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あなたの「好き」は、ほんとに好き?

あなたの「好き」は本当に「好き」ですか?


映画を見ることが、好きだ
音楽を聴くことが、好きだ
食べることが、好きだ
寝ることが…


いろいろあるかと思います。

でも、それって本当に心が楽しんでやってることでしょうか?
心が湧き立つような、やらずにはいられないことでしょうか?

私は、料理が「好き」だ(と、勘違いしていた)

だって、冷蔵庫にあるもので瞬時に献立を立てて、手早く作り上げることができる。
一度に2~3品、同時に作ることもできるし、失敗もそんなにしない。

「まずい」って言われたこともほとんどないし
毎食、それなりに、みんな食べてくれる。

休みの日には、平日のために何品もつくりおきおかずなんか作っちゃって、保存容器が冷蔵庫内にキレイに並ぶと清々しい気持ちにもなる。

子どものお弁当の日だって、朝4時とかに起きてカラフルなキャラ弁作っていたかと思えば、「冷凍食品なんて絶対に使わない!」と決め込んで、オール手作りのおかずで固めたりという時期もあった。

私を含めた家じゅうの誰もが、私は好きでこの料理という仕事に取り組んでいる、と信じて疑っていなかったのだ。


ある時、友人の家でご飯をごちそうになる機会があった。

ご飯なんて食べさせてもらう予定はなかったのに、時間や、その場の流れで
「食べていく?」
ってなった。

彼女が出してくれたメニューが
・お味噌汁
・おにぎり
・しょうがの佃煮

すごくシンプル。

ただ、ひとつひとつのてまひまは想像を遥かに超えたものだった。

何種類もの野菜を重ねて何時間もとろ火で煮込み、ミキサーにかけた出汁で豚と鮭も入ってて、味噌は手作り。
合鴨農法の無農薬の玄米の栗ご飯と、手作りの梅ぼしの2種類のおにぎり。

体にも、心にもジーンと深くしみわたり
エネルギーにあふれてて
「美味しい」
の一言では表せないものだった。

彼女は、誰かをもてなすと想定していなくとも
この料理を、日々作っている。
自分のために。
自分を喜ばせたいから。


私はというとどうだろう。
ふと、私の料理との向き合い方を顧みた。


私は、誰のためにごはんを作っていたんだろう

もちろん、家族のおなかを満たす必要がある
それと同時に、体にいいものを提供したいという思いもある

それだけだろうか。

お弁当は「子どもの喜ぶ顔が見たい」と同時に
保育園の先生の評価も欲しかった。
「おかあさんのお弁当、いつもすごいですねー」って言われることへの期待もあった。

そして、「体にいいもの」と信じて作り続けていた加工品を避け、野菜中心のヘルシーなご飯

これも、どこかに
「おかあさんは、こうあるべき」
という、自分が勝手に作り出した母親像に囚われていたのではなかろうか。

その、いい母親になぞられるべくして
どんなに疲れていようとも、「からだにいいものを…」と
眉間にしわを寄せ
大量の野菜を切り刻み
「おなかすいたー」とぐずる子どもにイライラしながら
何も手伝ってくれない夫に怒りを覚え
そうして出来上がった料理を疲れ切った表情で食卓に並べる。
残そうもんなら
罪を犯したかのように咎め
「こんなに私ががんばって作ったんだから食べなさい」
と無理やり食べさせる。

これが、料理を好き、と言えるだろうか。

いや違う。

わたしは、置かれた環境によって、料理のスキルはあるけれど
「好き」
ではないのだ。

うまくできることと、好きなことは、似ているようでぜんぜん違う。


それに気づいてから、家族の前で
「わたしやっぱり料理好きじゃないです宣言」
をした。

こんなに大量の料理を短時間で数種類作るのはもう私のキャパを超えてきています!

毎日の献立を考えるのが実は憂鬱です!

休みの日に大量にいろいろ作るのは、平日にラクしたいからです!

一人で台所に立つことが「なんで自分ばっかだ!」とイライラします!

土日くらいはごはん作りから逃れたいと本当は思っています!

そういった本心を初めて夫や子どもたちに伝えた。

(そっか、わたし隠してたんだ…)


夫の反応は意外にも「怒り」だった。

『今まで、「好き、好き」言ってやってたじゃん。
好きって言ったり、嫌いって言ったり、コロコロ変わり過ぎてその言葉は信用できん。』

いいえ、わたしは初めて料理嫌い宣言をしたのです。

だって、いい妻に、いい母親に見せたかったから。

けれども

夫はなかなか私の料理嫌いを認めてはくれなかった。


だってそうでしょうね。

夫が妻より料理のスキルが劣っていることは歴然。
そして、夫も料理好きではない。
でも、妻が好きでやってくれるから、夫は料理をする必要がない。

が、しかし
妻が仕方なく、好きでもない料理をやっている。
しかも、なかなかな負担感を感じている。
と、なると、家庭を円滑に運営していくにあたって、夫も料理へ携わる、もしくは、外注の割合を増やす、などの選択肢を選ぶ必要が出てくるのだ。

妻が料理好き、って方が、夫にとっては都合がいいのだ

それからわたしは、1ヶ月くらい、いかに自分が料理が嫌いで、いやいややっているのか、ということを伝える続けた。
あなたと同じで、誰かが作ってくれるごはんを食べる方がいい、ってことを伝えて続けた。

同時に、こういう手助けがあると、嫌いだけど、そこまで負担なくやれる!ってことは何かを自問自答した。

そして伝えた。

帰りが遅くなる時は、ごはんを炊いて味噌汁を作ってもらうと助かる。
配膳を手伝ってほしい。
朝は少し早く起きて子どもの食事介助に入ってほしい。
メニューを見てみてドレッシングやマヨネーズが必要そうなら冷蔵庫から出して欲しい。

自分がやってもらえなくてイラッとするポイントを見つけて、素直に伝えた。


それから、自分自身も料理に対する「ねばならない」を少しずつ外すようにした。

カップラーメンを解禁
冷凍食品も使う
朝のお味噌汁がない時もある
パンに牛乳がない時もある
一汁三菜感覚を捨てる(一汁一菜、または一菜)
何時までに出す、というタイムリミットを捨てる(配膳がたとえ30分遅れても死ぬことはない)


夫も私も、少しずつ変わっていった。
私が〇〇して欲しい、ってことはやってくれるようになった。
そして、その都度、気づいたことは柔らかい言葉でタイムリーに伝えるようにした。


食卓は前に比べると色気がなくなり閑散としている時も増えた。

でも、会話が増えた。

笑顔が増えた。


「嫌い」なのに「好き」といい聞かせてやっていた料理。

なんとなく、うまくやり過ごせたことで
「好き」
と錯覚してた私。

周りにとっても、それが都合がよかったから、なおさら気づかなかった。

料理にかかわらず、仕事にしても、趣味にしてもそう。

何かを紛らすためにやっているかもしれない。

誰かにとって都合がよくなるからやっているかもしれない。

ほんとは「好きじゃない」なものを、「好きだー、好きだー」と言ってやり続けていると、心と行動に乖離が生じてくる。


あなたの「好き」はほんとの「好き」ですか?



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