「役に立ちそう」で選ばない
あるオンラインのセミナーに参加したんだけど、
そもそも申し込み前から「違和感」があった。
(雰囲気が自分とは合わなそうだなぁ)
(これを目指したいのかといわれるとちょっと違う)
と心の奥底では気づいてたのに、
(でもなんか役に立ちそう)
(みんないいって言ってるし)
(まあ無料だし、とりあえず出てみるか)
と頭の声で違和感を見て見ぬふりしてしまった。
いや、見て見ぬふりというよりは、
違和感には気づいていたけれど、
それが本物なのかどうか自信が持てなくて、
実験してみたかった、のだと思う。
確固たる違和感をからだで感じているのに、
(でも良さそうに見える・・・私が間違ってるのかも)
と、感じている違和感を信じられなかった。
*
からだはとても正直で、
開始まもなくギューッと首肩が緊張しだした。
(ちがうちがう、これじゃないんだ)
と訴えてくる。
やっぱそうかー、違ったんだなぁと思いつつ、
でもせっかく出席させていただいたので、
からだにごめんねと謝りながら
どうにかこうにか2時間。
で、終わって、画面を落としたら、
「うわーーーーーーー!!!!
しんどかったーーーーー!!!」
って思わず声が出た。
ガッチガチになったからだにごめんねと謝ると、
「shinfra(近所の美味しいお店)のケーキを所望する!
しかも1つじゃない、2つだ!!」
とのことだったので、
「うん、この緊張度はそれに値する」
と合意して、
そのまま自転車で飛び出した。
*
「役に立ちそう」とか、
「みんながいいって言ってるから」
「知名度があるから」
「タダだから」
で選ぶのはキケン。
いや、それでうまくいく人もいるのかもしれないけれど、
わたしの場合はことごとくこれで失敗してきた。
(厳密に言えば失敗ではないのだけれど、
遠回りはいっぱいしてきた。)
いつだって、やっぱりうまくいくのは、
心の底から満足するのは、
「それが、のどから手が出るほど欲しい」
というからだの感覚で選んだとき。
思考が欲しているのか、
ハートが欲しているのか。
それぞれの体感覚の違いを知るのに
本当に長い時間がかかった。
会社員してたころなんて、
思考で選択する経験しか
人生でしたことがなかったから、
「こうすれば評価されるだろう」
「これはキャリアに役立つんじゃないか」
という、
「役に立つか立たないか」
の軸でしか物事を選べていなかった。
だからいつもとっても疲れていた。
常に疲れすぎていて、
自分が疲れていることにも気付いていなかった。
へろっへろになりながら
「これをやってる私が好き!」だと思ってた。
「これで私は役に立ってるんだ」と思いたかった。
*
ひさびさに「あの頃」の疲れを思い出した。
どんなにやりたいと思っていても
好きだと思っていても、
やったあと、ぐったりするような疲れ方をしているならば
それは本当にやりたいことではない。
今回のセミナー、もちろん有益な情報もありました!
というか、有益な情報しかありませんでした!
ただ、わたしは今それを求めていなかった、というだけ。
いつもつい、「場違い」なところに飛び込んでしまうのだ。
*
「役に立つか立たないか」
で選んできた時間があまりに長いから
「役に立ちそう」
と思ってしまったものを手放すのは
大変に勇気がいる。
タダだったりするとなおさらね。
損得勘定のまったく根深いこと。
*
わたしが「役に立つかたたないか」以外の
選択肢に気付くことができたのは、
ガチガチに固まっていたからだが
ボディーワークでほどけていくとともに
ガチガチに固まっていたマインドも
ほどけてきてからのこと。
面白いくらいここは
リンクしている。
「違和感」の答え合わせとして
良い経験でした。