笑いについての後悔
前置き
中学3年生の頃、僕は所謂イジられキャラとして、クラスのポジションを得ていた。そこに至るまで変顔とかモノマネとかをやったりした。
イジられキャラというのは、比較的皆んなが嫌がること、やられたら嫌なことを自虐的に、しかし楽しそうにやるのが世の常なのだ。
こちらも嫌がらせを受けて、ただ、やめて欲しいという感情だけを抱いているのであればそれは、イジメに近い、というかイジメになるので、しっかりとやめてと自己主張をするしかない。
ただ、僕は皆んなが笑ってくれるというので、全然喜んでやっていた。それが幸せなのだ。
ホンペン
中学3年生の卒業旅行でディズニーランドに行くことになった。
この頃クラスのみんなが僕に飽きていて、対応がとても冷たかった。卒業間近にして少し辛い思いをしていた。そんな序列が下がった中でのディズニーランドは楽しめるのかというと、良い思い出になったとは言い難い。仕方ないなという思いと、虚しい気持ちを抱えながら、海底二万マイルの暗闇の中で泣きそうになった。
夕方になり、もう帰る頃かなと列の後ろの方で考えていると、3人のクラスメイトが来て、あるものを差し出してきた。食いかけの肉まんである。
※
A「これ、食っていいよ〜」
僕「うーん。」
気付いた。完全に地面に落ちた肉まんなのだ。少し前の僕なら直ぐに食べて、「それ落ちた肉まんだよ」と言われ、「うぉーい!ふざけんなよ!」とリアクションを取ったのだろうけれど、今は気持ち的に明るいリアクションができる気がしなかった。
僕「えぇ、今はいらないかなあ」
A「いいから、食えよ。普通の食いかけの肉まんだって」
僕「いやぁ、えぇ、じゃ、じゃあもらうわ」
パクパク
A「。。。」
B「。。。」
C「。。。」
何も起こらなかった。何もできなかった。そして、また惨めな気持ちになってウエスタンリバー鉄道の後ろの席に乗った。
今から7年前もの話だけど、未だに情景がはっきり浮かぶ。そして、とてつもない後悔がある。もっと、いい感じにできた。なんなら、笑いを取れたかもしれなかった。また、自分を保てるチャンスだったのではなかったのかと思っている。
※
A「これ、食っていいよ〜」
僕「うーん。これ、食べたくない。落ちたやつでしょ。」
A「落ちてないって。普通に食ってたやつだって。」
僕「いや、絶対落ちたやつだと思うし、俺はこれを食いたくない。あと、面白くないでしょこんなの。」
A「いいから食えって!」
僕「これを食べても何も面白くない。だって、中にワサビとか入ってるならまだしも、落ちたやつと普通の肉まんは何も変わりがないじゃん。嫌がらせだってただの。」
A「うーん。たしかに落ちたやつだよ」
僕「言ってくれてありがとう。BもCもだけど、嫌がらせとイジリを履き違えないで。俺がこれ食ってもリアクションできないでしょ。」
B,C「(コクン)」
僕「これで、腹を壊さなくて済むわ。(パクッ)」
A,B,C「いや、食べんのかよwww」
こんな結末になったんじゃないかと妄想しています。
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記憶だと、凄い面白いくだりになっていたのだけれど、いざ、勇気を持って文字起こしをしてみると、説教くさくて、長いし、口調とかも笑いを取ろうとしてるやつじゃないじゃん。みたいに、思ってきて、なんだかなぁという感じです。
記憶で楽しむのはいいけれど、リアルでやらないと自信過剰に繋がりそうなので気を付けます。