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【Vol.19】キャバクラで息子とかち合った男:庄司

 常連が多い店だと客同士が顔見知りになったり、同じ会社の人間や友人同士が店でかち合ったりということがよくある。だが、親子がかち合うことはめったにない。

 ちえりは、今、店で息子とかち合ってしまった庄司をどうしたらいいものか思案している。


One night's story:庄司

  庄司は50代後半の店にとっては長い客だ。誰も指名することなく、女にドリンクの一杯も頼ませず、いつも延長もせずに帰る店にとっては金にならない困った男である。

「俺は社長をやっていて、有名人ともたくさん知り合いなんだ。ほら、これを見てみろ」

 庄司は何度会ってもそう言って上着の懐から黄ばんでぼろぼろの紙の束を取り出す。その紙は20年近く前の年賀状の束だ。

「ほら、この人なんかお前でも知っているだろう。紅白にも出た有名な歌手だ」

 そう言われて年賀状を見てみると、確かに有名な歌手の名前がある。しかし、明らかに大量印刷されたもので、直筆のメッセージも何もない。そして、日付は20年前だ。

「すごーい! そんなに有名人と知り合いなんてさすが庄司さん」

 正直に言えばコメントに困るだけの代物だ。だが、ここは店だ。キャバクラ嬢のセオリーどおりにわたしは黄色い声を張り上げる。

 しかし、その実、本当はいたたまれない気持ちでいっぱいだ。

 庄司は、実は社長でもなんでもなく、バスの運転手だ。店の女たちがよく使う路線で運転しているのを見かけたという話を聞いた。

 運賃を支払う時に思わず「あ」と声を上げた女に、庄司は慌てふためいて顔をそらしたそうだ。

「なんか、バス乗ってごめんって気持ちになったよ」

 庄司と鉢合わせてしまった女はそう言っていた。しかし、そう言いながらも、それから庄司の店のスタッフの間だけで言われるあだ名は〝ニセ社長〟になった。

「また、今日もニセ社長によくわかんない芸能人の話されたよ」
「ああ、あるある。まあ、『すごーい』って言ってればいいから楽ではあるけど」
「でもさ、せめて嘘でも社長なら、一杯600円のドリンクぐらい飲ませてよって思わない?」
「わたし達にすら馬脚を現しまくりというね。だから、ニセなんだってば」

 そんな風に女たちは肩をすくめながらも、もちろん、庄司が店に来たら本物の社長として扱っていた。

 そして、今、庄司は、自分の息子と鉢合わせてしまっている。

 庄司の息子は、母方の姓を名乗っているので苗字が違い、片岡と言う。片岡は、うちの店で一番といっていいほど優良な客である。

 まだ20代後半と若いのに羽振りがよく、女に対して褒め言葉を惜しまない。もちろんドリンクもどんどん飲ませ、話が盛り上がった女は必ず指名をする。

 今まで、店の女たちの誰もが、庄司と片岡が親子だということを知らなかった。だが、今日、片岡と一緒にいた友人が店に来た庄司に向かってこう叫んだ。

「息子に借金背負わせておいて、自分はキャバクラ遊びかよ!」

 ちょうど、わたしはその時、庄司の席にいた。片岡の友人は明らかに庄司を見ながらそう言っている。

「え、まさか、庄司さん、片岡さんが息子さんなんですか?」

 驚きのあまり、わたしは庄司にそう聞いた。

「え、あ……」

 庄司は、呆けたような顔で答えになっていない言葉を返した。

 そして、まだ店に来て間もないというのにあたふたと立ち上がった。

 片岡の友人が「てめぇ、逃げてるんじゃねぇよ」と言って立ち上がる。もう一人の友人が、「止めろ、店に迷惑がかかる」とその男を止めた。片岡は、その間でじっとグラスを握り締めていた。俯いた横顔の噛み締めた唇がかすかに震えていた。

