「悔しい」を感じること
私のクラス地域では、学校ごとに鼓笛隊があり、夏祭りで全小学校のパレードがあります。子どもたちの人数によりますが、私が勤めている小学校では、6年生のみが鼓笛隊になります。鼓笛は下級生にとっての、憧れの姿なのです。
そんな鼓笛隊のオーディションが、5年生で行われました。指揮者とか、ドラムが何種類か、シンバル、カラーガードやポンポンなどを希望する子たちは、オーディションに臨みます。(鍵盤ハーモニカがいい人は、特にオーディションはありません。)憧れのパートになることを夢見て、子どもたちは、オーディションに臨みました。
そして。昨日、その結果発表がありました。各パート、オーディションを受けた人が呼ばれ、結果を伝えられます。希望が通る子もいれば、残念な結果の子もいるわけです。そこにはドラマがあります。泣く子が出てくる、ということは、先生方も予想していました。ですが、今回、予想外の男の子が、悔し涙を流したのです。
実は、結果を伝えられてクラスに戻ってきたとき、悔しいながらも平静を保っていました。同じ班の女の子に結果を聞かれ、ダメだったと伝えると、その女の子が、心からこう言ったのです。「えーーーーー!!〇〇(名前)、すっごいがんばったのにーーー!!!!!」そして「えーーーー!」を繰り返し、本当に信じられない、と言ったのです。その言葉を聞いて、男の子は、顔を手で覆ったのです。我慢するつもりだった感情が、溢れたんですね。もう一人、別な女子が来ました。その子は男の子の肩に手を置いて、「〇〇、がんばってたよね。悲しいよね。」そしてずっと、肩に手を置いて寄り添っていました。そして二人の女子は交互に、「次はきっと大丈夫だよ。」と言ったのです。
大人からすると、もしかしたら逆に傷つけるかもしれないと、怯んでしまいそうな状況。私だったら、そっとしておくのが正解、と決めて、遠巻きに見守っていたでしょう。そして、私がこの男の子だったら、笑って誤魔化したかもしれません。
でもね、この男の子は、「悔しい」を、茶化したり誤魔化したりしないで、ストレートに感じることができたのです。それは、この女子たちの寄り添いの賜物だったと思うのです。悔しい思いをして泣いている人に寄り添う、というより、悔しいを誤魔化そうとしている子に、悔しいという思いを出していいんだよ。ちゃんと、泣いていいんだよ。そんなあたたかい空気を、作りだしているように、私には感じられました。(実際に、最初の女の子は、別の男子に、「〇〇も泣いていいんだよ」って言っていました^^)
学校って、感情のコントロールを学ぶ場所だったりします。大人になるって、感情を殺していくことかもしれません。
私は今、マインドを学んでいるんだけど、感情を感じるって、本当に大切。大人になって、自分の本当の感情を感じる練習をしているくらいです。大人って、長年、怒りとか、悲しみとか、悔しさとか、その瞬間に出さないようにグッとこらえたり、心の奥の奥の奥にひっそりしまい込んだりしてきています。そんなことを続けているから、本当の自分で生きることが、とても難しくなっていたりする。悔しさを感じた時、イラつきを感じた時、寂しさを感じた時、その感情を丁寧に拾い上げ、扱ってあげることって、とてもとても大切なんです。感情が動いたとき、それが、成長するときなのです。
それを、このクラスの女子たちは、ちゃんと知っている。悔しさをきちんと感じ切った男の子は、この悔しいの体験が、心にきっと残るでしょう。人としての成長が、彼の中で、確実に起こっています。