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神様との日々

朔徠(さくら)との日々を書きます
さくらは出産の時、わたしのいきみが弱かったために吸引分娩となりました。
そのため黄疸が出てしまい、退院が1日伸びました。
退院後も毎日産院へ通い、治療を続けました。
黄疸が完全に引いたのは、生後1ヶ月後だったと記憶しています。
毎日毎日真っ黄色のうんちを出し、少しずつ回復していきました。
元気も少しづつ取り戻していきました。

我が家に新しい仲間が増えた喜びと、親になった重責と
慣れない日々。
神様が泣くとわたしはオロオロ。。。
おっぱいをあげてミルクも作って飲めせ、体重もその度に測って記録して。
その繰り返し。
さくらはあまりミルクを飲まないタイプだったので、体重の増え方もゆっくりです。
いつもいつも心配していました。
神様からお預かりしたこの命を守らなければ、その一心です。
赤ちゃんによく見られるちぎりパンのような腕にはなりませんでした。
それでも成長は割と早かったように思います。
首の座りも寝返りもハイハイもつかまり立ちも。
ハイハイというか膝をつけないようなハイハイ?でした。
自分の足で歩き出したのは生後11ヶ月に入る頃でした。
ニコニコとよく喋る子でした。

さくらが生後半年を迎え、離乳食が始まった頃、
(これまたなかなか食べず、苦労しました・・・)
わたしは二人目のこどものことを意識し始めました。
昼間、さくらが生後半年を迎え、さくらを母に預けてから、産婦人科に通い始めます。
そして二人目の妊娠の希望を伝え、準備を始めました。
妊娠しやすくなるようなホルモン注射や排卵日の予測などを教えてもらい
ながら、通い始めて3ヶ月。
なんと二人目を妊娠することができました。
桃萌子(ももこ)はすぐに来てくれました。
さくらが生後11ヶ月になる頃です。
また神様がわたしのお腹の中に来てくれました。
今になって振り返ると、この頃から首の痛みや頭痛を感じていたように思います。
産院でカロナールを処方してもらっていました。
不安感や自律神経失調症の予兆も感じていました。
それは新しい生活が始まったからとか、産後のメンタルが安定しないためとか、
妊娠しているからホルモンの影響なんだと自分を納得させ、なんとか日々を送っていました。
ももこの妊娠中はカロナールをほぼ毎日飲んでいたように思います。
耳管開放症も併発していました。
そしてここから妊娠の体での子育てと体の違和感が始まります。
もしかして。。
もしかしたら、この頃からが脳脊髄液減少症の始まりだったのかなぁと
今になって思うことがあります。

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