二拠点生活のはじまり、混迷の2018年。
前回のnoteから、時間が空いてしまった。というのも、長期滞在できるビザがなかなかおりず観光ビザの期限が切れてしまうので、強制的に帰国しなければならなかったのだ。そのため、12月頭から東京へ帰ってきている。
12月頭、ギリギリセーフでグランプラスの巨大ツリー見れたよ。
結婚しているのに、ビザが出ない?
ベルギーと日本との二拠点生活をはじめた今年は、振り返ればまさに混迷の一年だった。結婚してもう3年くらい経つ夫と、いつ、どういう風にベルギーで合流できて、一緒に住めるようになるのか、まだ答えが出ていない。
人に近況を話すとよく「結婚してるのに、ベルギーでビザ出ないの?」と聞かれる。私も未だに信じられないし納得できないが、結婚しているだけじゃベルギー政府はビザをくれない。
なぜビザが出ないかを説明する前に、現在のカオスな状況に至るまでの経緯を振り返ってみようと思う。
2017年の暮れ、3年半日本で暮らしていた夫が、ベルギーの友人とスタートアップ(いわゆる起業)に挑戦する可能性を探るために、ベルギーに戻りたいと言い出した。それで今年の1月に夫は一次帰国した。3月にSkypeで話していると、やはり拠点を向こうに移し、本格的に企業準備をしたいという決意を聞かされた。
私自身、フランス語を学んでいた学生時代から、ベルギーで暮らしてみることにずっと興味はあった。でもこうして、急に話が具体的になると、向こうで今と同じレベルの仕事を見つけるのは難しんじゃないかとまず不安になった。
それに、東京での友人や同僚や家族に囲まれた生活も楽しく、これから郊外に畑を見つけてもっと大地とつながった、自然と寄り添うライフスタイルを実践していこうと妄想してた時でもあった。でも、自己保身のために相手の夢をブロックするのではなく、むしろ応援するパートナーでありたいと思い、夫の意思を受け入れることにした。
その時は、日本でも結婚すれば外国人も長期的に滞在できる配偶者ビザが取得できていたのだから、ベルギーでも同じ待遇だろうと詳しく調べることなしに結論を出してしまった。そもそもの混迷の原因はここにあった(反省ポイント)。
いざ大使館にビザの問い合わせると、想定外の回答が。
4月に夫は日本にあった荷物を片付け先に帰国して行った。私も一緒に移住をしようという意思を固め、勤め先にも話をした。そして4月下旬、いざ在日ベルギー大使館に移住のための配偶者ビザを取得するため詳細を問い合わせたところ、ビザ担当窓口からの回答は、想定外のものだった。
ビザ取得のための条件の一つに、「あれ、これはまずいんじゃない?」と思うものがあったのだ。その条件とは、外国籍の配偶者をベルギーに呼び寄せるためには、ベルギー人である夫本人が「保証人」、つまり経済的に配偶者の世話を見られる状態だと証明する必要があることだった。
具体的には、「企業などと”無期限の”正規雇用契約を結んでおり、過去1年分の給与明細を提出せよ、しかも1ヶ月の手取り収入は最低でも1,505ユーロを超えていないといけない」ということだった。個人事業主の場合は、会計士をつけているなど、すでに事業が安定していることが証明できないといけなかった。
私の夫は、これから起業しようとしているところで、提出できる雇用契約はない状態だったので、「保証人」と認められるにはかなり怪しかった。でもまだこの時私たちは、条件に完璧に合致しないからと言って、結婚しているのだからビザの取得は不可能じゃないだろう。とりあえず申請しようとポジティブモードだった。
「保証人」の条件に焦りを感じつつも、書類の準備を進めるが、これも一筋縄ではいかない。日本で発行された書類(結婚証明書や戸籍謄本など)は、全てベルギーの公用語であるフランス語またはオランダ語に翻訳&アポスティーユ(ググるとこんな感じ)という作業を追加でしなければならなかった。翻訳も自分でやるのではダメで、「法廷翻訳人(traductrice juree)」という、ベルギー政府からお墨付きを受けている翻訳者に有料で依頼しなければいけなかった。
