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「単語」だけで分かり合える世界

単語のキャッチボールだけで、意思疎通が成立する場面に遭遇したことがある。

映画評論家の淀川長治さん(故人)が、「ハリウッドでは、映画のタイトルだけで会話ができた」と話していて、「ああ、なんとなく想像できる」とは思っていたけれど、実際にそれを目の当たりにしたような体験だったから、今でも覚えている。

30代前半、私はいろいろな人が寝食を共にする「ゲストハウス」というところで暮らしていた。
仕事やワーキングホリデーで日本に長く滞在する外国人が半分、私のような根無草の日本人が半分(いや、ちゃんとした身の上の人もいたはず)、恐らく100人近くが住んでいたと思う。

そこで出会った一人が、ドイツ人のラリー(仮名)だ。
ある日、ラリーから「秋葉原にパソコンの部品を買いに行きたいから、一緒に来て通訳してほしい」と頼まれた。ラリーの趣味はパソコンを自分で組み立てること。時々パソコンの内部を見せてもらっていたし、じゃんがらラーメンを奢ってくれるというので、快諾して秋葉原へ同行した。

目当ての店に到着すると、ガラスのショーケースの向こう側に店員さんが現れ、「何かお探しのものはありますか?」と声をかけてきた。

「えっと、この彼はパソコンを自作していて、部品が欲しいらしいんですよね。で、欲しいのが」
〈MP-3、、、〉(←部品名はイメージです)
「MP-3と関係あるものが欲しいそうです。〈ねえ、ラリー、それって、どんな働きをするの?〉」
と私がラリーに問いかけるや否や、店員さんはガラスケースの上に〝コトン〟と部品を置いた。

それを見て、ラリーは〈そう、これ!〉と言い、目を輝かせた。

棒立ちになる私。
「え、私の通訳は…」なんて自分の存在意義を訴えようかどうしようか迷っている間に、二人の〝会話〟はどんどん進み、ガラスケースの上にはいくつものパーツが並んだ。

その様子を見て、「そうか、私が説明しなくても、店員さんは部品名で機能が分かるから、他にどのパーツが欲しいのか想像できるんだ」と察したのだった。

店員さんとラリー、日本人とドイツ人が、パソコンのパーツ名だけで会話している。
パソコンを愛する二人が認め合い、パソコンを自作する喜びを分かち合っている、しかもパーツの名前だけで。時に見つめ合い、微笑み合い、初対面で互いの言語も分からないのに、すっかり信頼しきっている。
オタク、もといマニアの二人が醸し出す空気感がなんともおかしく、終始ニヤニヤして見守っていた。

「ああ、いい買い物ができたよ、ありがとう、アキコ!」

いやあ、役に立ってないけどね。だけど、ラーメンは奢ってもらうよ。

***

そういえば、日本にも単語だけで会話する人種がいたような。

「メシ」「お茶」「布団」のワンワードで、生活していけていた人種。
あーでもこれは会話じゃないか、認め合えていないか、愛がないか。

映画のタイトルにも、パソコンのパーツ名にも、誰かの愛がこもっている。その愛が伝播するから、単語だけでも会話ができるのかしらと、ひとり考えた。




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