おばちゃん、またね
1年前に母と2人で関西に行った際に、奈良に住む母のイトコと合流して一緒に観光をした。母のイトコは典型的な関西人のおばちゃん。どこでもノンストップで辛口なことを喋り続ける。しゃかしゃか歩いて、少しでも安くなる方法を探す。関西の人に馴染みがない九州育ちの私にとっては楽しく、新鮮な経験で面白かった。
しかし、昨年のはじめからおばちゃんは体調を崩し、夏が終わる頃には終末病棟に入院した。ガンが転移して治療ができないところまできていたらしい。定期的な近況報告が途絶え、心配していた矢先、母に電話が入った。
おばちゃんは医者から「最後に話したい人に連絡をしなさい」と言われて電話をしてきたらしい。母はびっくりして明日にでも奈良へ会いに行こうかと考え、すぐにおばちゃんの家族に連絡をした。
しかし旦那さんからは「すぐにどうこうはないんですよ。元気ですし」と宥められ、そわそわした気持ちをどうしていいのかわからず、夜遅く私に連絡をしてきた。「生きてる姿をみときたい。次に会うのが棺に入ったのは…」と母が居ても立っても居られない気持ちでいることをすぐにわかり、翌日から偶然2日間休みだった私は、母と奈良に行くことにした。
奈良の病院に会いに行くと、1年前、しゃかしゃか歩いて私の曾祖母が住んでいた場所に連れて行ってくれたおばちゃんは、痩せてあまり話せなくなっていた。おばちゃんの姿と状況を直視できず、「ふたりきりで話しぃ」と声をかけ、逃げるように離席した。医者が「話したい人に連絡をしなさい」といった意味がよくわかる。それから私は待合室で気を紛らわせるべく、手帳を開いた。家計簿をつけたり、今の気持ちを書き留めたり…。あまり落ち着かなかった。
数十分後、母が「もう充分話したから」と待合室に顔をだしたので、最後にもう一度2人でおばちゃんの病室に行った。母は努めて明るく話しかけていたが、私はなんと話しかけていいかわからず「おばちゃん、またね」とだけ声をかけた。
「また」はあるのかな。
「また」はもうないよなぁ。
薄っぺらい自分の発言にひっかかりを感じた。
翌日は湿っぽくならないように観光がてら奈良公園に母と行った。動物が苦手な私はベンチに座り鹿を遠巻きにみていたが、ふと気がついたときには鹿に囲まれており、悲鳴をあげると置いていたトートバッグの中に顔を突っ込まれて漁られた。「やめてよぉ」と叫ぶ私を外国人は笑っていた。
また乗り換え駅ということもあり鶴橋で化粧品を買い、韓国料理を食べた。何となくぼったくられた気がする。
バタバタではあったが、一泊二日の弾丸旅は終わった。旅の道中母はしきりに「あんたが連れてきてくれたけん、よかった。一人じゃここまで来れなかった」と言っていた。アフターコロナの繁忙期ど真ん中の偶然の2連休は奇跡に近かったので「タイミングがよかったねぇ」と返事をしていた。
1週間後、おばちゃんが亡くなったと連絡が入った。覚悟はしていたが、まさかこんなに早いとは思わなかった。
目まぐるしい1週間だったが、あのとき、思いきって会いに行って良かった。先延ばしにしていたら、お骨になってからしか会えずにずっと後悔していたと思う。色々な良いタイミングが重なりおばちゃんに最後に会えて、母を連れて行ってよかった。今は素直にそう思えている。
それじゃ、おばちゃん、またね。