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「役に立ちそう」で選ばない

あるオンラインのセミナーに参加したんだけど、
そもそも申し込み前から「違和感」があった。

(雰囲気が自分とは合わなそうだなぁ)
(これを目指したいのかといわれるとちょっと違う)

と心の奥底では気づいてたのに、

(でもなんか役に立ちそう)
(みんないいって言ってるし)
(まあ無料だし、とりあえず出てみるか)

と頭の声で違和感を見て見ぬふりしてしまった。

いや、見て見ぬふりというよりは、
違和感には気づいていたけれど、
それが本物なのかどうか自信が持てなくて、
実験してみたかった、のだと思う。

確固たる違和感をからだで感じているのに、

(でも良さそうに見える・・・私が間違ってるのかも)

と、感じている違和感を信じられなかった。

からだはとても正直で、
開始まもなくギューッと首肩が緊張しだした。

(ちがうちがう、これじゃないんだ)

と訴えてくる。

やっぱそうかー、違ったんだなぁと思いつつ、
でもせっかく出席させていただいたので、
からだにごめんねと謝りながら
どうにかこうにか2時間。

で、終わって、画面を落としたら、

「うわーーーーーーー!!!!
しんどかったーーーーー!!!」

って思わず声が出た。


ガッチガチになったからだにごめんねと謝ると、

「shinfra(近所の美味しいお店)のケーキを所望する!
しかも1つじゃない、2つだ!!」

とのことだったので、

「うん、この緊張度はそれに値する」

と合意して、
そのまま自転車で飛び出した。

「役に立ちそう」とか、

「みんながいいって言ってるから」
「知名度があるから」
「タダだから」

で選ぶのはキケン。

いや、それでうまくいく人もいるのかもしれないけれど、
わたしの場合はことごとくこれで失敗してきた。

(厳密に言えば失敗ではないのだけれど、
遠回りはいっぱいしてきた。)

いつだって、やっぱりうまくいくのは、
心の底から満足するのは、

「それが、のどから手が出るほど欲しい」

というからだの感覚で選んだとき。

思考が欲しているのか、
ハートが欲しているのか。

それぞれの体感覚の違いを知るのに
本当に長い時間がかかった。

会社員してたころなんて、
思考で選択する経験しか
人生でしたことがなかったから、

「こうすれば評価されるだろう」
「これはキャリアに役立つんじゃないか」

という、
「役に立つか立たないか」
の軸でしか物事を選べていなかった。

だからいつもとっても疲れていた。

常に疲れすぎていて、
自分が疲れていることにも気付いていなかった。

へろっへろになりながら
「これをやってる私が好き!」だと思ってた。
「これで私は役に立ってるんだ」と思いたかった。

ひさびさに「あの頃」の疲れを思い出した。

どんなにやりたいと思っていても
好きだと思っていても、

やったあと、ぐったりするような疲れ方をしているならば
それは本当にやりたいことではない。

今回のセミナー、もちろん有益な情報もありました!
というか、有益な情報しかありませんでした!

ただ、わたしは今それを求めていなかった、というだけ。
いつもつい、「場違い」なところに飛び込んでしまうのだ。

「役に立つか立たないか」
で選んできた時間があまりに長いから

「役に立ちそう」
と思ってしまったものを手放すのは
大変に勇気がいる。

タダだったりするとなおさらね。
損得勘定のまったく根深いこと。

わたしが「役に立つかたたないか」以外の
選択肢に気付くことができたのは、

ガチガチに固まっていたからだが
ボディーワークでほどけていくとともに
ガチガチに固まっていたマインドも
ほどけてきてからのこと。

面白いくらいここは
リンクしている。

「違和感」の答え合わせとして
良い経験でした。

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