 片岡の席がもみ合っている隙に、庄司は、店長に一万円札を押し付けるように手渡し、去っていった。

 庄司が去った後、店内は、静まり返った。片岡は自分の席で俯いたまま、まだ揉み合っている友人に「落ち着いてくれ」とぼそりと言った。

 そして、店長に「お騒がせして申し訳ない」と言い、「悪いけど、迷惑がかかるから今日はチェックで」と告げた。

 片岡は最後店を出る時「嫌な思いをさせてごめんね」と女達に頭を下げ、店長に「これで何かケーキでも買ってあげて皆で食べてください」と一万円札を渡した。

 女達は全員でそんなものはいい、と言ったが、片岡は聞かず、店長は仕方なくその一万円札を受け取った。

 庄司が残した一万円札と片岡が残した一万円札は、会計に計上できないので、その日の営業終了後までレジカウンターの横に置いてあった。

 普段なら客から貰ったチップは店の誰もが喜んで使う。けれど、その日店の女達は誰もが「ケーキ食べようよ」とは言い出さなかった。

「庄司さん、片岡さんの父親だったんですね」

 閉店後、わたしは余った金の処理に悩む店長に言った。

「そう言われてみれば似てるよね」

 店長は何を言っていいのかわからないというような調子でそう答えた。

「似てますね。そう言えば」

 わたしも、何を言えばいいのかわからないまま、そう返した。

 どんなに憎んでも、鏡に映る自分の顔は年々父親に似てくる。それは一体どんな気持ちなのだろう。

 わからなかった。そんな事は考えさせないでくれ。そう思った。

 帰り道。送りの車の後部座席でわたしは目を閉じ、小さく流れるFMラジオに耳を澄ませた。数年前のヒット曲が流れていた。いかにも青春といったような恋の歌だった。

 ニセ社長だって、学生時代に恋に胸を膨らませた事も、未来を希望を持って語った事もあった筈なのに。

 そう思うと、胸が痛かった。

 片方の耳を、冷たい窓ガラスにつけた。やりきれない思いも、いつかこの車窓からの景色のように流れてくれるようにと願った。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき

※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。

 さて、今回の回は、ようやく、ちえりが男性を人間として扱っている回です。

 ていうか、キャバクラというディズニーランドにいるにも拘わらず、現実がお客さん同士の間でやって来てしまい、ちえりも着ぐるみのキャラクターでいられなくなってしまった回ですね。

 以前もこの晶子のつぶやきで書きましたが、わたしはキャバクラ勤めのあと、スナックにも勤めまして。スナックでの話もいつか書きたいんだけど、スナックでの話はこんなに殺伐とはしないと思う。

 イメージとしては大好きな小説、森瑤子さんの『デザートはあなた』下町人情版、てところかな。

 この一冊は男性に特にぜひ一読してほしい本。こういう優しさって本当はみんな持ってるじゃん! って今のわたしは思うし、こういう優しさを男性たちは迷わず見せてほしいよ。照れずにさ。

 で、話は元に戻りますが、前回も書きましたが、キャバクラは大人のディズニーランド。

 架空のキャラクターを女の子は演じて、お客さんはそれを承知で楽しむものなんですよ。
 指名って制度がそれを証明している。要はゲームなの、全部。店というフォーマットの中で、指名という制度を使って、恋愛めいた気分になるゲーム。セット料金は入場料、延長代金と指名料金はゲームのプレイ代ですね。

 対してスナックは、いろいろ料金システムはありますが、指名という制度がないので、ゲームじゃなくてもいいんですよ。普通にお客さんにとって居心地のいい場であればいい。

 わたしも都会で働いていたからわかるけど、ものすごく忙しいと、一日中仕事の話しかしてなくて、ずっと時間に追われてて、深夜に帰ってきたはいいけど、まだ頭がピリピリしてて、切り替えられなくてって時、あるでしょ?

 そういう時、スナックがあると助かるの。
 なんとなく、誰かとちょっと話して眠りたい、って時に。

 友人がいても恋人がいても、やっぱり相手の都合はある。いきなり、深夜に電話もはばかられるし、でも、明日もまた仕事相手としか話せないぐらい忙しいなら、少しだけでも誰かと仕事じゃない話をしたい。

 そういう時、行きつけのスナックがあると楽ちんです。お店だもん、深夜でも誰かいます。

 そういうある種の「人と話す」ということのサードプレイス的な要素がスナックにはあると思うな。数年前から、スナックブームなのが本当によくわかります。

 と、話がまたずれましたが、この回、切ないですよね。
 父である庄司も、息子である片岡も、遊びに来たディズニーランドで現実を突きつけられちゃった、という、ね。

 けれど、だからこそ、この回は、今のわたしが、いつかスナック勤めの時のことを書きたいな、と思えるぐらいに、人間が人間として扱われている回だと思う。

 相手をお金としか見ないキャバクラ嬢、所詮キャバクラ嬢と思いながら何とかただでやろうとする客、という図式から外れた、ひとりひとりの人間の話だから。

 同時に、ひとりの人間としての庄司と片岡を見たから、ちえりや店長も、自分がひとりの人間であることを突きつけられてるんですよね。心が動かされてる。やりきれなくて、どうしたらいいかわからないよ、って言ってる。