大使館が推薦する翻訳会社に見積もりを取ると、書類1通の翻訳&アポスティーユ認証に、2万5千円もかかるということだった(たっけーー)。前に夫が依頼したことのあるベルギー在住の日本人翻訳者は、郵送するので日数は余計にかかるものの、郵送代込みで1通67ユーロ(約9千円)と良心的な価格設定だったので、そちらにお願いすることにした。依頼してから、手元に翻訳済みの書類が届いたのは約3週間後だった。
※追記:イタリアに留学した友人は、イタリア語への翻訳料2万円かかったとのこと。
5月から書類の準備をはじめ、全て入手してビザの申請を提出したときには、すでに8月になっていた。金銭的にも、書類の発行料・翻訳費用に加え、ベルギーの移民局に支払うビザ手数料代(200ユーロ、日本円で約2万6千円)とその銀行口座への海外送金代(5,000円もする)などをまとめると、申請するだけで合計4万円以上の出費に。
それに、大使館の受付は平日の午前中のみだし、アポスティーユ認証のため外務省に行ったり、無犯罪証明取得のために警察庁に2回行ったり、平日勤務の人は有給も使わないといけない。
書類取得に3カ月を費やし、やっと提出するもさらに悲しいお知らせが。
そうしてやっと集めて提出したのに、大使館が受理する際に悲しいお知らせがあった。「あなたのケースは特殊なので、在日大使館の領事では判断がつかず、本国照会になります。最大で6カ月返事にかかります」と。
通常、配偶者ビザは早くて2週間で日本の大使館で発行できると聞いていた。だが私の場合は「保証人」の条件部分がイレギュラーなため、せっかく日本にある大使館にいる領事の裁量では判断はできかねるので、ベルギーの移民局に判断を委ねるということだった。あと半年も、結果待ちの状態が続くのか・・・心が折れそう。
3カ月の期限付きの観光ビザで、とりあえずベルギーに。
配偶者ビザを取得してから移住するのが理想だったが、半年も待てないし、勤め先にも勤務形態の変更を頼んでしまっていたので、9月頭より3カ月の期限付きの観光ビザでベルギー入りし、現地で結果を待つことにした。まだ夏の爽やかさの残る、ベルギーの首都ブリュッセルに到着。約5カ月ぶりに夫に会え、約9カ月ぶりに同居を再開することができた。
夫と暮らしを再開できたことへの嬉しさはもちろんだが、ブリュッセルの住みやすさや人の良さにも感動するところがあった。人口100万人の都市ブリュッセルには、東京に比べいろいろな点で「余裕」を感じる。街は徒歩でめぐれるサイズだし、東京ほど鬼の通勤ラッシュも存在しない。一人当たりスペースが広々としているため、人々の心にも余裕が生まれ、それが街全体の雰囲気を居心地よくしているのだろう。
特に感動したのは、「サービス残業」はおろか、「残業」という概念も存在しない勢いで皆18時くらいには仕事を終え、そのあとの時間はバーでベルギービールを飲んだり、サッカー観戦に行ったり、平日なのにホームパーティ開いたりして、めっちゃエンジョイしていることだった。
ベルギー対スイスの親善試合を観戦。W杯でにわかファンになったアザール、ルカク、クルトワが見れてハッピー。
会社の携帯を貸与されているものの、メールは家ではチェックしないと友人は話していた。「社畜」や「過労死」と言った単語は存在しないので、そういう日本の特殊ニュースが海外メディアで報じられ、これは何なのだと聞かれたりする。
ブリュッセルは国際的な都市なので、多種多様な文化やバックグラウンドを持つ人々が集まって街を形成している。日本人の私にも人々はとても親切で気さくだった。コワーキングスペースに通うと現地の友達もでき、私の怪しいフランス語も、2カ月くらいすれば慣れてきて、友達や家族との会話にも加われるようになっていった。
ベルギーの食といえばのフリッツ(フライドポテトの仏名)もたくさん食べたよ!
