転職をしてすぐに目標管理シートを作成するように言われた。いくつか項目があるなかでSDGsに関することも目標として立てねばならず、ふた周り以上離れたベテランの先輩に相談をしたところ「うちの会社はペーパーレス推進だからそれを書いたら?」とアドバイスをくれた。考えるのがめんどくさかったため、そのまま「ペーパーレスに努める」旨の文章を作成した。私の横で先輩は「え、なんでぇ〜」とミスプリントをじゃんじゃん出しているコピー機と格闘していた。 無駄なコピーや紙を使うのは良くないことは
私が10代の頃、8月31日は夏休み最終日で夏が終わる日だった。9月1日は秋の始まりで新学期のスタート日だったと思う。今は8月下旬から新学期は始まるし、9月になっても全然涼しくならず夏のままだ。台風は来るくせに。 それでもスーパーは9月になるとカレールーの棚にシチューのルーが幅を利かせてくるし、雑貨屋には金木犀の香りのグッズが並ぶ。今が秋なのか夏の延長戦なのかよくわらないが、もし、既に秋なら今年の夏、私は何をしただろうか。 8月は「呉冷麺と広島つけ麺をたべたい」というだけ
歳を重ねるごとに友人は減る。 元々少数の友人と深く付き合うタイプなため、友人は多くない。さらに社会人になると結婚やら就職やらで疎遠になるし、近くにいても出産や育児でなかなか会うことがない。 しかし、ありがたいことに仕事で知り合った方と仲良くなることが増えた。社会人経験を経たからなのかババアになったからなのか、神経も図太くなり、人見知りをしなくなったからこそ、色々な方と気軽に話したり、どこかに行くようになった。肩肘張っていた二十代に比べると、肩こりは酷くなったが随分生
転職をしてから期間限定ではあるが、土日祝日休みになった。長らくシフト制で働いてきたので、5日間連続で働くことに慣れず、日々金曜日が待ち遠しい。 毎週金曜日。退勤後の開放感が心地が良い。何か買って帰ろうか。デパ地下に行ってみようか。そんなことを考えながらふらふらしていた転職後初めての華金。気がついたらドンキにいた。ぼんやり歩いていたら外国人観光客の波に流されてしまったのだ。何となく韓国ラーメンを買って帰る。全然華やかじゃなかった。 しばらくすると、1週間お疲れ様の
君が「求められる」存在になればいい。 これは高校時代からひそかに人生のバイブルにしてきた、とあるベーシストの書籍に載っていたひとこと。高校時代に何度も読んでは励まされていた。年明けに久しぶりに読み返したら、モチベーションを改めて上げてくれた。 その後「提出しなかったことを後悔をしたくない」と思い、生まれ育った地元の同業他社の採用に応募した。トントン拍子に決まり、あれよあれよと退職・転職・引っ越しとなった。転職先で「求められる存在」であったことが素直に嬉しかった。退職を
遅くなったが年明けから少しずつ今年の手帳を作りこんでいる。長年EDITの1日1ページの手帳を使用しているので、まずは、1ページずつ真ん中に線を引き、左側に仕事のスケジュール記入欄、右側に「HOUSE WORK」や「SHOPPING LIST」などのスタンプでプライベート欄を作る。 次に1年間の目標100個や1ヶ月の目標などを前後のページに記入する。目標は「仕事」「お金」「健康」「趣味」「姿勢」「くらし」「挑戦」「買い物」「その他」の項目に分け、トータルで100個書く。
1年前に母と2人で関西に行った際に、奈良に住む母のイトコと合流して一緒に観光をした。母のイトコは典型的な関西人のおばちゃん。どこでもノンストップで辛口なことを喋り続ける。しゃかしゃか歩いて、少しでも安くなる方法を探す。関西の人に馴染みがない九州育ちの私にとっては楽しく、新鮮な経験で面白かった。 しかし、昨年のはじめからおばちゃんは体調を崩し、夏が終わる頃には終末病棟に入院した。ガンが転移して治療ができないところまできていたらしい。定期的な近況報告が途絶え、心配していた矢
「お前はちびまる子ちゃんに出会わなければ、もっと真面目な人生だったろうね」 昔、兄から言われた言葉である。 ちびまる子ちゃんは作者の幼少期を元にしたエッセイ漫画。初めてちびまる子ちゃんを読んだ小学生の私は「すべて本当の話なんだ。宿題しなくてもいいんだ!こんなふざけたことをしてもいいんだ!!」とアホな解釈をして影響を受けまくった。まるちゃんは何も悪くなく、私がアホだった。それに尽きる。 その結果、それまではキッチリした子だったのに真面目に生きるのはバカらしいと斜に
2023年1番の決断。結婚相談所に入った。 きっかけは周りからのプレッシャーや自分自身の焦りもあるが、仕事にしか居場所がない状況に危機感を覚えたことが大きい。役職についている手前、自分を犠牲にすることが多かったが、なんというか振り回されるのに疲れた。激務と言われる業界で働くこと10年。やっとこさ仕事以外の時間を大事にしたいと思うようになった。 コロナが流行り始めた頃、仕事が暇になり婚活をしたことがあった。サクラにもしっかり引っかかった。マッチングした方からの連絡一発目
定期検診のため眼科へ。近距離で複数人が視力検査をしていたのだが、隣のご婦人が大きい声で「ひだり」というと、私の検査スタッフは、私が言ったと勘違いして「はい正解で〜す♡」と返事。「…え?!え!!」と思っている内に検査終了。視力悪くなっていなかった。
知人が九州に遊びに来てくれた。1年前に関東で会った時は2人して縁結びの神の思し召しに悪態をついていた。今年は地元で有名な恋愛成就の神社に行ったが、やはり2人して「賽銭が足りないの?おみくじの結果に納得いかないんだけど…」と気がついたら文句言ってた。必死な奴の戯れ言と許して下さい。
80過ぎた叔母を外に連れ出そうとお肉をごちそうしたら、しっかり完食。周りが驚くなか、「戦後育ちなもんで」のひとことがじわじわ面白い。おばちゃん、また行こうね。
昔から言い間違いが酷い父。最近では、しょこたんが結婚したニュースをみてひとこと。 「おい、シャコタンが結婚したぜ」
後ろを紐で結ぶデザインの黒のカットソーを着て母に会ったら「飛脚なん?」と言われた。BEAMSなのに。おろしたてなのに。
私の友人は小学4年生のころ、真面目な同級生から「あなたはもうちょっとちゃんと生きた方が良いと思うの」と言われた経験をもつ。数年後の中学1年生の給食時間に、友人はその面白話を自虐ネタとして班のメンバーに披露した。友人とその同級生を知る私は隣で爆笑していたが、そんな私を横目に友人は冷静に「笑ってるけどさ、あんたも隣にいて一緒に言われたけんね」と言った。びっくりした。全く覚えてなかった。 振り替えると小学4年生のころの私たちは、昼休みに家から持参したGLAYのベストアルバム
正月に両親、兄夫婦、私と家族全員が揃い「今年も全員健康に過ごそうね」と話した。6日後、両親はともにコロナ陽性になり、高熱で意識が朦朧としていた父は入院になった。仕事中にその一報を母から聞き、頭が真っ白になりながら状況を整理してふと思った。両親が症状が出始めた日から逆算すると私もコロナの可能性があるのではないか、と。何なら両親にうつしたのは私なのではないか。年明けからなんとなくだるいし、喉も痛いような気がする。 頭が混乱しつつも、急いで両親の対応をしてくれた兄に連絡をいれた