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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 7

7.ねえちゃん
 
陽子が姉ちゃんに会えたのは、8日になってからでした。

学校の防空壕には亡くなった人が積んでありました。
姉ちゃんは講堂で、裏返された畳の上にはだかで寝かされていました。
やけどは9歳の目でみても相当なものでした。
たて半身に大やけどを負っていました。
同じような大やけどを負った人たちと並んで寝かされていました。
兵隊さんが治療にあたっていました。
『兵隊さん、水をください』
と、今にも死にそうな声で言ってる人。
『兵隊さん、鏡を見してつかぁさい』
と、言ってる声は女の人ですが、
顔は真っ黒にこげて、
目鼻もわからないくらい腫れていました。

姉ちゃんもうわ言をくりかえしていました。
『米びつに米がない、米びつに米がない』

幼い妹弟は恐ろしくてそばに寄れませんでした。
その夜、姉ちゃんは亡くなりました。
あまりの大やけどに死んでも当然のような気がして涙も出ませんでした。
祖父が持ってきた大八車に姉を乗せ、比治山の吊り橋のところまで運んで焼きました。
 
終戦は覚えていません。
お母ちゃんの額の傷口はなかなかふさがらず、蛆がわきました。
陽子が蛆をとりのぞき、シーツを裂いて手当をしました。
弟や妹もふきでものが出来たり、
髪の毛が抜けたり、
下痢が続いたりして、
足がたたなくなっていましたが、
助かりました。
 
お父ちゃんが戦争から戻ってきたときは、冬になっていました。
薄い布団から起き上がって迎えました。
お母ちゃんがお父ちゃんに、
『玲子を亡くしてしまった、すみません』と謝ると、
お父ちゃんは陽子を見て、
『玲子はおるじゃないか。陽子はどうした?』と言いました。
なんとなく、長女である姉ちゃんではなく次女である自分が助かったのがいけなかったように感じました。

 次回【陽子の母ちゃん・私の祖母】に つづく

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