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【子育て】いよいよ子離れ?ぽつねん記念日
ぽつねん。漫画でよく見かける表現だ。
ひとりぼっちになった感じ。置いてけぼりになった感じ。でも、別に寂しくない。意地悪されたわけでもない。「あれー、なんか、私、一人?」みたいな、気付けばまわりに誰もいなかった、という感じ。
いま、私はその状態なのだ。子どもが生まれて以来、初めて起きたことだから少し戸惑っている。
明日の日曜日、夫は珍しく出勤するという。あ、そう、じゃあ、中1娘と小2息子とゆっくり過ごそうかしらんと思っていたら、小2の息子・ともまるが「明日は13時から、友達と公園で遊ぶ約束をした」と教えてくれた。えー、そうなん? じゃあ、中1の娘・フォカッチャと本屋でも行こうかと声をかけたら「明日は友達とハロウィーン・パーティーをする」とのこと。しかも、「うちでパーティーをしたいから、できれば外に行って欲しい」というリクエストまで飛び出した。
えー。わたし、ひとり? しかも外に行けって?
むむむ、こんなことは初めてだ。わたしだけ用事がなくて、わたしだけ手持ち無沙汰。わたしだけ一人ぼっちで、居場所さえも奪われた。
ぽつねん。
というわけだ。
でも、よくよく考えたら、この状況はわたしがずっと、12年とちょっとの間、ずーーーーーっと望んでいたことなのだった。
フォカッチャがまだ赤子だった時、私はパソコンで仕事をしていた。スキマ時間で稼ぐ、いいねえ、インターネット万歳!ってな感じで。
ところが、ベビーベッドに寝かしつけたはずのフォカッチャが、突然泣き出す。「あ、ちょっと待って!ここだけ書きたい」とキーボードを叩くが、どうにも集中できない、まとまらない。背後にはギャンギャン泣くフォカッチャ。私は耐えきれなくなって、すぐにフォカッチャを両手で抱きしめた。そしてこう決めたのだ。
「たかが数千円の仕事のために、私は何をしているのだろう。こんなことはもうやめて、私は子育てに集中する。フォカッチャが〝もうお母さんがいなくても大丈夫〟と背中を向けて飛び立つその日まで、しっかり向き合おう」と。
実際、そうしないと子育てはできなかった。夫も私も両親が遠方で暮らしていて、とっさの困りごとに対応するのは私しかいない。その頃の夫は激務だったから、帰宅が朝方というのもザラ。家庭内を円滑に回しつつ、さらに仕事までするなんて、そんな器用なことは到底できなかったのだ。
子どもと毎日24時間向き合い続けるのは、本当にしんどかった。もちろん、嬉しいことも幸せを感じることも、たくさんたくさんあったし、今でも大事な大事な宝物だ。けれど、私はただの人間だから、死んだ魚の目をしてつぶやくこともあった。「だるー」と。
1時間でもいいから、子どもと離れる時間が欲しかった。夫が電車に乗って遠くに(会社だけど)行くことが、心の底から羨ましかった。誕生日に何が欲しいかと聞かれて、「一人になる時間」と答えたことを覚えている。この頃ネットで頻繁に検索したキーワードは、「子育て 自己嫌悪」。子どもと向き合うと同時に、嫌な自分、今まで知らなかった自分の暗部とも顔を突き合わせた。子育て期間は「自分育て」というが、本当にその通りだと思う。
子どもが幼稚園児にもなると、交友関係が広がり、ようやく自分の時間が持てるようになった。「ちょっとお出かけしてくるね」と一人で美容院に行ったり、ママ友さんとお出かけしたり、自分自身を取り戻すことができた。だけどそれも、「お断り」や「許可」を得てからの話。本当の自由とは言い切れなかった。
*
明日は、なんて晴れがましい日だろう。家族4人それぞれが、自分のしたいことをする日。子どもたちが私と繋いでいた手をほどいて、第二の居場所へ向かっていく日。「お母さんがいなくても大丈夫」と、放っておかれる日。
12年とちょっとかかって、ようやくたどり着いた境地だ。
私はずっと待っていたのよ、この日を。「かんぱーい!」って12年前の私と祝杯を上げたい気分。
寂しくもあるけれど、ワクワクもしてきた。明日のぽつねん記念日を、私はどう過ごそうかしら。