そして、とても嬉しいことに、私のパッションである「サステナブルな暮らし」が東京よりも広まっていて、ファーマーズマーケットが街のあちこちで開かれ、スーパーでのオーガニック農産物の品揃えはとても豊富、プラスチックフリーの買い物ができる量り売りのお店がいくつもあり、レストランでベジタリアンの食事を選択することにも困らなかった。
自分と似た想いをもつ人々が集い、暮らしを築いている街があるのだと自分の目で見て体感できたことは、とても大きな収穫だった。
オーガニックスーパーに並ぶ、「ベルギー産」のトマト。
店先には「包装の持ち込みウェルカム」の表示。街全体でゼロウェイストを進める。
暮らしは楽しくても、現実は厳しい。
街に溶け込み、暮らしを楽しめるようになっても、肝心の移民局からは一向にビザに関する連絡はない。大使館に問い合わせても、移民局から返事があればご連絡します、質問は移民局に直接お問い合わせください、というさっぱりした対応。そこで、観光ビザの期限が迫る11月に、Cireという移民のサポートを行なっている団体に相談しに言ったところ、儚くも現実を突きつけられてしまった。
ビザ申請にとても詳しいというカウンセラーに自分たちのケースを説明したところ「Non, non. Ca va pas marcher.」と即答される。「いやーそれではビザ出ませんね」ってことだ。スタッフは、これまでに何人ものビザ申請の話を聞いてきたが、この「保証人」になれるかの条件が、配偶者ビザの判断で、一番重要だというのだ。
カウンセラー曰く、移民局の人は日々何千とある申請をさばいている。何よりもまず「保証人」条件が満たされているかをチェックして、それがイレギュラーだったらバッサリ斬る、つまり却下するのだそう。
私も夫も、自分たちのケースについて「保証人」条件はイレギュラーだけど、もう3年も結婚して暮らしているし、日本という経済的に安定した国の出身だし、移民局はその他の面も勘案して寛大な判断をしてくれるんじゃないかという期待を抱いていた。でもこの瞬間、急激にしぼんでいった。
ベルギーは、鎖国してるの?
カウンセラーのアドバイスでは、配偶者ビザは「保証人」の条件が合うまで望みは究極薄なので、早く一緒に住みたいのであれば、就労ビザや学生ビザといった他の可能性をトライしたほうがいいとのことだった。
それから就労ビザと学生ビザの申請条件を調べたが、どちらも簡単ではなかった。就労は現地企業のビザスポンサーが必要で、外国人をわざわざ雇う場合は、高度技術者や研究者、アーティスト、スポーツ選手など特別のカテゴリーの範囲に限定されている。わざわざベルギー人じゃなくて外国人を雇うならそれ相応の理由が必要で、それ以外のケースは要相談という感じだ。
学生ビザは、日本でもフランスでも、語学学校にお金さえ払えばビザを取得できるものだが、ベルギーでは高等教育機関で大学院やビジネススクールへの入学許可証がある場合にのみに適用だった。つまり、全然予定してなかったけど、これから大学院を受験しなきゃいけない。
これはもう、全力で「移民おことわり」と言われているようなもの。もはや、ベルギーは鎖国状態にあるんじゃないかとも思えてくる。
これに対して、夫が日本で結婚して配偶者ビザの取得にかかったのは、書類準備に約1カ月と申請料4,000円。申請後、2カ月でビザが出た。ベルギーとのこの格差は何だろう。日本ではすぐにビザが出るのに、ベルギーではウルトラ難しいなんて、不平等条約のよう。
日本は、技能実習生という人権問題の温床になっている制度を何年も放置してきて、根本解決をはからないまま移民の許容枠を広げることを決定したばかり。都合のいい労働者として移民を利用することは断じてならないと思う。しかし、少なくとも家族は一緒に暮らせる権利は認められている。
国際交流よりも、分断が進む世界。
