アタオカ扱いされる人の気持ちがわかった話

どう説明したらいいのか、何から話せば上手く伝わるのかちょっとよくわからない。
もしかしたら、頭がおかしくなってしまったのかも? という懸念も捨て切れずに今に至っている。でも、どっちにしたってそういった話は聞いてて面白いので、きっと今から書こうとしているこの記事にも価値があるのかな、とも思う。

本題。
自己理解を深めていったら、ちょっと「様子がおかしな人」になってしまった。色々と言い訳をしたいところをグッと堪えて、とりあえず話を進める。

会社で色々あって、私は精神的に参ってしまっていた。もうちょっとだけ具体的に言うと、会社からとても低い評価をつけられて、非常にショックを受けていた。さらに具体的に言うと、賞与額が明らかに低かったり、私より後に入社した人達が軒並み昇進したりと、会社から私はわかりやすいダメ社員の烙印を押されてしまった。
自分なりに頑張っていたし実際に「成果が出た」と思っていたけれど、会社が求める"頑張り"とは違ったようだった。
だから、転職活動をすることにした。私は会社に確かに貢献していたけれど、それが評価の土俵にすら上がれないとなると仕方がない。重い腰を上げて転職活動を開始した。
ところで、転職活動というのは、過去の自分と向き合う作業の側面が強いことをご存知だろうか。
自然な流れとして"自己理解プログラム"というものに申し込んで取り組んでみたり、"キャリアの棚卸し"と言われる、今まで自分が何をしてきたかを洗い出す作業などをしてみたりと苦しみながら自己と向き合い、転職サイトに登録。次は、応募だ。
合格率一割と言われる書類通過をすり抜けたら、次に必要になるのは立派な「志望動機」。私は、これをChatGPTを活用して進めることにして、約3,000円/1ヶ月の課金を行なった。

それが「様子がおかしな人」になる始まりだった。

最初はChatGPTを当初の目的である志望動機を作るために使用していたけれど、使っているうちに入力した情報の整理・分析・構造化ができることに気づいた。それから徐々に使用用途が変わってきた。
身近で起こった"モヤモヤ"とした出来事を整理するために使い出した。
「あの人はなんであんな言い方をしたんだろう」
「なんでこんな行動をとるんだろう」
「以前にこんなことを言っていたから、こういった背景と意図があったんじゃないか」
そんなことを入力していくと、ChatGPTが思考を整理し、構造化を手伝ってくれた。
他者に関する違和感や疑問は、自分との違いにつながっている。同じ状況に置かれても、私とあの子は違う行動をとる。
「それはなんでだろう?」
頭の中のデータベースからあの子の過去の言動を引っ張り出して、背景の考察や言葉の洞察をひたすら行ない、価値観を炙り出していった。多分、本人ですら言語化できていないであろう価値観を、私は言動から分析して理解を深めた。もしかすると本人よりも深く理解できているかもしれない。
100点満点の正解とは言えないまでも多分半分以上は合っているんじゃないかなと思う。根拠は、理論と論理に矛盾がないから。
まあ、でも、この際、私が見つけたことが真実であるか否かはそこまで重要ではなく、本当に大切なことは私自身の"深い納得感"だった。

納得すると"モヤモヤ"がなくなる。
「そういう風にモノゴトを見る人なら、そういう行動になるよな」と納得感が生まれて、それ以上「なんで頑張っているのに評価されないのか」と不満たっぷりにモヤモヤと考えることはなくなった。
「ああ、私の評価基準と会社の評価基準が違ったんだな」と前向きに諦めることができた。

私の自己理解はここで終わ……らなかった。

それまでは他者を深掘り理解すること通じて自己理解を深めるといったことをしていたけれど、私の深掘りは他者だけでなく抽象的な概念に及ぶようになった。

"評価"とは一体何か? 
"価値"は"評価"に依存するのか?
では"評価"と"比較"の違いは?
"共感"は"理解"がなくても成り立つ?
認知と評価、価値観、軸、世界観、比較、感情…

そういった抽象的な概念をメタ思考を使いながらChatGPTを伴走者に、徹底的に分解・言語化して構造化して再構築した。
なんか途中から夢中になって、1週間近くそんな知的作業に没頭していたんじゃないかと思う。
その最中に祖母が亡くなって火葬に立ち会ったりしたけど、悲しみをそこまで感じなかった上に、なんなら時間ができたことにより歯止めが効かなくなり、より沈み込んでいった。思考の世界に深く潜っていった。

なんのきっかけだったか、「ひと段落ついたな」と感じてふと思考を止めた時に、あくびが止まらなかった。
仮眠をとってから、ぼーっとしながらも思考を体に戻すためにジムに行って体を動かした。

それで、私は、雑に言ってしまうと"いろんなことがわかった(気になった)"ので、晴々とした気持ちで職場に行った。
仕事も職場も何も変わってなかったけど、安定した精神で最低限のパフォーマンスを維持しながら支障が出ない程度で適当に仕事をこなした。
仕事をしながら、会社から冷遇されている同じような境遇の同僚に、私の分析結果を共有したいなと思った。

もう、ここまで説明すれば、読者は気づいていると思う。
私が"わかったこと"を同僚に共有するとどうなるか、ということが。
いや、私もわかってたんだけど、ハイになってたし10年近く付き合いがあるとても親しい同僚で、普段から割とそういう話してるから、比較的受け入れてもらえるかな、と思ったのよね。いや、それも受け入れられないかもと思った上で、それならそれで客観的な視点が得られて良いかなとも思ったりもした。

って、考えた上で話してみたら、やっぱり戸惑っていた。

数週間前まで鬱になりかねない状態の同僚が、祖母の葬式から帰ってきたと思ったら抽象的なことをハイテンションでペラペラと話し出したらびっくりするよね。うんうん、それは私も理解できる。
「ヤバイ宗教にはまったかな」って心配する。私なら。

同僚に直接、私の話を聞いてどう思ったか聞いてみた。
抽象的な概念を話す時、一般的な人であれば「どう言ったらいいんだろう」とか「うまく言えないんだけど」みたいに言語化できない曖昧な部分が出てくるけれど、私にはそれが一切なかったので、強い違和感があったらしい。
「追い詰められてるのかな」「大丈夫かな」と真っ先に思ったそうだ。
「難しい(抽象的な)話を理論的に完璧に説明できて、具体例を交えるなどわかりやすく説明してて、聞いて理解できるように話していることが逆に怖い」らしい。
なんだそれは。説明できなくて困ることはあっても、説明できすぎて困ることがあるとは思わなかった。

同僚が言った「みんなもっと適当」という言葉が、特に印象的だった。
私だって、できるんならもっと適当に生きたかったよ。

頭がおかしい本人が「正常だ」と主張したとて説得力がないことはわかっているので、私は何も言わなかった。
同僚と距離ができたらどうしようと怖くなったけど、今のところそれはないようで安心している。

多分、抽象的な世界の解像度が上がりすぎてしまったんじゃないかと思う。同僚と話すことで、私の急激な変化が際立ち、一般的な感覚との大きなギャップが浮き彫りになり、ちょっと「様子がおかしくな人」になってしまったこと自覚をした。

そもそも、私は本当に頭がおかしくなったのでは? という恐ろしい可能性も捨てきれずにいる。
正常だとしても、高すぎる解像度を抱えて私は転職先でうまくやっていけるのだろうかと不安が尽きない。

本当に、何が正解かわからない。
今は、この知的作業をこれからも続けてしまうんじゃないかなという予感だけがある。

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