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人は世界を助けたくて生まれてくる

わたしの生まれて初めての記憶は、生まれたその時のことです。

次の記憶はまだ喋れない赤ちゃんの時で、こたつに入ってるお母さんに抱かれている冬の日。
お母さんがとても悲しそうにしていて、それはお父さんのせいでした。
お母さんの元気がないから兄弟も何だか悲しそうで、お母さんを心配してる。兄ちゃんや姉ちゃんも、お母さんの悲しみの原因がお父さんだってことをわかってる
っていう場面。


喋ることもできずにそれを見てるわたしはどんな気持ちかというと

めちゃくちゃやる気に満ち溢れてる!!(笑)


『みんな、今は悲しいかもしれないけど大丈夫だからね!!
それは誤解なんだよ。ただの行き違いなんだから。
わたしはそれを助けるために来たんだから、わたしが来たからにはもう大丈夫!
今は喋れないけど、ちょっと待ってて!!』

っていう気持ちで、
ヨッシャやったるで!!
って燃えてる(笑)

ダイレクトに「こういう気持ちでいる」感じなので、今生きてる私の感覚で「こう考えてる」っていうのとはちょっと違って思考してるわけじゃなくて、その辺はうまく説明するのが難しいんですが。
でもとにかく確信があって張り切ってる記憶。
 
 
この後どうなったかというと
喋れるようになったわたしは全然思うように家族を助けることができなくてめちゃくちゃ凹むんだけど(笑)



「私たちはお母さんを助けたくて生まれてくる」

これよく言うけど、私に関してはこういう記憶もあるので本当にそうだなあと思います。
そしてこれはきっとみんながそうで、「お母さん(やお父さん)を助けたい」って、生まれてくる全員が思ってこの世にきてる。


お母さんに喜んで欲しい
お母さんの役に立ちたい
お母さんに幸せでいてほしい


なぜお母さん(お父さん)かと言うと、自分が初めて出会う「世界」だから。
私たちは、世界を幸せにしたくて生まれてきている。

初めて出会った世界、つまりお母さんを喜ばせることに早々と成功する人もいれば、全然喜んでくれなくて挫折感を味わう人もいる。そしてその挫折感が「お母さん以外のもの」を喜ばせようという原動力になったり。
「何十年も後になってからわかりあう」っていうドラマを体験する人もいたり。
幸せにできなかった、愛されなかった無力感が恨みに変わることもある。

いろんな人生があるけど、お母さんとの関係性に成功してもしなくても、1番初めには「世界を喜ばせたい」「世界を幸せにしたい」っていうのが
人の標準装置として備わってるって私は思います。

私はカードリーディングをしてますが、そういえばリーディングしててもそう思うんだよな。
圧倒的に辛いような状況でも、どんな人にも必ず内側には希望があって「自分を幸せにしよう」としてくれてる。それを通じて世界を幸せにしようとしてる。
それは時としてこの、いつも思考してる頭では想像もつかないような方向から。

「幸せになりたい」も「幸せにしたい」も深いところでは繋がってて、その希望はどんな時でも、どんな人の中にも必ずある。生き方や考え方、性格に関係なく、人に備わった標準装備だから。
自覚があってもなくても。


標準装備だから
「世界が(つまり人が、みんなが)幸せだったら嬉しい」は
死んでいく時に、人に最期に残るものでもある。
ボケてどんどん自我を忘れていく祖母を見ていてそう思います。





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