はははしる 四区
【第四走者 柏木由紀(四十歳) 四区 一・五キロ】
三年前、癌の摘出手術をした。
娘たちを遺しては死ねない。まだ。
その一念で手術に挑み、術後の治療に耐えた。
上の娘が中学生になった今年、再発した。検査結果をきいた帰り道、河川敷を走る三人を見つけた。下の娘の同級生のお母さんたちだった。屈託のない笑顔で走っている彼女たちを、「ああ、この人たちには悩みもないんだろうな」と妬ましく感じながら眺めていた。
眺めていたら声をかけられた。
モヤモヤをエネルギーに燃やして走っているのだという。
限られた時間を有効に使いたくて走っているのだという。
食べるために走っているのだという。
なるほど。それぞれに生きているんだな。
先ほどまで妬ましく感じていたはずなのに、あまりにも爽やかに話しかけられるので自分の中の毒が消えた。ついでに癌も消えてくれればいいのに。
彼女たちは駅伝を目標にしているという。
目標があるっていいな。
うらやましいな。
目標がたてられるっていいな。
目標が達成できるまで生きていられる。
「一緒に走らない?」
ボーっと話をきいていたら、誘われていた。
「私?」
「そう。チームに入ってよ」
「ダメよ、私、運動したことない」
「今からすればいいじゃない」
「ダメよ、私、癌だもの」
つるっと言葉にでてきた。それまでかたくなに隠していた自分の癌。夫だけにしか知らせていなかった病名。娘たちにすら教えていなかった病名。それを、何の心構えもなく発表していた。
「あら、カンペイちゃんみたいね」蘭子がカラッと言った。「癌でも走り続けているお笑いタレントの」
一緒にしないでよ。
そう思った。
癌であることを公表する芸能人は許せなかった。わざわざ記者会見まで開いて発表し、それをテレビが放映し新聞が報道する。癌であることすら売り物にして金儲けして、特別視されることを喜んで。癌をひた隠しにする一般の患者たちをあざわらうかのように。
「あなたも、癌と闘うランナーね!」
「まだ、私、走るなんて言ってないじゃない」
「え。じゃあ、いつ走るって言う?」
え?
私も一緒に走ると決め込んでいる三対の目に見つめられ、フッと気が抜けた。
一緒に走るですって?
気安く言ってくれるわ。でも、気安く言ってくれる存在はありがたいわ。癌ってだけで、誰もが三歩さがってしまうのに。今まで、相手を困らせたくなくて、黙っていたのに。私ったら、魔が差しちゃったのかしら。ちゃらっと公表しちゃったわ。
公表…?
あら、やだ。私、癌だってことを売り物にしちゃった。
あ、そっか。
私も癌を売り物にしていいんだ。よし、売り飛ばしてやろう!
「じゃあ、今から言うわ。私、走る」
癌を受け入れてやる。
受け入れてから、追い出してやる。
私、まだまだ生きるんだ。
欲張らなきゃ。
目標をもとう。
駅伝を目標にしよう。
目の前が明るくなった。
三人の仲間が天使にみえた。
走ろう。
走り続けていれば生きていられる。
長く、ゆっくりでもいいから、長く。
坂道を駆け下りてきた奈津江にはじきとばされるようにスタートした。
五区間で一番短い距離。
男女混合チームは女性や小学生が走る区間。
一番短くて住宅街から河川敷をつなぐ平坦な区間。
そこを、一歩一歩確実に走っていく。
中年ランナーや年配のランナーが、次々と追い越していく。蘭子や、秀美や、奈津江が抜かしたチームのランナーたちだ。
ごめん、みんな。
でも、私、必ず襷はつなぐから。
襷を、そっと握る。
私の命綱だ。
離してはならない。
切らしてはならない。
細くても、汗で汚れても、よれよれになっても、つないでいく。
住宅街から、川を見下ろす土手にあがる。
ふらっと風がふき、ふらっと吹き飛ばされそうになる。
だが、幸いなことに追い風だ。
風に転ばされる前に足を出す。
簡単だ。
風が身体を運んでくれる。
がん細胞におかされた華奢な身体を。
夫と二人の娘が寒そうに立っている。
応援しているつもりだろうが、心配そうな顔をして。
大丈夫。
そんなに心配しないで。
ママ、強くなってるんだから。
実際、頑丈になってきているようにイメージする。
一歩一歩すすむたびに、がん細胞が消滅していく様子をイメージする。
がん細胞を打ち負かす元気細胞。
どちらも私の細胞。
私がコントロールしてやる。
負けるもんか。
負けたくない。
この大会が終わったら、入院して抗がん剤の治療が始まる。
苦しい治療だ。
つらい治療だ。
あの言葉にできない、考えたくもない抗がん剤の副作用にくらべれば、このマラソンを走るしんどさなんて、幸せそのものだ。
あの治療をしなくてよいのなら、このままフルマラソンだって走ったっていい。
って、フルマラソンを走ったことないから言えるのだろうけれど。
でも、抗がん剤の治療を受けたことがあるから言えることでもある。
できることなら逃げたい。
抗がん剤治療から。
癌から。
病に侵された身体から。
でも、夫や娘たちと過ごす日々からは去りたくない。
自分だけ去ってしまいたくはない。
もうちょっといさせて。
もうちょっとでいいから。
もうちょっと、そう、あと三十年くらい。
三十年なんて、あっと言う間でしょ?
いいじゃない、私に、あと三十年くれても。
娘たちが伴侶をえて、孫を抱いて里帰りしてくる日まで。
夫が定年退職を迎えて、教え子たちの同窓会によばれて嬉しそうに酔っ払って帰る日まで。
還暦を迎えて、古希を迎えて、あと三十回の四季を迎えるまで。
三十年がダメなら、二十年でもいい。
十年でもいい。
五年でもいい。
三年でも…。
もうちょっと…。
私がここに生きた証を刻ませて。
娘たちに、私がいなくなったあとも強く生きていける道しるべを遺させて。
こうやって、あなたたちのママは生きていたんだよって。
あなたたちのママは闘っていたんだよって。
あなたたちのママは笑っていたんだよって。
あなたたちのママは走っていたんだよって。
教えてやって、娘たちに。
いつまでも忘れずに覚えていてなんて、あつかましいことは言わない。
ときどきは思い出して。
こうやって、走っていた私がいたことを。
再発の告知を受けた日、四人になったランナー仲間で一緒に市役所に行った。
市民駅伝大会の申込書をもらいに。
そこで栄子が闘っていた。
【最終五区】へ つづく