【Vol.12】ちえりの独り言:拘束衣、ボンテージは着ぐるみ
うちの店の衣装は、基本的に赤と黒のボンテージだ。ボンテージとは革やエナメル、ラテックスやPVCなどの光沢のある素材の露出度が高い体にフィットした衣装のことで、元は拘束衣という意味である。
店のオーナーはいわゆる水商売というようなイメージを嫌っていて、内装も牢屋を模した鉄格子や派手な色合いのソファを使っている。それに合わせて、女達の衣装もロングドレスやスーツなどではなく、ボンテージを着させているそうだ。
ランジェリーパブまでいかないが、露出度の高い衣装を普通の女の子が着ているというのも、男心をそそるポイントらしい。わたしもいわゆる水商売というような衣装や内装は好みではないので、この店のスタイルがなかなか気に入っている。
しかし、ボンテージを毎日店で着るのは、なかなかに大変である。
肩や腹、背中や二の腕が丸出しになる上、店の中は鼻の下を伸ばした酔っ払いの熱気のせいで、常に冷房ががんがんについている。客達はスーツなどを着ているからいいかもしれないが、わたし達の衣装は、水着に毛が生えた程度の表面積しかない。そんな中で、会計を吊り上げるためにドリンクをたくさん飲むのはきつい。おかげでわたしの体は慢性的にむくみ、冷え性だ。仕事が終わる頃にはガーターで吊り上げた網タイツの跡がくっきりと足に残る程である。
更に、ボンテージは冬は寒く、夏は汗で体に張り付いて鬱陶しい。うちの店の更衣室は上階に続く階段を仕切って無理矢理に作ったものなのでとても狭く、冷暖房などはもちろんついていない。そんな中、夏場、駅から足早に向かって汗をかいた体にボンテージを纏うと、出勤前から客達の視線が体に張り付いたように感じられて、どっと疲れるのだ。
また、ボンテージに合わせた鋭角的なラインのエナメルのピンヒールや、太ももの付け根近くまである長いPVCのブーツは、素材が素材だけにとても蒸れる。夏場など我ながら、いくら香水と媚を振りまいていても靴を脱いだらこの匂い、と自嘲してしまう程だ。
しかし、そんな風に店の衣装に文句をつけているわたしだが、この衣装には利点があるとも思っている。それは、この非日常的な衣装に着替えることによって、わたしが店の女『ちえり』になりやすい点だ。
キャバクラは大人の遊園地だ、とよく言われる。そして、勤める女達は遊園地のキャラクターだ。そして、ボンテージは着ぐるみのようなものなのかもしれない。非日常の、普段なら袖を通すことどころか、ショップで手に取ることすらしない服を着る。それと同じように、わたし達は、初対面から胸の谷間に手を突っ込もうとするような普段なら話すこともない人間に「そんなの人前でされたら感じちゃうから恥ずかしい」などと言い、相手の手の動きを封じるために両手で手を握り、上目遣いで「○○さんのせいで酔ってきちゃった。もう一杯飲んでもいい?」と言い放つ。
それができるのは、わたし達が大人の遊園地に勤めるボンテージの着ぐるみを着たキャラクターだからだ。
けれど、時々思う。今、この世に着ぐるみを全く着ていない人間なんているのだろうか。
渋谷方面に向かう列車はわたしの通勤時間にはがらがらで、その代わりに下り方面の列車は満杯だ。誰もが疲れ果てた灰色の顔で重い体をぎゅうぎゅうと車内に押し込み、携帯の画面だけを眺めて、せめて自分の領域を守ろうとしている。その誰もが、幼い頃からこのような生活をしたいと願っていたわけではないだろう。ボンテージを着て、酔客の相手をする私と同じように。
今日もわたしはボンテージという着ぐるみを纏って、下心満載の男達の鼻の下を伸ばし、金を稼ぐ。裸の心も体も男の前で見せたことはここしばらくない。
次回からは、わたしが店やプライベートで見た男だちの話を書いていこうと思います。来週もよろしく。
かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき
※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。
