連作短編小説「婿さんにいってもいいか」10月

【十月 三角関係の秋】

 すっかり日が暮れるのも早くなり、夜七時ともなると外は真っ暗になってきた。いつも通りに仕事から帰ってきて、いつも通りに家族と夕飯を食べ、いつも通りに二階の自分の部屋にあがってから、栄子はフリースのポケットに入れていたスマホを取り出した。
 『家族の時間はスマホを見ない』
 お祖父ちゃんが決めた我が家のルールだ。Uターンで帰ってきたときは、『めんどくさっ!』と思っていたルールだが、このルールがないと仕事していない時間は、ずーっとエンドレスにスマホにさわってしまうことに気がついてから、ありがたいルールだと感じるようになった。家族と一緒の時間は人間でいること。ただ、言い出しっぺのおじいちゃんが、自分のスマホを持つようになってから、一番のルール違反者になっているのは笑える。

 「電話? めずらし。小春かな」
 滅多にみない着信のメッセージに独り言が出る。
 しかし、その着信は、毎日のようにLINEで連絡をとりあう中学からの同級生・小春ではなかった。
 「静香?」やはり中学からの同級生で、同じく同級生と結婚して町内に住んでいる。夏の同窓会で会ったときに妊娠したって言ってたっけ。
 「なんだろ?」スマホを操って、静香にリダイヤル。ダイヤルはないのにリダイヤルっておかしい…なんて思いながら。「もしもし、今、大丈夫?」
 「うん、大丈夫」静香の声が鮮明に耳に飛び込んでくる。「ごめんね、たいした用じゃないんだけど」
 ちょっと沈んだ声にも聞こえる。だけど、それは機械の性能の問題ではなく、付き合いの長い友人だからこそわかる事実。
 「どがぁしたん?」
 「うーん、ちょっと誰かとお喋りしとうてさぁ」
 「なーに、マタニティブルー?」冗談まじりの口調で言ってみる。
 「…そぉなんかなぁ」
 「ほんまにブルーになっとるん?」溜め息まじりの返事がかえってきて、栄子は眉をしかめた。「耕一は?」静香の旦那の名前を出す。
 「秋祭りの準備」
 「…と言う名の呑み?」
 「…当たり」
 伝統芸能の稽古、夏祭りの山車作り、運動会の練習、秋祭りの準備…、各集落とも毎月なにかしら集う会がある。婦人会単位だったり、PTA単位だったりもするが、各自治会の青年部は、なにかあるたびに集っては話し合う…酒と一緒に。
 そう言えば、研修生のさつきさんが言ってたっけ。『自治会青年部の飲み会だって行ったら、オジサンばっかだった』って。四十代まで青年部を名乗っている不思議。

 「お腹の赤ちゃんは?」きっと、そのことを話したいに違いないと察して、栄子は話題を静香の妊娠に向けた。
 「順調。つわりも一段落したけぇ食欲でちゃって体重が増えそうで怖いわ」
 案の定、静香の声がちょっと明るくなったようにも思える。
 「そっかー。はぁ性別わかるん?」
 「まだ。でも、生まれてくるまで知りとぉないようにも思うし」
 「じゃあ、名前はまだ考えてないん?」
 「まだ。英語でも発音しやすい名前を考えてはいるんだけどね」静香は高校の夏休みにホームスティしたアメリカ人家庭と交流を続けている。「でも、いろいろ恐ろしい事件が多いし、この子が大きゅうなったとき世界情勢はどがぁなっとるか不安にもなるわ」
 …どうしても暗い話題になってしまう。
 栄子は、また話の矛先を変えた。「三月でしょ、予定日?」
 「うん、八日」
 「仕事はいつまで続けるん?」
 深い溜め息が言葉より先に届いてきた。「それなんよー」
 「どれ?」また暗い方へいくか?
 「まぁ、産休はとれるんだけどねぇ」静香は県内でもトップクラスの優良企業である銀行の支店に勤務している。「私は退職したいんだわ」
 「えー、なんでー!もったいないー!」
 「だって、子供は自分で育てたいけぇ。保育園にいれるゆうても保育料を捻出するために働きに出るようなもんだけぇねぇ」
 「ふーん」同居している姑にみてもらいたくもないのだろうと察しもつく。「耕一のお母さんも工務店が忙しいもんねぇ」
 静香の嫁いだ上田家は小さいながらも祖父の代から建設会社を営んでいる。
 「…だといいんだけど、まだ」
 「暇なん?」
 「なーんか、不景気じゃん。仕事へっとるみたい」
 「そっかー」不況の波は人口比に関係なく平等に過疎地にも訪れる。
 「そんで、耕一は私に仕事を辞めてほしゅうないみたい。自分が子育てしてもいいけぇいうて」
 「耕一が?」高校時代から面倒見のいい兄貴分で通っている。赤ん坊をオンブしてユンボーに乗っている姿を想像してしまう。「なんか似合いそう!」
 「まぁねぇ」静香もそれは悪い気しないらしい。「でも、栄子、やっぱ、結婚するなら公務員がええよ」
 「うへ」そーくるか?「なに、静香は後悔しとるん?」
 「ううん、耕一と結婚したことは後悔しとらんよ。でも、生活を考えるとねぇ」そこで静香の口調は、少しばかりお節介調になる。「栄子、役場の照空さんと結婚するんでしょ?」
 「え!」そーくるわけ?「まだ、わからんよ、そがぁなこと」
 「絶対、ええよ。家はお寺だし。食いっぱぐれないじゃん」
 「うー」
 言葉につまったところで階下から母の救いの手がのびてきた。「栄子ー、お風呂はいんなさーい」
 「はーい!」威勢良く返事する。「ごめん、静香、もう切るね」
 「うん、栄子、結婚きまったら教えてね。妊婦で出席しとぉないけぇ、出産してからにしてぇよ」
 「ははは」とりあえず、妊婦の息抜き電話にはつき合えただろう。「じゃあねぇ」

