冷蔵庫の中に「斜め」が出現したら、それは散らかり赤信号
片付けは得意ではないけれど、部屋はきれいに保ちたい方だと思う。
最近になって、片付けや掃除というのは、「自分で自分の機嫌を取る」ための行為の一つだなあと気が付いた。
玄関先の靴を揃えて並べたり、ダイニングテーブルの上をまっさらにしたり、それだけで気持ちがスッとするから不思議だ。
とはいえ、仕事や出かける機会が増えてくると、片付けをする時間が取れなくなる。帰宅したらすぐさま、夕食の準備に取り掛かるような毎日が続くと、部屋はあっという間に散らかり放題の地獄絵図と化す。
そして、忙しくしている時こそ、その異変に気が付かない。視界に入っていても、響いてこないのだ。
私はこれを「散らかりの景色化」と呼んでいる。
物の散乱や汚れというのは、わりと少しの期間で「見慣れた光景」=「景色」となってしまうと思っている。
例えば私は半年に一度くらいのペースで実家に帰省するのだが、その時、どうしようもなく汚れている場所があるのに、親が気づいていなかったりする。景色になっているのだ。
逆のパターンで、親が私の家に来た時、「ここ、汚れているよ」と掃除を始めたりする。景色になっていないから、気がつくのだ。(そして、私にとって、その汚れは景色と化しているので気づかない)
私はこの「散らかりの景色化」はとても怖いと思っていて、時々、自分の家を「まっさらな目」で見ることに努めている。
特に、客人を招くときは、自分の脳内をフルリセットする。「初めて訪ねた家」にお邪魔する目線で、汚れや散らかりを探すのだ。
しかし、体力的にも時間的にも余裕を失うと、散らかりや汚れが景色になっていることにさえ気付かないのだ。
あな恐ろしや。
しかし、一つだけ自分が意識を向けなくても、「そろそろ片付け時ではないか?」とハッと気付かせてくれることがある。
冷蔵庫の収納だ。
冷蔵庫の中というのは「縦(垂直)」と「横(水平)」と「奥行き」の概念しかないのが正しい。
奥さま雑誌に「料理家さんの素敵な冷蔵庫収納」が載っていることがあるが、あの冷蔵庫内は、それこそ縦と横と奥行きの世界。「整頓されている美」だと思う。
私も普段はそうしている。料理家さんのレベルではないけれど、「縦・横・奥行き」のルールは守っているつもり。
しかし、忙しくなってくると、その整然とした世界に「斜め」が出現するのだ。
・まっすぐだと入らない物を、ちょっと斜めにして押し込む。
・手前の物を押し込むことで、奥の物が真っ直ぐを保てず斜めになる。
・袋状のものの上に、やや無理やり物を載せる→斜めに傾く。
などなど。
斜めの概念が混ざった冷蔵庫には、本当にがっかりさせられる。
そして我に返るのだ。リビングを見渡せば、「やっぱりか」の散らかり放題。
「ここのところの私、ちょっと待て。まずは落ち着こう」と深呼吸する。
そこから、「見慣れた景色」が「散らかった部屋」へと変化し、すごすごと片付けを始めるのだ。
* * * * *
今こうして書きながら、リビングと和室を見渡す。
いつの間にか景色になっちゃっているもの、今もあったりするのかな。
げ。端午の節句の兜が、まだ床の間に飾ったまま…!!!
景色化、怖いなあ。もうすぐ6月だというのに。とほほ。
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