母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~被爆者健康手帳交付申請書閲覧願編⑤

広島市民ではあるけれど、初めて訪れる市役所庁舎。
こんなことでもないと上がることもない市役所3階。
はい、原爆手帳の担当の援護課は3階。
エレベーターホールに立つ。
前にも後ろにもエレベーターが数基ずらり。
『↑』を押す。
『近隣階は階段を利用しましょう』と貼紙がある。
普段の私なら、迷わず階段。
健康のためとかトレーニングのためとかそんなんじゃない。
エレベーターを待つ時間が嫌いなだけ。
待ってる間にあがれちゃうじゃん?って思ってしまう。
バスだって待ってるあいだにバス停ひとつ歩けちゃうじゃん?って。
それで、歩いているうちに、
乗るはずだったバスに追い越されて置いていかれちゃうんだけど。
でも、ここでは迷うことなくエレベーターを待つ。
理由は簡単。
階段であがると迷いそうだから。
迷子にならぬよう迷わずエレベーター。
思考がいろいろ迷ってるぞ、私。

3階に到着。
掲示してある『援護課』の字を頼りに右方向へ。
たどりつく先は…うおー、お役所じゃー。
せまい入口をぬけると、そこはお役所だった。
いや、その入口の手前からお役所なんだけどね。
ひろーい空間に、
ところせましと机やキャビネットが並べられ、
無数の職員さんがデスクについて仕事をしている。
カウンタ越しに手前にいた職員さんと目が合う。
会釈すると、席をたってきてくださった。
ドキドキしながら告げる。
「亡くなった母の被爆者健康手帳の申請を閲覧したいのですが」
「はい、どうぞおかけになってお待ちください。担当の者を呼んできます」
言われるまま、おかけになる私。
でも、お待たせされることなく職員さんがあらわれ、スッと立ち上がる私。
担当職員さんらしい年配の男性(…っても、59歳の私より若いはず)に、
同様に告げる、
「亡くなった母の被爆者健康手帳の申請を閲覧したいのですが」
職員さん、とてもとても腰の低い丁寧な言葉遣いで対応してくださる。
丁寧すぎてもどかしいくらいだ。
必要書類を並べ、身分証明書も出す。
「コピーをとらせていただきますね」
「はい、お願いします」
先ほど区役所で出してもらった『改製原戸籍』は
コピーをとられて返却されてきた。
あら、提出じゃないのね。
「ちょっと、お時間をいただくかもしれないのですが…」
「あ、はい、かまいません。お願いします」
良かったよ、一昨日の仕事前にしていなくて。

しばし、待つ。
視線を落として、テーブルの上に置かれている書類などを眺める。
今現在も手帳申請にこられる被爆者もいらっしゃるのだろう。
黒い雨の認定範囲が拡大したのは数か月前だ。
職員さん、帰ってきた…と思ったら、
ちょびっと会釈して通り過ぎて、背後の小部屋へ。
ちょっと余裕が出てきて視線をあげる。
数十名の職員さんたちが職務についている。
それぞれ机上のPCに向かっていたり、
電話してたり、
数人で小声で話をしていたり。
ああ、ここにいる人、みな、公務員なんだよなー。
ごくろうさまでーす。
ちゃんと税金おさめるからねー。
机やキャビネットは最新式とは程遠い年代物ばかり。
日焼けしたり凹んだりしている。
大切に使われているんだろうなぁ。
新しいのを購入する予算つかんのんだろうなぁ。

職員さん、用紙を二枚手にして戻ってくる。
「これにご記入していただくようなんですが」
はいはい。
被爆者健康手帳申請書閲覧願。
これですよ、これ。
これを提出するために、ここに来たんですから。
「えーっと、お名前と、ご住所と、それから…」
私が記入すべき箇所を、鉛筆でうすく丸印でかこってくださる。
「これは記入例なんですが」
と出されたもう一枚を見ると、赤いペンでそれらが記入されている。
あれ?
もしかして、この記入例を記入していて私を待たせていた?
って感じ取れるくらいピリッとこぎれいな用紙とくっきりした赤字。
あらあら。
ありがたいことだけど、いや、まぁ…、ここは感謝しとこうね。
記入しながらきいてみる。
「もしかして、先日、お電話で対応してくだささった方ですか?」
「え?」
「いや、とても丁寧な対応をしてくださって、とても助かりました」
「あ、いや、お電話はたくさんお受けしますので」
…そうですか。

氏名と住所と必要事項を記入し、
『閲覧理由』を記す欄にたどりつく。
ここは『自分の健康上の参考にするため』と書くとよいと
アドバイスをもらっていた。
これまでの手続きの方法を教えてくださった方からも、
先行して親の手帳申請閲覧願を出したことがある被爆2世の人からも。
でも、ふっと手がとまる。
それでよいか?
正直に書いてみては?
私が書く内容を見守っていた職員さんにきいてみる。
「母の被爆体験の伝承をしているのですが、
 その参考のため…でもよろしいですか?」
「はい、本当の理由をお書きください」
おお。
先にこれを経験された方のあと、
閲覧願を受理されるほうでも変化があったのかもしれない。
書く。
『母の被爆体験伝承の参考にするため』
うん。
嘘偽りない。
確認して職員さんに渡す。
「では、少々お待ちください」と席をたってから、
ちょっと思いとどまった様子で、
職員さんが申し訳なさそうに付け足した。
「お渡しできるものが、あまり参考になる内容ではないかもしれませんが」
「あ、はい。大丈夫です」
新たな内容が書いてあると期待は抱かないようにしている。
紙切れ一枚だと覚悟はしている。
「お願いします」

しばし、待つ。
しばし。
職員さん、先ほどより短い時間で戻ってこられた。
とても恐縮される感じで。
「すみません、あの、閲覧の理由なんですが、
 手続き上、ご自身の健康上の理由と書いていただきたく…」
ああ、そうですか。
やはり、そうですね。
だからきいたじゃないですか?とは問い詰めず、素直に従う。
「二重線で消して書きなおせばよいですか?」
すでに30センチ物差しを持っている職員さんにきいて、
それを借りる。
しゃーっと自分の字に二重線をひいて、
下に『自分の健康上の参考にするため』と書く。
さすがに、ここで、突っぱねる理由もない。
職員さん、ひたすら申し訳なさそうに頭をさげて、席をたっていく。

今度は、なにげなく、その後ろ姿を追ってみた。
机とキャビネットと人々の間をくぐりぬけ、
ひとつのグループの島へ歩いていく。
たてながに机が並べられた島の一番上手に座る女性に書類を出している。
あの人が決済印を押す課長さんなのかなぁ。
女性が受け取り判を押す。
ああ、やっぱ、そうだな、あの人が課長さんだ。
職員さん、返却された用紙をもってこちらへ戻ってくる。
目の前を会釈して通り過ぎて背後の小部屋へ。
その小部屋はなんなんだい?
コピー機とか印刷機とかあるんだろうな。
それは、きっと最新式なんだろうな。
市民から見えないところだもの、
きっと、お金がかかるものがおかれているんだろうな。
余裕がでてくると、嫌な市民になりさがる。
いや、なりあがる、か。

そんなことを考えているとは想像だにしていない職員さん、
数秒後に、その小部屋から戻ってきた。
「すみません、こちらになります。
 やはり、この年に受理された申請書は…」
最後まで述べられもせず、A4サイズの用紙が一枚、手渡された。
そう、一枚。




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