 「って、夕べ、静香と話したんよ」
 翌朝、栄子は勤務先の老人ホームの入居者であるシノさんに会話の内容を話していた。ロビーに向かい車椅子を押しながら。傍目には『世話をする職員』と『世話をされる入居者』に見えるだろうが、実は『世話をやかれる若者』と『世話好きの賢者』と言ったところか。栄子とシノさんは、年齢を超えた固い友情で結ばれている。
 「静香ちゃんは心配せんでも、三浦照空が相手なら結婚は五年以上は先になるだろうねぇ」
 奥手というか真面目というか積極性のない男・照空のつけられたシノさん点数は低い。
 「…私、幾つになるんだろ」
 「まぁ、最近は四十歳超えての出産も多いらしいけぇ、のんびりしゃあええわいね」
 「そぉねぇ」栄子はいたずらっぽく笑う。「シノさんは、実現できたら今からでも出産したい?」
 「相手の男によりけりだねぇ」すかさず返事がかえってくる。「あの子ならいいけどねぇ」
 「え?」
 シノさんが指す方向をみると、早川敬太がニコニコ笑顔で歩み寄ってくるではないか。
 「こんちは!」
 「どがぁしたん?」
 「芋煮会の打ち合わせっすヨ」来週、ホームで行われる芋煮会に、敬太が研修で作った里芋が登場するらしい。他にも余興を披露するらしい。「楽しみにしといちゃんさいね」敬太は車椅子のシノさんの目線にしゃがみこむ。
 ちょっと、シノさんをとられたような気分になって嫉妬心がわきでる。
 「東京の彼女は元気?」
 「っだ」突然の話題の転換に敬太は言葉がつっかえる。「あれは友達だってば!」
 町では、先月、東京から遊びにきた三人の友達の誰かが敬太の恋人だと噂されている。二人の女性のどっちかか取り沙汰されているが、実は運転手をつとめていた男の子が本命ではないかともささやかれている。
 「ふふふ」シノさんは実に楽しそうに微笑んだ。「敬太、年上の女は好きね?」
 「はい、シノさんは大好きですよ」
 と、栄子は制服のズボンのポケットに入れているスマホが着信して震えているのを感じる。小春からのLINEにしては妙な時間だ。勤務中ではあるが、手をポケットに突っ込み、ちらっと画面を見る。そして自分でも気が付かないくらい、かすかに眉間にしわがよる。
 照空さんからだ。
 勤務中だし、出ない。
 その正当な言い訳に安堵してしまう。また、かかってきたら忙しかったと言えばいい。そう、かかってきたら、だ。ここんとこ、仕事が忙しいのか、週末に会う回数も減ってきている。
 『結婚するなら公務員よ』静香の声が甦ってくる。『くいっぱぐれない公務員よ』
 そうだろうか。イベントに駆り出され、秋の週末は全てつぶれ、代休もとれないくらい忙しい田舎町役場の地方公務員。出張や残業は当たり前。夏祭りも秋祭りも駐車場整理やステージ裏方スタッフとして出勤。家族で花火大会にも行けない。そんな男の女房になって安穏と暮らすのが幸せなのだろうか。
 栄子は視線をポケットからあげた。
 そして明るく会話に参加する。
 「私も年上の女なんだけどねぇ、敬太?」
 「だはっ」敬太は日焼けした顔を崩してニカッと大口をあけた。「シノさん、三角関係っすよ、これは」
 シノさんは、栄子がスマホをしまったポケットに向けていた視線をあげ、にっこり微笑んだ。「手強いライバル登場だねぇ」

十一月 五臓六腑】に つづく

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