえば注文するのを忘れていた。
「すみません、コーヒー、ブラックでお願いします。甘いの嫌いなんでシロップいれないでください。」
おしまい
補足
元ネタは居残り佐平次といいます。古典落語でも屈指のトリックスターの活躍が楽しめます。三遊亭圓生さんの動画をご覧いただきたく存じます。
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