小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。
このコラムはここで一度『ちえりの独り言』を挟んで、今度はちえりが見た男たちの話に移る。
noteではナンバリングしてないけど(今はナンバリングしました)、前回でちょうど「11人の女」を出し終わったので、今度は「11人の男」を出そうかな、と。
しかし、読み返してものの見事に書いた内容を忘れている自分にびっくり。
このコラムの、
「キャバクラは大人の遊園地、そこにいるわたし達は偽物のキャラクターを演じる演技者で、お客はその演技にお金を払っている。そのことを納得ずくの上でわたしはここにいるけれど、偽物のキャラクターを演じ続けるうちにどんどん自分が消えていきそうで怖くて、けれど、本当の自分を出すのも怖い」
という感覚は、このコラムでも小説でも通底している部分で、まあ、それは前にも話した、要は「青春のダークサイドモラトリアム」なんだけど、今となっちゃあ、「んじゃ、飛び込めよ」と言うしかない。
小説版は、そのわたしが飛び込む決意をするまでの、不思議な成り行きについて書いています。読んでね♡
加計呂麻島で暮らして10年。最近のわたし=加計呂麻島で暮らすわたしにどうしてもなり、この10年で島暮らしについてのコラムがバズったり、Yahoo!移住でインタビューを受けたり、島の風景とともに撮った写真がInstagramやFacebookでバズったりしたから、「三谷さんは都会の生活に疑問を抱いて、島で暮らすネイチャーでロハスな人」的な印象を持たれがちだし、まあ、実際10年島に住んでるしね、というところもありますが、まあ、わたし、変わってないのよ、別に。
いつだって、今、楽しいのがここ、と思って生きているだけよ。
そして、本当に愛した相手と物事には、精一杯で対峙したい、し続けたいって思ってるだけだよ。
I Will Always Love You.
ってことです。ドリー・パートンの名曲ですね。ホイットニー・ヒューストンがカバーした曲がわたし達の世代では馴染みがあるかな。
このPVのホイットニーが本当に美しい。映画『ボディガード』が公開されたのはたしかわたしが小学生の頃。うろ覚えだから今度もう一度見ようかな。
で、全然英語ができないわたし(Google翻訳で全部なんとかなってる)なので、日本語歌詞を検索してみたら、この曲って別れの曲なのね。全文は上記引用先のブログをご覧ください。
別のブログの解説文はこちら。
このPVの解説、映画のシーンそのままのはずだけど、最後、結局ふたりはどうなったのかさっぱり忘れている……!
と思ったら即Wikiで検索するわたしです。ネタバレがいやな人もいるだろうからリンクは貼りません。
まあ、あらすじを見て思ったのは、
「あれだ、危機的状況下で出会い、それを切り抜けるために出会った組み合わせの人って男女問わずいて、ただ、その場合『危機的状況下を切り抜ける』のが目的だから、『危機的状況』が終わったら役目がなくなるんだよね。これは、感情としては切ないし、寂しいけれど、人生としてはなんかもう役目終わりというか任務終了というか。それって、もうしょうがなくて、ただ、もう、『ありがとう、さようなら』しかないんだよね」
ということでした。ネタバレしないと言いつつほぼネタバレ。
わたしが書いたコラムで言うと、
このコラムのモデルになった女の子がそれにあたります。
なんで、この週末でスピードアップして更新しているのか自分でもわからなかったのですが、スピンアウトコラムの女性のターンを、今週で終えたかったからなのね、と納得。わからないまま、走り出す人生です。
次からは男性のターン。引き続き、気の向くままに更新していきます。
それじゃあ、またね!
いただいたサポートは視覚障がいの方に役立つ日常生活用具(音声読書器やシール型音声メモ、振動で視覚障がいの方の歩行をサポートするナビゲーションデバイス)などの購入に充てたいと思っています!