【Vol.9】美容に月10万円以上かけるスイーツな女:萌
スイーツという言葉が生まれてずいぶん経つが、そう呼ばれている女はその意味をほとんど理解していない。女性誌が洋菓子、和菓子、果物全般をスイーツと言い換えたことから、メディアに踊らされやすく、雑誌やテレビに書いてあることをそのまま実践する女を揶揄する意味でスイーツと呼ばれるようになったらしい。だが、この説明だけではスイーツがどんな人間かはさっぱりわからないだろう。
今、ちえりは目の前に座る萌を見ながら、これがスイーツというものだろう、と感じている。
A story about her:萌
萌は23歳でちえりと同い年だ。大学を出て大手の商社に入社し、希望通り広報に配属された。爪も髪も、もちろん服もいつでも一分の隙もなく完璧で、聞けば一ヶ月に一度は美容院、ネイル、睫のエクステンション、フェイシャルエステをまとめてする日があり、それには丸一日かかるそうだ。美容にかける金額は毎月10万円を越え、萌いわく「実家だからやっていける」そうである。
「これだけお金と手間隙をかけてるんだから、男にちやほやされて当然でしょ」
萌は、ウェイターが注ぐ白ワインを飲みながら、そう話す。スイーツというものは、男が女の機嫌をとって当然だと思っているものらしい。萌の発言は、まさにスイーツだ。そう思いながら、わたしは、萌の言葉に同意も否定もせず、ワインを口に含んだ。
しかし、そんな風に自分の魅力に自信を持っている萌はついこの前、こっぴどい失恋をしたばかりだ。酒が進めば、その話も出てくるだろう。そう思いながら、私はどんどんワインを注いだ。案の定、白ワインが空く頃、萌は語り出した。
萌が、数年付き合った恋人と別れたのはついこの前だ。大学の同級生だったその男は、萌とは違って内定が取れず、わざと単位を落として大学に居座ったそうだ。
「内定取れなくて落ち込んでてさ。だったら、開き直って放浪の旅とかしてきちゃえばいい、って私が言ったら、『お前は実家が近くて、何不自由ないからそういうこと言えるんだよ』って言われて」
そのあたりから、既に萌と恋人の間には齟齬が生まれていたという。
そして、その男は、つい最近、新しい女が出来たといって萌を振った。新しい女は、大学の後輩で、萌とも面識があるという。萌いわく、「地味でさえない、一人だけ『昭和』って感じの女」だそうだ。
萌は、別れ際に、こう言われたそうだ。
「お前は、いつも完璧過ぎて疲れる」
「それを言われた瞬間、なんか、頭の中から何もかも抜け落ちたような気持ちになったよ」
萌は、そう言って、ほとんど空になったワインのボトルをグラスに傾けた。
萌は、全身の中でも特にハンドケアとネイルケアに金をかけている。聞くと毎日使うハンドクリームは7000円、ネイルは一回に2万円もするそうで、その他にもスペシャルケアとしてパラフィンパックなどを行うと3万円を超える時もあるそうだ。何故、そこまで手に金をかけるのかを、私は昔、萌に聞いたことがある。その時、萌は「男は女の末端を見るんだって。だから、髪と手は重要なんだよ」と言っていた。だが、その後、萌はこうも言っていたのだ。
「彼が、前に、手が綺麗って褒めてくれたからさ」
けれど、今、萌はその美しい手でワイングラスを持ちながら、こう言う。
「私は完璧になりたかったわけじゃない。ただ、私は、彼に『世界一、綺麗だ』って思って欲しかっただけだよ」
萌は、そう言って、目尻から一筋、涙を零した。
例えば、中学生の頃。初めて私服で好きな異性と会う時。
家中の服をひっくり返して、何を着ようか悩んだ。朝は朝で、決まらない髪型に悩み、化粧や香水や、靴からバッグから振る舞いから、どうすればいいのかをどきどきしながら考えた。そんな経験は誰しもにあるだろう。
萌も、きっと、ただ、それだけだった。ただ、褒められたい一心で、指先から髪の先まで気を使っただけだった。
ネイルだの、髪の巻き具合だの、アイシャドウの色だの、そんな細かいところは誰も見やしない。所詮は女の自己満足だろ。美容にこだわる女に、大抵の男はそのように冷笑する。
確かに女の美容は、微に入り細にわたるような細かさで、それを行うのは自己満足のためかもしれない。
けれど、自己満足のどこがいけないのだろうか、とわたしは思う。
その自己満足は、自分で自分のことを世界一の女だと思うためだ。自分でそう思わなければ、好きな男に世界一の女だと思ってもらえるわけがない。
好きな男に世界一の女だと思って欲しい。
その気持ちは、けして、いけないものではないだろう。
「わたし、間違ってたのかな」
帰り道、萌は、そう呟いた。
「やり方がどうかはわからないけど、気持ちは間違ってないと思うよ」
わたしは、そのように返した。
駅前で別れた萌の後ろ姿は、酔っ払いながらも完璧だった。スカートに皴ひとつなく、巻いた髪も美しく流れ、ピンヒールでも膝を曲げず、真っ直ぐに脚を出している。そういえば、萌は昔、美しい女性の立ち居振る舞い、なんていうようなタイトルの特集の雑誌の記事を読んでいた。そう思い出しながら、雑誌の記事を鵜呑みにするなんてまさにスイーツ、とわたしは笑った。そして、笑いながら、ひとつ瞬きをした。
大丈夫、世界一、綺麗だよ。
わたしだけではなく、そう言ってくれる誰かはきっといる。萌の後ろ姿に、そう思いながら。
かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき
※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。
小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。
こちらのコラムは昔書いたものの再掲載で、もうかつて全世界に公開しているから、再び公開するのは全然恥ずかしくないんだけど、このコラムは読み直している間、ちょっと恥ずかしくなった。
何故なら、わたしの乙女心が炸裂している内容だからですね!
この時代は美容にお金や手間をかける女性に対しての意地悪な視線が、今よりはずっと強かった気がする。
男性は「すっぴんでも美人な女が本当の美人」とか、「そもそもお前に美人と思われたいと頼んでいない」って言いたくなるような通りすがりの奴が平気で言ってきたりとかするし、
女性は女性で「美容にお金かけているなんて、どうせ男に媚びるためにしてるんでしょ」と言ってきたりするし。
わたしは美容関係の仕事をしている友人も多いんだけど、まあ、一言で言えば、「部外者は黙っとれ」ですね。
綺麗なものを大切にして愛でることの何が悪いのか。
おめでたい一択だろ。
そんなわたしは最近モニターで通っているエステの子と「これからも奄美オラつきビューティで」とInstagramのコメントで話していました。美しさにはいろんなタイプがあると思うのですが、晶子はわりと外出するときはオラつきが好きです。寅年だし、最近リバイバルでアニマル柄ブームです。
スイーツという言葉はもう死語に近いので変更しようかなーとも思ったが、なんか時代背景も見えてそれもまたかわいいかな、と思いそのままにしました。
この回は、連載コラムの中では、艶やかで優しい雰囲気のコラムだった、と思います。
それじゃあ、またね!