#0 海部公子という生き方~プロローグ~
毎日たくさんの新聞記事を書いているのに、ちょっとどきどきしながらこの記事を書いています。
記者になって24年がたちました。縁あって、3年前から自分の生まれ故郷であり、自宅がある石川県加賀市で仕事をしています。
今回noteで書いていこうと思う「硲伊之助美術館」に初めて出掛けたのは2018年の初夏のことでした。加賀市で生まれ育ちながら足を運ぶのは初めてのこと。ただ加賀市に配属になる前に、尊敬する先輩から「いつか海部さんのことを書いたらいいよ」と助言を受けていました。
加賀市の「吸坂町」という集落の、小高い丘の上にその私設美術館はあります。雑木林をくぐった先に築400年という茅葺き屋根の古民家がどっしりと構え、美術館はさらに一段高いところに建っています。
絵画や色絵磁器に囲まれたその空間で、私は硲伊之助の弟子である海部公子さん、硲紘一さん夫妻の話に聴き入りました。洋画壇の第一線を退いて加賀の地に窯を開いた師の歩み、古九谷への想い、硲の絵に描き込まれた名画を巡るミステリー、時空を超えて心を通わせる親子の物語・・・。
話に夢中になっているうちに夕暮れが迫り、会社から何度も携帯電話に着信があるのに、その場を離れられませんでした。
それ以来たびたび夫妻に招かれ、おいしい手料理をごちそうになりながら、硲伊之助と夫妻が暮らしや創作において大切にしてきたものを知り、筋の通った生き方に触れてきました。
海部さんは数年前からがんを患っています。今年3月中旬のある日、「明日お昼食べに来ない?」と久しぶりに電話をいただきました。
そのとき、いつも通りの明るい声の中に、いつもにない息遣いを感じました。翌日、おいしいグラタンを一緒に食べ、絵のことや世の中のことへと縦横無尽に広がる話を聴きながら、「ああ、私は海部さんの言葉を書き残しておかないと、後で絶対後悔する」という感情が猛烈に押し寄せてきました。
翌日から仕事前に茅葺き屋根のご自宅に通い、取材を始めました。このnoteでは、海部さんの一人語りという形で、これまでの歩みを書きつづっていきます。
戦前から戦後の混乱期を生き抜き、師とともに吸坂の地に窯を開拓し、生涯を掛けて絵の表現を追求してきた海部さん。noteのゴールがどこなのか分かりませんが、その人生をできる限り詳しく記録することが大切だと考えています。私が今、この土地で仕事をしている意味も、もしかしたらそこにあるのかもしれません。
マイペースで、でもちょっと急ぎながら書いていきます。
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