部下を思って?それとも自分本位?
「まだうちで働き始めて1年ちょっとなんだけど、今まで任せた課題は上手くこなすし、頭の回転が速い人だから、別のプロジェクトを任せたの。そしたらどうも乗り気が無いのか、初めて取り組む内容だから要領がつかめないのか、もうプロジェクトも最終段階に入ってきていて、次は結果を役員会議で報告、と言うところまできてるんだけどね。。。なんとなく彼女に、これは自分のプロジェクト、という意識が薄いというか、どうもこのまま任せたままで行くのは危なっかしい気がして。。。どうすれば、自分のプロジェクト、という意識を持ってこのまま最終段階まで持って行ってくれるように促せれるかしら? それとも、中途で引き受けた形になるけど、私が上司だし、失敗しないようにこの先は私が引き受けるべきなのかしら?」
という状況に面している同僚と話をした。その他二人ずっとずっとベテランの人たちと4人で。
この会話は2日間のリーダーシップクラスの最後にある、前年、前々年の卒業生と、今仕事で行き詰っていることなんかについて話しましょう、という時間に持ち上がってきたトピックだった。
卒業生のK氏はサンフランシスコにある公的機関で働く人。彼は「その彼女に自分のプロジェクトだ、という意識を持ってもらいたかったら、これはあなたが注目を受ける機会(opportunity to shine)だから集中して上手く成し遂げるように話をすればいいんじゃないかな。」と提案した。
別の卒業生のAさん(どこの組織なのかいまいち覚えられないけど、そこの代表(CEO) をやっている)も、「彼女と打ち解けた話をして、何が乗り気になれない理由なのかを聞いてみる必要があるんじゃないかしら? 彼女にしてもキャリアをこれから積んでいこうとしてる立場で、失敗は避けたいと思っているだろうから、どうやってその気持ちに寄り添えるかじゃないかしら?」と言う。
どちらの言うことも正論だと思ったし、5年ぐらい前の私なら、同じことを提案したと思う。けれど、そのやり取りを聞いていて、まだ仕事を始めて1年ちょっとで、自分に、というか自分のスキルに合った仕事が何かってよくわかっていないと思うけど、「なんか違うよなぁ。。。」と本人が思っているところへ上からの「そんなこと言わずに、これはチャンスだから逃したらダメだ」というプレッシャーがかかってない?と思わずにはいられなかった。
このリーダーシップのクラスで、人には向き不向きがあるから、なるべく個人の向き不向きを見分けて、それに合った仕事を回すほうがその人の成長につながるし、チームとしてもみんなそれぞれ得意不得意があって上手くいく、なんていってなかった?
確かに仕事を始めて数年はなんでもやってみて、何が自分に合ってるかって模倣するのは大事だと思う。でもどうしても合ってないよなぁ、と思うこともあると思う。割り切ってやればできるけど、そこまで自分を持っていくのが大層、とういか。もしそんな風に心が拒否反応している時、それでも無理に「これは私の出世の為だ」と自分を納得させて続ける代価って何なのかな?と思う。それに仕事始めたばっかりのほうが、これ自分に合ってないかも。。。と思っていてもその気持ちを打ち消す作用のほうが強いんじゃないかな? そしてうっすらそんな感じがしても、仕事始めてまだ1年とかでそんなことを上司に話すのはかなり度胸のいることだし。
おまけに輝くチャンスだ(opportunity to shine)と言われても、本人がそんなに輝きたくないんだけど、と思ってるってこともあり得ない?
もし本当に彼女にとってこのプロジェクトが心の重荷でしゃあなかったら?やりたくないプロジェクトをやることほど苦痛なことないよ。朝起きれなくなる。適当に年数を積んで、何となく嫌なプロジェクトを避けるスキルを付けた今の私なら、いくらでもできない(やらない)もっともな理由を考えだせるけど、それほど擦れていな新卒1年、2年とかだったらそんな考え方しないような気がするし。
なので、これはキャリアアップのためのチャンスだ、とか君ならできるのわかってるから応援するよ、とか言われても、何かの理由で乗り気しないし、おまけに輝きたくないと思っていたら(そんなこともあるの?と思うけど、今の私ならあり得る)、変にがんばれがんばれ言われても余計つらくない?と思った。どうなんだろうね?
というか、リーダーを目指しているのなら、毎回毎回輝きたいと思わない人間がいることや、できる限り個人の得手不得手とプロジェクトの内容を合わせれるように段取りするとか、「君ならできるよ」なんてありきたりの言葉がいかに使い古されて安っぽく聞こえるか、ということなんかにも敏感になってほしい。私がシニカル過ぎるのか?
非常に悲観的な意見だと思ったけど、私が同僚に聞いたのは、それでその部下を叱咤激励して彼女が最終段階の役員会議で発表をして、それが散々な結果に終わった場合、あなたに降りかかってくる責任とか信用ってどんなものなの?だった。部下が失敗しても、その場で彼女の失態ではない、とカバーできて、なおかつその後にも続く責任の後始末をすると腹をくくっているんなら叱咤激励すればいいと思うけど、そうじゃなかったら今回はあなたが発表したほうがいいのかもしれないよ、と。
多分失敗したって、その場でバツが悪いだけで解雇されるわけでもないけど、まだ若い部下にしてみれば心の傷は大きいかもしれん、と思うのだ。悔しいのは、そんな大きな心の傷を受ける代価がどれほどのもんか、というのは先にならないとわからない。良くでるのか悪く出るのかすら予想つかないよ。
私の考え方は甘いかもしれない。そんなぬるいこと言ってたら部下が育たない、と言われるだろうね。でも、思うのだ。嫌だけどやらなきゃならんことは腐るほどあって、それを毎日やっている。だけど心が折れるほど嫌なことがあるなら、やらなくていいんじゃないの?無理に叱咤激励する必要あるの?それでも是非に、というのなら、失敗しても大丈夫だという安全な環境が整っていますか?
今の公共交通機関や都市計画の分野で働き始めた頃、というか10年ちょい働いた初めの仕事場は失敗が許されるような環境ではなかった。失敗や失言はすぐにできない奴と評価されるので自分の意見を言うなんて考えられなかった。そして会議で発言するのはマネージャー以上で、それ以下は控えるように、というような風潮だった。自分で上手くできたと思っても大して評価されることもなかったので、私が上司の基準に達することはまずないな、とあきらめてしまった。まぁ、ようするに、のびのび個人の才能を伸ばしましょう、なんていうモンテソーリのような安全な仕事環境ではなかった。だから未だにパッとしない、という言い訳じゃないけど、一握りのめちゃくちゃやる気満々で毎年自分のキャリアゴールをセットしてズンズン前進するような人以外は、その他の私らは安全だと感じれる環境が欲しいし、やりたくないことを無理にやるのはつらいし、輝きたいと思っていても、今輝くのはちょっと怖い、という不安要素もあるのだ。と言うことを察する技量も上司もろもろは持ち合わせていてもいいんじゃないかしらね?それともそんな甘い考えじゃリーダーにはなれない、ってことなのか。
もう結構前に昇格だとか上へ上へと目指すことに挫折しちゃった私がリーダーシップのクラスを取ってる辺りに、なんだ、まだ未練があるのか、と吹っ切れ具合の悪さに自分で笑ってしまう。