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【50歳のつぶやき】あごマスクという一線
人生も後半戦。「便利・快適」と「ダサい・見苦しい」を天秤にかけたとき、自分の心地よさを優先して「ダサい・見苦しい」を選択することが増えてきた気がする。例えば腰まである長いパンツ。私は40代に入っておへそが出るパンツはもう諦めた。誰も見ないし。
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パート先の仕事内容は、パソコン作業が6割、電話でのアポ入れが3割、残りは雑務、という感じでありましょうか。
ここ最近の私ときたら、咳は出るわ、くしゃみは出るわ、喉は枯れるわ、の三重苦に喘いでおり、仕事中はマスクが欠かせないものとなっている。
パソコン作業をしているときはそのままで良いのだが、さすがに電話口でマスクをつけたまま話すのはどうだろう。声がくぐもって、相手先に失礼になりそうな気がするから、マスクは外している。
そんなとき、いつも困るのが、マスクの行き場。
手っ取り早いのは、アゴにマスクを引っ掛ける通称「あごマスク」である。しかし、どうにも居心地が悪い。マスクをあごに引っ掛けた自分の姿を想像すると、どこから見ても間抜けそのものなのだ。自意識過剰? いやいや、周りを見渡しても「あごマスク」をしている人はいない。みんな心のどこかであごマスクを侮蔑し、警戒し、「この一線は越えてはならぬ」と頑なになっているのだと思う。
福山雅治があごマスク。ノンノン。
宮沢りえがあごマスク。ノンノン。
ティモシー・シャロメがあごマスク。ーー見てみたい気もする。
あごマスクを選択肢から外したとき、次に試すのが「片耳にぶらぶら引っ掛ける」スタイルだ。
しかしこれはすぐに無謀だと分かる。なんといっても不安定。見た目も決してカッコ良くはない。
じゃあ、マスクを顎にずらすのではなく、おでこにずらすのはどうだろう。グラサンみたいに。わっはっは。
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行き場をなくしたマスクは、とりあえず私の膝下に置く。その日の服にポケットがあればポケットに入れる。
しかし、電話で夢中になっているうちに、嗚呼なんということだろう、床に転がってしまうことがこれまでに二度あった。そのうち一度は、スニーカーで踏み付けられた姿で発見された。最悪である。
便利さ・快適さを考えると、やはり「あごマスク」に高い高い軍配が上がるのだ。
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人生も後半戦。「便利・快適」と「ダサい・見苦しい」を天秤にかけたとき、自分の心地よさを優先して「ダサい・見苦しい」を選択することが増えてきた気がする。例えば顎にマスクを引っ掛ける「あごマスク」。私は50代に入って見た目を気にするのはやめた。誰もおばちゃんの顔なんて見ていないし。
となる日は近いか。