私はこれまで、学生時代の経験や、働き始めてからも、国籍や文化といった枠組みを超えて一人ひとりの熱を持った人間が交流し、顔の見える信頼関係を作っていくことが世界の平和を草の根で支えている、究極的に私たちは地球人で、世界はひとつだと信じてきた。
でも、このビザの一件で、世界は国境と移民制度によって厳しく管理され、分断されているのだという厳しい現実に向き合うことになった。
同じヨーロッパでも、ビザ取得はベルギーのようにウルトラ難しい国と、フランスなど日本と同レベルの国もある。デンマークの友人によると、デンマークでは保証人制度に加えてデンマーク語の試験もあり、ベルギーと同等以上にビザの取得が難しいそうだ。
ベルギーでは今月、首相が移民政策を緩和させようという方針を出したが、議会での理解が集まらず、辞任するに至った。フランスや東欧でも分断をあおる国粋主義的な政党が人気を博している。ヨーロッパだけでなくアメリカでも、トランプが国境に壁を建設する費用を工面させるために、はちゃめちゃやっている。世界の国々は、自分たちの利益を守るために堅牢な壁を作り、交流よりもむしろ分断の方向に突き進んでいるように思える。
希望を持ち続け、あきらめないこと。
結果がいつ、どのように出るのかわからないビザ。それがないと、夫と一緒にも住めないし、仕事の目処も立たないし、人生をかなり左右される。これまでの私は、自分の生き方は自分で決めることができる境遇にいて、先の読めない暮らしをしてこなかったので、いまの混沌とした状況は、かなり精神的にこたえる。
自分ではない誰かに人生の舵を握られているような感覚は、実に苛立つし無力感にも苛まれる。できるだけ早くこの状況から脱したい。
いまは、カウンセラーがアドバイスしてくれたように、就労ビザと学生ビザの準備を進めている。こんな難解なゲーム、投げ出してしまいたい!と思うこともある。でも、これは家族と一緒に暮らすため。これからも心折れるような場面が待っているような気配がプンプンするが、まだ諦めるには早いかと。全ての可能性を試し尽くすまで、やってみようと思っている。
今年一年間で、ベルギーの移民制度には心底がっかりし、政府への希望は失った。でも、ベルギーの友人たちからは希望をもらい、それがとてもありがたい。私たちの置かれた境遇に対し、そこまで自分の国が移民に厳しいとはと驚くとともに、偽装結婚ではなく明らかに結婚生活を送っている家族がこのように引き離されるのはおかしいと憤り、同情し、全力で応援してくれている。
日本の家族や友人も心配しながらも、会えばいつもと変わらない態度で接してくれる。実家の猫も相変わらず超絶可愛くて、すさみそうになる心を癒してくれる。
丸くなる猫様。
日本の自然は、いつもと変わらず美しい。木は、ただそこにあるだけなのに、夏には日陰を、秋には紅葉で感動をくれる。
2019年は今まで以上に心を強く持ち、不確定要素にも柔軟に対応し、周りの支えてくれる人々に感謝をしながら、自分らしく生きる一年にして行こうと思う。自分の人生に、自力で答えを見つけるために。
国際結婚した家庭には、こうしたチャレンジがつきものだ。そうでなくても、生きていれば誰にもそれぞれの試練がある。自分を責めたり、周りの人に八つ当たりするのではなく、本当の敵に照準を定め、皆がその試練を乗り越えられるよう、心から祈ります。
※追記2019/1/5:フランスに住む日本の友人から、フランスでも配偶者ビザの保証人要件があり、難しい状況だと教えてもらった。また、カナダに住む国際結婚をした日本人女性の友人も、申請は煩雑で、ビザが出るのに1年かかり、全然簡単じゃなかったとのこと。日本がむしろ、世界よりゆるいんじゃないのでは、という意見もありました。
日本の配偶者ビザも、私たちの場合は簡単に出たが、国籍により難易度が異なるよう。日本に入国する時点でビザが必要な国籍の場合は、提出する書類も多く、日本人の経済状況もフリーランスでは厳しくみられるので、困難なケースもあることを友人が伝えてくれた。これは明らかに国籍差別だと思う。日本の場合も、完璧ではないとを改めて知った。