自由に選べることは良いこととは限らない

数日間入院していた。

入院したのは生まれて初めてだった。
病室で数日を過ごし、日常を離れたことで気づいたことが色々ある。

それは、何でも自由に、自分の好きなようにできることが良いことであるとは限らない、ということだった。

入院前、私の生活リズムは荒れていた。
朝になったら眠り、夕方に起きることもしばしば。
食事は1日1回で、夜遅くにとる。深夜にコンビニに行って追加の食料を買うこともよくあった。
そんな生活を良いとは思っていなかったものの、仕事が夜間なのもあり、なすすべもなく過ごしていた。

入院生活というのはこんな感じだった。
8時、12時、18時に食事が運ばれてくる。病院食は、まあ給食みたいな感じ。
病室から出ることはまずなく、本を読んだりして過ごす。
そして22時になると病棟は消灯となる。基本的にすることがないのと、周りがみんな静かになるし辺りも暗くなるからもう寝るしかなくて、22時になると私も眠った。
そして6時になると看護師さんなどが動き始めるため急に病棟が騒がしくなり、その音で目が覚める。
そうこうしているうちに勝手に食事が運ばれてくる。食事の内容はもちろん選べない。運ばれてきたものを、運ばれてきた時間に食べる。それの繰り返し。

あんなに昼夜逆転生活をしていた私なのに、不思議と、入院している間は22時を過ぎるとすぐに寝れた。
食事も、出されたら全部食べる。病院食はすごく美味しいわけでもなければ不味いわけでもなかった。
強制的にそういう生活を送らされたことで、普段の自分の生活を見直す良い機会になった。

普段の生活では何でもできる。いつでも、何時でも、自分が食べたいと思ったものを食べることができる。
深夜だろうが24時間営業のコンビニに行けばお酒とポテトチップスが手に入る。それを夜中の3時に食べようが誰も止める人はいない。
夜中中ずっと起きていてネットフリックスを見ようが、朝になって眠ろうが誰に迷惑をかけるわけでもない。朝になったら物音で起こされることもない。
それは一見、何でも好きにできる、自由な生活だ。
でもそれは、本当に良いことだっただろうか?自分のためになっていただろうか?

良くはなかった、というのが今回、入院生活を通して私が気づいたことだった。
好きにできる、というのは自分の気分や欲望のままにできるということだ。
でもそれは良い結果を生むとは限らない。
自分が瞬間的にしたいと思ったことをただ行うことは、良い未来には繋がらない。
だから節制や努力が大事なのだろうけど、人間はどうしても目先の欲望に負けてしまう。
都会で一人暮らしをすることは、欲望との闘いだと思う。いつでも、何でも、お金を払いさえすれば、どうでもいいような欲望を満たしてくれるサービスが存在する。
それを止めてくれる他者や、何らかの制約がないと、何でも、いくらでも出来てしまう。だから制約があることは悪いことではないのだろう。

私は今、頑張って取り組みたいと思っていることがある。というか、取り組んでいるところだ。
そのためには自分を律さなくてはいけないのだなと、入院を通して強く感じた。
今は無事退院して、自宅に戻っている。もう私の生活に制限を設ける人は、いない。
自分の意思で、自分の目的のために、もっと先の未来を本当の意味で良くするために、節制してやっていかないといけない。
入院はやむを得ずしたことだったが、こんな効用があるとは思わなかった。
自分に負けずにやっていきたいと思う。

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