母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~
被爆80年を前に、広島市は被爆した家族の体験を伝承する『家族伝承』の事業を始めました。
しかし、諸事情で(どんな諸事情なのか、おいおいお話しするとして)、市の認定する研修生・伝承者になれなかった人が多くいました。
私もその一人です。
一旦はあきらめかけた母の被爆体験伝承。
でも、公的機関が準備してくれる場所で語るだけが、伝承ではありません。
幸いにも、私には『文章を書く』という能力が授けられていました。
その後、縁あって(どんな縁なのか、おいおいお話しするとして)、
2023年3月に、原爆資料館(正式名は広島平和記念資料館ですが)で、
母の被爆体験を講話する機会をもてました。
そのとき、語った内容と、これを作りあげていく過程アレコレを、
ここで、こそっと つづってまいります。
まずは、母の被爆体験『母からの宿題』から
1.母からの宿題
被爆2世の菊池安芸子です。
安芸子の『安芸』の字は『安芸の国・広島』の『安芸』です。
本名です。
母がつけてくれました。
今日はその母の被爆体験を紹介するのですが、
その前に被爆2世としての私の体験を話させてください。
私が生まれたのは、被爆後20年の昭和40年、1965年です。
59歳になったばかりです。
次回【米国での被爆2世としての体験】へ つづく