AIとの共存って、こういうことかな?
変わることが苦手だ。
新しいことに挑戦するのも苦手。
若い頃は、自分が何者なのかも何が好きなのかも、何が得意なのかも分からず、いわば「自分探し」のために、デザインを勉強したり、英語検定を受けたり、海外に行ったり、東京で働いたり、思うがままに目標や環境を変えていったが、私ももう50歳。
自分の好みはよーく熟知しているつもりだし、得意なこともだいたい心得ている。生涯かけてもっと上手くなりたいこと、極めたいことがあるのは、幸せだなあとすら思う。自分自身は、もう見つけた。探し切った。そう思っている。
そんな状態だから、今さら、新しい何かを、とか全く考えが及ばない。
だけど、生成AIは放置できないだろうなあと、認めたくはないが認めざるを得ない空気はビリビリ感じている。
ある夜中、夫と仕事の話をしていて、「これからは生成AIは欠かせないだろう」といつになく真剣に語り合った。「嫌だから、面倒だから」で流していては、仕事に支障が出るだろうと。だから、学ばねばならないと。
私もその現実は理解しているつもりだ。AIの可能性はさまざまな分野で色濃くなってきている。ライターや編集の仕事にとっても、影響は大きいに違いない。本腰を入れて学ぶつもりだ。
ただ、AIとの共生、と言われても現実味がない。AIの性能を語る投稿をよく目にするが、いまいちピンと来ていなかった。ドラえもんと過ごすようなものかな、ぐらいの曖昧なイメージだ。
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ある日、職場でパソコン作業をしていた。エクセル画面で表を眺めていて、「あー、小さい、見づらい。クローズアップしよう」と思った瞬間、パッとちょうどいい大きさに拡大された。
「ん? ちょうどいい大きさになった!」と驚いた。
恐らく、たまたま手が当たったか何か、偶然の出来事だと思うが、「AIとの共生って、こういうことなのかなあ」とイメージが鮮明になった。
例えばデザインをしていて行き詰まった時、「この色ってどう思うー?」と話しかける。「そうですね、私だったらこうします」とAIならではのアイデアを回答してくれる。原稿を書きながら、「ここの読み応えどうよ?」と尋ねる。「ここの段落と、あちらの段落を入れ替えては?」なんてアドバイスをくれる。作業時間が1時間を超えたら「10分間、目を休ませましょう」と教えてくれる。
『ベスト・エッセイ』で読んだブレイディみかこさんの「あいつらは知ったかぶる」に笑った。あいつら、とはAIのこと。脅威だシンギュラリティだと世間で騒がれているわりには、分かりやすいミスをするし堂々と嘘をつく。
「お前、なんにも役に立たないじゃないか」と笑い飛ばすところから、一緒に歩んでいくのも面白そうだ。
AIと共生する未来が、うっすら見えた気がする。