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少しでも髄液を増やしたいための点滴
あっという間の年末年始でした。
9日間という連休も光の速度で過ぎていき、
また夫は仕事へ。
子どもたちはスクールへ通う日々が始まりました。
わたしは幸い、痛みはあるもののお薬もそれなりに効いてくれて
年末年始を落ち着いて過ごすことができました。
ふぅ〜っと心底ホッとしています。
(病院がしまっていると何かあったらと心細いのです…)
わたしの住んでいる地域は毎日お天気が良くカラッと晴れていて
午前中は太陽を浴びてお散歩に行くという習慣も出来ました。
これはナイスな習慣で、一日中部屋に引きこもることもなくなり
前向きなメンタルにも繋がるなぁと感じています。
夜の寝つきもグッと良くなりました。
体ってすごいなぁ、お日様に合わせた生活や自然に触れていると
自己治癒力が上がりそうです。
純粋に気持ちがいいのです。
本能が自然を求めている感覚です。
さて、どこまで書いたかなぁと自分の書いた記事を読み返しました。
思い返すとまだ心が痛み、辛い気持ちが湧き上がり、これは本当に大変な作業です。
なんだか心が怖がっているというか、息苦しくなるというか。
なのでなかなか書けずにいましたが、そろそろまた書こうと思います。
2024年9月に入ってから合わない薬もあり、体調を崩していました。
日に日に悪くなっていきます。
首から腰にかけて燃えるような痛みがあり、体に力が入りません。
それまで効いていた手持ちの鎮痛剤が効かなくなっていました。
何とか痛みだけでもコントロールしたい。
でないと気が狂ってしまう。
9月はこの痛みで何度か診察となりました。
そこで処方されたのがタリージェというお薬です。
神経痛に効果が期待できるとのことで、処方されたのは9/12(木)〜。
この日からタリージェを飲み始めます。
同時に、ブラッドパッチ入院までの1ヶ月間、少しでも髄液を増やしたい一心で
主治医に点滴の指示書を書いてもらい、近所の内科で点滴を受けられるようにしました。
週に2回、500mlを2袋(1ℓ)1時間で入れる高速点滴です。
普通では考えられない速度と量だと思います。
内科の先生はその指示書を見て苦笑していました。
点滴の落ちる速度もポタポタではなく、ダダダダダーっと落ちていきます。
それが血管内に入るのですから、心臓も少しバクバクします。
血液も薄くなり、ぐったりです。
脳脊髄液減少症の方はこれがよく効くようなのですが、
わたしの場合は点滴を受ける度に調子を崩し、どんどん寝込む日が増えていきました。
最初は全然気づかなかったのです。
どうしてこんなに急に具合が日に日に悪くなるのだろう、これだけ点滴して頑張っているのに…
点滴した日は体が芯から冷えて、気持ち悪くなり、吐き気もする、ぐったり。
食事は一切取れなくなり、何とか水分だけは取るようにしていました。
カロリーメイトを必死に口に詰め込みながら、布団の中でひたすら
必死に時間が経つのを待つ。
入院日まで指折り数えながら、ひたすらひたすらひたすら耐える日々。
地獄でした。
ですが、こんな状況でも一つだけ貫いたことがあります。
それはお風呂に入ることです。
どんなに苦しくても起き上がることが大変でも、お風呂にだけは毎日入っていました。
これだけは絶対、です。
これが出来なくなると、いよいよダメになると感じていたからだと思います。
それにお風呂に入る前までは辛いけど、入ってしまうと良い気分転換にもなり
『がんばって入ってよかった〜』といつも思うからです。
痛みも何となく落ち着く時もありました。
点滴を4回ほど受けた後に、なんかおかしいとやっと気づき始めます。
日々、症状日記をつけているのですが、読み返すと点滴を受けるごとに
弱っていっている。
こんなことってあるのかな・・・
当初はそう思っていました。
脳脊髄液減少症の人は点滴が必須なのではと思い込んでいたのです。
けれど、とある脳脊髄液減少症の闘病期の本を読んでいた時
わたしと同じ経験をされている本に出会いました。
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その方も点滴をする度に体調を崩されていて、先生に何と言われようと
自分の体の声を聞くことが大切だと書いてありました。
わたしはこれを読んですぐ、点滴を中止しました。
すると少しずつ体は温かさを取り戻し、本当に少しずつですが
どうにもならない状況からは脱していきました。
けれども
まだまだ試練は続くのです。