念仏は修行でも善でもない
本来の念仏は
苦しい修行でもなく
自力でなんとかしようとする
善でもない
※「ほんとうの自分を生きる」のつづき↓
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『歎異抄』 第八条
宇宙の法則を思い出し
信じるということは
これを信じる人にとっては
修行でもなく
自力で行う善でもありません
自分の意志で行うことではなく
自然に起きているだけの
宇宙の流れのひとつなので
修行とはいいません
自分の意志で
励んでする善ではなく
流れにまかせて
起きていることなので
自力でする善でもないのです
ただ宇宙の流れに乗って
起きるに任せているだけであって
自分でなんとかしてやろう
という自力の気持ちは
少しもないので
宇宙のしくみを信じて
本来の自分を生きている
他力に任せる人にとっては
苦しんでする修行や
自力で行う善ではないのです
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南無阿弥陀仏
なんまんだぶ
南無阿弥陀仏
なんまんだぶ
擬人化された
阿弥陀仏は
宇宙のしくみのこと
念仏は
本来の自分を
思い出すための
おまじない
念仏しよう!
という気持ちさえも
ただ宇宙の流れの中で
自然に起きている
ひとつの動き
安心して大丈夫
そのままで大丈夫
たくさん心配しても
ちっとも心配しなくても
どちらでも大丈夫
※「自我やエゴが存在する理由」へつづく