母の日に
母の日の前日、私のnoteの記事を読んだと、母から連絡が来た。記事の中には自分の幼少期のことを書いたものもある。
もし母が読んだらショックを受けるかなと頭の片隅では思いつつ、私は自分の思いを許してありのままの自分を受け容れたい。否定も肯定もしないで。
そう思って書いた。
母のことを許せないと思っていたこともある。
でも過去や自分と向き合っている今は、母は母だと思ってる。
突き放しているわけでもなく、ピッタリ寄り添うでもなく、私たちは自分の幸せだけフォーカスすればいいのだと。そしてお互い付かず離れず幸せになっていけるのではないか。そう思う。
少しだけ、母と私の思い出を書きたい。
ビーチサンダル
あの時私は何歳だったろうか?2年保育の幼稚園に入る前だったような気がするので4歳くらいかなと思う。夏の日、私は荻のプールの近くに母といた。私はプールに入りたいとだだをこねたが、水着もないしもうお昼過ぎだから明日来ようと母に説得されて渋々家に帰った。
次の日、プールに行けるとワクワクしていたが、母は一向に出かける気配がない。「プール行かないの?」と聞くと「ビーチサンダルがないから行けない」と言われた。ビーチサンダルは広野の祖父母の家にあった。サンダルがないなんて昨日から分かっていたのに、適当に嘘をつかれた。と子供ながらに分かり悔しかった。「ビーチサンダルさえあればプールに行けるんだ」と闘志を燃やした。家から祖父母の家は車で15分ほど。距離は6キロ。歩いて取りに行って戻ってこようと決意した。
4歳の私は母に気づかれないように1人で祖父母の家に向かった。が、途中近所のお友達一家が偶然車で通りかかり、私が家から離れた所を1人で歩いていることに驚き、保護された。私は車に乗ったらサンダルを取りに行けなくなるので本当は乗りたくなかったが、子供だから拒否も出来ず仕方がなく乗車した。お友達家族は伊東駅に用事があり向かっていた所私を見つけた。伊東駅に向かうときも帰ってくるときも「あぁ、ビーチサンダル…」と心の中で嘆きながら祖父母の家を通り過ぎた。
家に帰ると母は私が居なくなったことに気づいていなかった。元々1人でよく遊ぶ子だったので、またどこかで遊んでいるのだろうと思っていたらしい。お友達家族に連れられて私が帰って来た時は慌てふためくと同時に、気まずい思いもしたと思う。
何故1人で歩いていたのかお友達のお母さんに聞かれても「おじいちゃんとおばあちゃんちに行くところだった」とだけ答えていた。それ以外のことは母のことをどう思われるか、幼いながらに気にかかり固く口をつぐんでいた。
自分の計画がうまくいかなかったことが、自分が子供で無力だということが、悔しすぎて口が聞けなかったのかもしれない。
家に帰っても私は口を閉ざしたままだった。悔しくてただ布団に突っ伏して泣いた。
母はビーチサンダルを取りに行こうとしていたこと、気づいていただろう。
こんなに頑固な娘、どうしたものかときっと困っていただろう。
大人になって「もしかしたら母は…」と考えて母の立場に立つ。
母は頭痛持ちだった。もしかしたら頭が痛くてプールに行きたくなかったかもしれない。
もしかしたら約束自体忘れていたのかもしれない。
もしかしたら面倒くさくなったのかもしれない。
理解できる。
理由は結局分からないけど、きっとあの時本当の理由が聞けたら、幼い私は泣いたかもしれないけど諦めがついたのではないか。そう思う。
子供だからって適当に嘘をつかれたことが悔しかった。
すごーく悔しくて今も覚えている。
でも私を作ってるありがたい思い出。
酷い娘
母と言い争いになった。なんでかはさっぱり覚えていない。
母に「誰が産んだと思ってるの!」と言われ、売り言葉に買い言葉「産んでくれなんて頼んでいない!」と返した。酷い娘だ。 言っちゃいけない言葉。
母はわなわなと震えていた。私の言葉は残酷だが核心を突いていた。母は何も言い返さず台所へ行った。
その当時、一緒に遊んでいたグループから突然仲間外れにされていた私。小学校高学年。ハブられた自分がカッコ悪くて誰にも相談できなかった。必死で平気なふりをしていた。「死にたいな」と思うこともあったけど、運よく違うグループの子に囲ってもらい、なんとか居場所はあった。
そんなときだったから、別にこの世に生をうけことをありがたいとも思えなくて、言ってしまった。
ただ今も産んでくれとは頼んでないとは思うし、産んだからって母が偉そうにするのは違うと思う。
でも母から産まれてきて育ててもらって良かったなと思ってる。母だけじゃないけど色々な人のおかげで今の私になってる。
母から産まれてきて良かった。
それは今の私が幸せだから言えることだ。
母になって母を思う
あのとき母はああだったのかも…こうだったのかも…、こんな風に思ったのかもしれない…と思うことがある。子供のときは「なんでお母さんはああなんだ」と感じていたことも、今なら理解はできる。
それでも受け継いでいる部分と反面教師にしている部分がある。それでいいと思う。母と私は違う。
私と子供達も違う。私もいつか反面教師にされるのだろうし、それでも数少ない良い部分は受け継いでもらえる…かもしれない。
母になってはじめて、母親のプレッシャーってこんなにあるんだって気づく。
母親なんだからいうこと聞かせろ。
母親なんだから子供優先だろ。
母親なんだから遊び歩くな。
母親なんだから母親らしくしろ。
全部言われてないんだけどね。なんだか感じるの。
いや、勝手に感じてるの。
刷り込まれてる。世間の理想の母親像。
子供を産んで、自分がどんな人間だったか分からなくなった時期があった。
“私らしく”じゃなくて“母親らしく”生きなきゃいけないと勝手に自分に課してて、どんどん余裕がなくなってしまった。
幸運にも、「ありのままの自分でいいんだよ」と私に伝えてくれる人たちにたくさん出会い、すごくすごく楽になっていった。
母は、母親らしくしようと頑張っていたのかもしれない。
私は子供の人生も歩けないし、母の人生も歩けない。
私は私の人生を歩かないといけないし、歩きたいと思ってる。
だから母ももしまだ“母親らしさ”や“妻らしさ”を背負い、それが重荷なら降ろして良いと思う。
誰が思っているのだか分からない“母親らしさ”や“妻らしさ”は捨てて、“自分らしく”母親や妻をやれば大丈夫なんじゃないかな。
自分の心地よさにどん欲になって幸せになって欲しい。
私もそうするから。
母の日によせて。
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