 ちなみにキャバクラというシステム上、お客さんに対して人間として関わることはなかなか難しいとわたしは思うのですが、拙作はほとんどの人間関係が店の女の子たちとの話なので、その辺は読みやすいかと思います。普通にハートウォーミングなストーリーだと思うもん。男性が見事に不在な話ではあるけど(そこがまた切なくもあるが)。

 スナックを舞台にした話なら、夜のお店に来るお客さん、男性の気持ちも書ける気がします。

 ちなみに、キャバクラ時代の同僚も、スナック時代の同僚も現在進行形で友人なのですが、キャバクラ時代の女の子たちは店を辞めたあとにお客さんと一切会いません。本当に会ってる子、いないですね。
 キャバクラの経営元の会社の社長の友達でお客さんとしても来てた人と会ってる子はいたけど、それってもともと自分の勤め先の社長の友達だしね。
 あ、わたしもお店のお客さんからライターの仕事いただいたことはある。
 でも、その人、わたしを指名したりはせず、ちょっと話したらライターの仕事くれて、それからは店に来たことないですね。

 ま、一言でまとめれば、わたしの知ってる範囲では、通い詰めて指名してくれたお客さんと店を辞めても会ってる子、本当いないんですよ。

 でも、スナック時代の子は辞めても「○○さんと○○さんとたまに飲むよー、久し振りに前に勤めていた店に行って懐かしかった」という話が出ること多々あります。

 ま、要はお客さんと人間として関われるんですよね、スナックは。だから、店を辞めても仲良くなった人とは続くのよ。

 実際、わたしもたまに「加計呂麻島がテレビに出てたから思い出してさ」ってスナック時代のお客さんから連絡が来るし、それが全然いやじゃない。前のお店の常連さん元気かな、って思うし、前のお店が今も続いてて嬉しいもん。

 男受けやモテって言葉って、いまだに市民権を得てて驚くけど(まじで男受けっていらんぞ……他人の価値観で生きても人生棒に振るだけだぞ……ていうか受けってなんだ……皿に自分からなってどうする……)、要は、キャバクラ嬢は男受けに特化した架空のキャラクターなんですよ。だから、イチ人間に戻ったら、架空のキャラクターを好きだった人とは会えないんです。

 でも、スナック勤務は架空のキャラクターになる必要があまりない。指名がないから女の子同士もお客さんも、争いやヒエラルキーが生まれにくいんです。
 指名料金がないから、キャバクラと違って、誰かひとりの女の子に嵌られても店として損だったりするし。
 スナックは誰か一人の女の子に嵌ってもらうより、普通に居心地良い楽しい店でいた方が、ビジネスとしていいんですよね。楽しくわいわいしていただく、という。
 だから、辞めた女の子でも、仲良くなったお客さんと会ったりできるんです。昔の飲み仲間的な。

 島に来てからも臨時バイトでスナックに勤めたことが短期間ですがありまして。
 スナックって50代、60代、島だったら70代の女性も勤めているから、そういったさまざまな年齢層の女性の魅力を学べる場所としてもおすすめです。まあ、お店にもよりますが。

 と、なぜか、今回のつぶやきはキャバクラよりスナックのすすめになりました。

 最近、海外の方がわざわざGoogle翻訳でわたしのnote読んでくれてるんですよ。嬉しい。
 noteは英訳を掲載しにくいフォーマットなので、linkdinにもアカウント作ってMediumで英訳を出そうかな、とも考え中です。

 日本の女性の置かれている状況、日本の(男性視点の)女性はこうあるべきという価値観って、実は世界ではかなり特異なものなんです。

 この本もぜひ男性に読んでほしいんだけど、これは実話を元にした小説。タイトルが秀逸ですよね。「彼女は頭が悪いから」何をしてもいい、という男性の価値観を描いている。

 これ、このコラムのやばい男性ターンの人達のキャバクラ嬢に対する男性の振る舞いとまるで一緒なんですよ。

 で、この考え方、家庭でも学校でも映画でもテレビでもドラマでも現実でも、めっちゃはびこっているんですよね。

 だって、女のくせに生意気とかいう言葉、いまだに聞くじゃない?

 その状況、海外の男性から見ると、本当に不思議でしょうがないそうなんです。

 なので、日本の女性が置かれている現況がわかる、という意味でも、わたしの作品に興味を持ってくださっているみたいです。嬉しいわ。

 寒いのが苦手なので、春めいて来たら途端に元気になってきたわたし。

 良いお知らせができるよう、引き続き画策するわ。

 それじゃあ、またね!

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三谷 晶子
いただいたサポートは視覚障がいの方に役立つ日常生活用具(音声読書器やシール型音声メモ、振動で視覚障がいの方の歩行をサポートするナビゲーションデバイス)などの購入に充てたいと思っています!