母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 15
15.娘
さて、そんなイイ男である夫(どんなイイ男かは前回を)との間に、娘が一人います。
私が原爆資料館で母の被爆体験を講話した年に、大学を卒業しました。
今、社会人2年目です。
被爆2世として活動することを考えたとき、私は娘にたずねていました。「お母さん、おばあちゃんの被爆体験をしようと思っとるんじゃけど、ええ?」と。
娘は小学生のことから私の母、おばあちゃんの被爆体験をきいており、自分が被爆3世であることも知っています。
でも、私が2世であることを公にすれば、娘が3世であることも世間に知られます。年頃の娘のこれからの人生に支障がでたら…と心配していた自分がいました。
そうです、私の母と同じです。
これか。
2世とか3世とかこういうことか。
被爆の影響は子や孫にまであるとは証明されていない。
…と言われています。
そう願っています。
願っていますが、信じちゃいません。
それが事実であろうとなかろうと、
心の中に否定しきれない自分がいます。
自分がそうなんですから、
周囲からそう思われていても不思議はありません。
広島で暮らしている被爆2世の私ですら、
チェルノブイリや福島の名前に敏感に反応することがあります。
職場の同僚に、被爆2世としてこんなことをするんよと話すと、
『ん? どーゆーこと? お母さんのお腹の中におったん?』と、
こんがらがった顔をしていました。
いやいや、そしたら9歳の母が私を妊娠してたことになるじゃろ。
いったい、私は何歳なんじゃい?
そのときは、休憩時間のロッカーで、ジョークまじりの会話となりました。
同僚の頭の中は、被爆2世と体内被爆者が、ごっちゃになっていました。
彼女は私より10歳若く、いろんな知識を持った尊敬できる人です。
広島の人です。
小中学校で平和学習をたたきこまれてきた世代です。
ただ、これまでの人生で、被爆2世という言葉を知る機会も知る必要もなかっただけです。
知らないことは悪いことではありません。
私にだってあります。
何を知らないかすら知らないです。
これだけネットでいろんなニュースが身近に広がっていても、
不思議なことに学べば学ぶほど知らないことが増えていきます。
前回も述べましたが、カリフォルニアのブライアン少年も、
夫も、
この職場の同僚も、
まず知ることから始めてくれて、
私はその一歩を手助けできたことに喜びを感じます。
さて、娘。
娘は私の心配をよそに、冷静に言い放ちました。
「はぁ? 何言いよるンね、いまさら」。
夫や娘をネタにしてあれこれ文章を書くこともある私に振り回されることに、慣れている娘。
あきらめている娘。
つよいです。
ただ、いまのところ、被爆体験の伝承には興味はないようです。
『短編小説1/4 家族伝承』のモデル…でもあるようなないような娘です。
私が初めての講話をした日、
夫は聴講者にまぎれて聴きにきてくれていました。
自分が被爆2世がなんなのか知らなかったことを暴露されたエピソードに、照れ笑いしながらも。
なので、私も「そこにいるのが夫です」と紹介したり。
娘は出席していません。
入手困難だったチケットを手に、
推しのライブに出かけていました。
そりゃ、せっかくとれたチケットですもん。
母親の話をきくより、そっちでしょ。
私でも、そっちを選びます。
かつての私のように、好きなことを好きなときに好きなように。
それでええよ。
いつか、私や母の体験を継ぐことになるか、
まるっきり別の道をいくか、
娘の好きなタイミングで考えてくれればいい…な…。
考えてくれなくても、いいけど。
娘が、その気になってくれたときのためにも、
ここに書き記しておこう…。
娘にとって、こんな母親がウザいことは重々承知の上で。
次回 【母】に つづく