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“私と同い年になった母”の変化

母は精神病である。
ある日、母は「なんだか若い頃の自分に、人格が戻った気がするの」と言った。

「うんうん。そうしたら、同い年くらいかな。」と答える私。

ある程度のことには慣れっこになっている私。
いつも通り、驚くこともなく、母の話を聞いていた。

それから数日、数ヶ月、
たしかに、母は以前とは違うのだ。

以前の母は、ロジカルで合理的で、
「人生は金」なんて言うような人だった。
ひとりでなんでもできて、とんでもなく自立していた。
気性はジェットコースターのようで、幼い頃からとにかく母が恐かった。
「一寸先は闇」といつも思っていたくらい、
今ニコニコとしていても、母の意図と異なることをすると怒り狂う。

しかし、今は「人生は愛だ」というようになった。
「愛する人と結婚して一生添い遂げることが幸せだ」と言うのである。
これまでの母からしたら、信じられない発言だ。
(ちなみに母と父は昔から不仲なので、父のことを指しているわけではない)

さらに、話し方も明らかに変わったのだ。
何を言いたいのかわからないグダグタとした話し方。
以前はどんなお店などにいって手続きする際もテキパキとこなしていたが、
最近はそれがうまくできないでいる。

モタモタとした話し方に、私がイライラしてしまったときも母は怒らない。
これまでだったら、私が不満そうな顔を見せただけでお怒りだった。

認知症か?と疑って検査を受けてもらったが、認知症ではなかった。

なにをするにも、ひとりじゃできない・・
とクヨクヨし、私が付き添う。
歳を取って弱気になっている、とかいうレベルではない急激な変化である。

極め付けは、私が食物アレルギーであることを忘れていたのだ。
たしかに、母が戻ったという30歳のときには私はまだ生まれていなかった。

母は私のことを「娘というかんじがしない」という。
全く誰だかわからないということではないけど、
感覚的に自分が産んだ感じがしないと。

そりゃそうだ、30歳のときの母なら、私はまだこの世にいないのだから。
なんとなく納得しつつも、複雑な気持ちである。
私にとってはずっとずっと母なのだが、
母にとっては私はなんなんだろうか、と。

これまで、“自立した母”の教育を受けてきた私は
家族との関係も付かず離れずのほどよい距離感だった。
それが完全に頼られることになり、
急に距離感がものすごく近くなり、かなり動揺している。

ただ、おそらく、これが本来の母なのだと思った。
これまで、人格を変えないと生きていくことができなかったのだと。

私は、この私と同い年の弱気で甘えん坊な母とこれから生きていくのである。


きっと世の中には、私と同じように精神病の家族を持つ方が
たくさんいると思います。
みなさん、どのように向き合っているのでしょうか?
私は誰にも言えず、誰にも相談できず、孤独を感じています・・

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あきかん
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