ほんとうの自分を生きる (from『歎異抄』)
真の自己。
こればかりは
オノレの感情を活用して
生きてみないことには
誰にもわからない。
存在の数だけ
無限の真実が広がる。
(無限だから数とはいえないけど)
ということは
生きてみれば
誰にでもわかる
ということ。
存在するだけで
生きるだけで
生きていくだけで
自分は
ほんとうの自分を
生きられるということ。
それがほんとうかどうかは
自分の心がわかってるし
自分で決めていいこと。
「弟子ってどういうこと?」のつづき↓
『歎異抄』 第七条
宇宙のしくみを思い出し信じ
ほんとうの自分を生きるということは
何ものにも妨げられることのない
ひとつの教えであります
その根拠は何かといえば
その流れを信じて
真の自己に生きる人には
天の神や地の神も関係なく
魔物や外道という考えも
妨げとなることはないからです
自分で勝手に創り出した
罪悪感や思い込みに
悩まされることもなく
本来の自分を生きることは
世間でいわれるような
様々な方法とは比べられないほど
大切な教えだと言うことができます
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極楽も地獄も
幽霊も障りも
みんなその人が創り出した幻想。
それが在ると信じていれば
自分の世界に投影されるし
そんなんないわ!と
信じていれば全く放映されないもの。
自分が世界に与えるものを
そっくりそのまま
受け取っているだけ。
信じる人にとってはホントウだけど
信じない人にはウソに思える。
(ウソがホントウ…)
信じているものがちがうだけ。
価値がないということではなく
事実 物理的にそう見えている
という現象のひとつ。
信じたように感じ
見たいように見える世界。
よきかな、世界。
法然さんも
親鸞さんも
存在の本来の姿を
説いていたんだな~と
不思議な気持ちになる。