『30歳のB'dayに』一話完結☺短編小説
その日は、私の三十回目の誕生日で、そして、私は彼のお墓参りに行った。
「お前が三十歳になったら、教えてやるよ」
半年前にあいつはそう言って、その次の晩、酔っ払い運転の車にはねられて死んでしまった。
人が、こんなにもあっさり死ぬものだとは信じられなかったから、当分のあいだ、私はそれを信じないでいた。でも、結局は信じざるを得なかった。だって、文句を言おうにも、当のあいつが一向に戻ってこないのだから。
半年前。
年下のあいつの二十六回目の誕生日。
あいつは自分が若いことをさんざん誇示しておいてから、生意気にも言ってみせた。
「お前が三十歳になっても独りだったら、俺が嫁にもらってやるよ」
「なによ、それ、プロポーズのつもり?」
あいつはふふんと笑って、鼻から煙草の煙を出して答えた。
「お前が三十歳になったら教えてやるよ」って。
おーい。私はさんじゅっさいになったぞ~。
あいつのお墓に向かって叫んでみた。
聞こえてんのか~、この、あんぽんた~ん。
返事はかえってこない。
煙草の煙は線香の煙になった。
「お前の結婚式には葬式の花を送ってやるわい」
喧嘩して負けそうになると、あいつは必ず、そう言った。
「ふん、あんたの結婚式でもあるのに!」
私も負けずにそう答えた。
悔しいけれど、私はあいつと結婚するものだとばかり思っていた。
あいつもそう思っていたに違いない。誰もがそう思っていた。ただ一人、酔っ払い運転の神様をのぞいて。
結婚式に葬式の花を飾ってやるとは言ってたけど、葬式に結婚式の花を贈るわけにはいかなかった。結婚でもしていれば、お葬式のあいだ、黒い服をきて、棺桶の一番そばに居座って、涙を流していることだってできたのに。
でも、三十歳になっていなかった私にできたのは、参列者として登場して、あいつにお線香をあげて心の中で「おたんこなす」と叫ぶことだけ。
結婚さえしていれば、遺された可哀相な新妻にもなれたのに。三十歳になっていなかったばかりに、かつての女友達と過去形に甘んじて、家族の前から消え去るのみ。
なんだか、不公平だぞ、おおばかたれ。
お墓に白いブーケを供えてやった。
へへ~ん、ざまみろ。
舌を出す。
そしたら涙もでてきた。
ちくしょー。
あいつと一緒の見に行った映画が地上波で放送された。
なんて、世の中は早く、そしてせわしなく動いていくんだろ。
最後の喧嘩の種にもなった映画だったのに。どうして、主人公がラストシーンで復活するのか、もめた。結局、もめたまま、決着つけずに、あいつはとっとと逝ってしまった。 映画の主人公が復活したんだから、あいつだって復活してみればいいものを。いや、待てよ、主人公復活論を正当化していた私の論理を裏付ける結果になるから、意地張ってんのかな。
おーい、もう、怒んないから出てこいよ~。
もう、姉さん風もふかせないからさぁ。
だいいち、卑怯だぞ~。私より三つも若いくせに死ぬなんて。
もう少し、苦労してからだって遅くなかっただろー。
いつまでたっても、二十六歳のままなんて。私との歳の差が開く一方じゃないか~。
墓石の裏に回って「享年二十六才」と彫られた字を見つける。
「二」にマジックで一本、線を書き足す。
三十六歳。
へへ~ん、おっちゃんや。
笑ってから、あわてて、その一本を消す。
あいつは三十六歳になっても、若くてかわいかったに違いない。相変わらず向こう見ずで、そんでもって負けず嫌いで。大好きなくしゃくしゃの笑顔で。
指が黒くなる。
ごめんね。
出会った日は、一緒にインド料理を食べた。食べ終わってから、二人とも口から火を吹いた。
師走の町は人がうようよしていて、よろけるふりしてあいつにしがみついた。
一緒によろけた。
気が抜けた。
その日、クリスマス・バーゲンで、私は目覚まし時計を買って、あいつは靴を買った。茶色の革のトレッキングシューズ。
「仕事用?」と尋ねたら、「全部。冠婚葬祭以外、ぜんぶ」と答えた。
ますます気が抜けた。
そして、それが気にいった。
次に会った時も、その次も、あいつはその靴を履いていた。次の誕生日に私が同じ靴をプレゼントするまで。
そして、おニューの靴を履いて、あいつは天国に翔っていった。
最後に一緒に何を食べたのか、どうしても思い出せない。一日だけ、記憶がぽっかりなくなっている。あいつが持っていっちまったに違いない。
返せ、このやろ。
かえってこい。
お腹がすいた。
そう感じたのは、あいつがいなくなって今日が初めてだ。
だから、思い出した。
きっと、カツ丼だ。
最後に一緒に食べたのは。
また、カツ丼食べたくなったから。
そう、思う。
十二月の冷たい空気の中で、ゆっくり、ゆっくり時が流れていっていた。
「三十歳になったら、教えてやるよ」
何を教えてくれるっての?
立ち上がって、お墓を見下ろす。
おたんこなす。お前が幸せにしてくれなかったから、私はさっさと幸せになるも~ん。もう、教えてくれなくたっていいも~ん。
強がりなんかじゃないもん。
ぷっぷ~。
クラクションが鳴る。
迎えにきた赤いスポーツカーに飛び乗る。
運転席には、今時の茶髪の彼氏。
やっっほ~い。
悔しかったら、生き返ってこ~い。
お墓の下から、ぞんびの手が出る。
了