母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~被爆者健康手帳交付申請書閲覧願編⑥

紙切れ、一枚。
わかっていた、一枚。
思わず起立して両手で受け取る。
卒業式か、私?

横向きに印刷されたA4サイズの用紙。
右半分に『被爆者健康手帳交付申請書』とある。
昭和30年代っぽい活字。
そこに当時の母の本籍地と居住地と氏名、そして生年月日が記されている。
母の字だ。
日付けは昭和32年6月9日。
受付印は同6月10日。
9日に自宅で書いたものを10日に祖母が市役所に提出したのだろう。
判読困難なメモ書きのような文字がいくつか。
左半分は「証明書(申立書)」とある。
被爆地と氏名が母の字で記されている。
日付けはなく、二人の証明人も記載なし。
しかし、その欄を隠してコピーされたようにも見える。
それは個人情報になるからなのだろうか。
誰が母の証明人だったんだろうか。
祖母か? 叔父か? 近所の人とそれぞれ証明しあったのか?
それとも当時は証明人は不要だったのか?
この年に申請された手帳は莫大な数だったときく。
それでも比較的スムーズに発行されたとも。
後年になるほど2名以上の証明人や、
それまで申請していなかった理由などが必要になってきたともきく。

「こちらでよろしいですか?」
余韻にひたっていると、職員さんに尋ねられた。
「あ、はい。お忙しい中、お手数おかけしました。ありがとうございます」
お世話になっている市民らしく挨拶して席をたつ。
「お忘れもの、ないですよね? すべてお持ちですか?」
身分証明書、母の原爆手帳、あれこれあれこれ…。
「はい、大丈夫です」
一緒にまとめてクリアファイルに入れる。
席を立つ。
お辞儀をして部屋を出る。
出たところで、カバンにクリアファイルをしまう。

市としては、今、できるせいいっぱいな対応なのだろう。
感謝…しておく。

帰りはエレベーターを待たずに、階段を使った。
省エネとか体力作りとかじゃなく、視界に入ったから。
とことこと降りる。
1階…と思ったら、地下じゃん。
通り過ぎた1階へ戻る。
明るい外の光が私を呼んでいる方向へ足を進める。
外へ出る。
…えーっと、どこ?
ここ、どこ?
入ったときとは違う出入口に出たようだ。
おっきな建物はいっぱい出入口が仕掛けてある。
むー。
どこよー?
きょろきょろして、とりあえず、大通りだろうと思われる方へ向かう。
早速、迷子だ。
新しい情報はなかった。
でも、また、母の字に会えた。
二十代の母の字。
今の娘と同じ年頃だ。
私が海外をふらふらしていた年頃だ。
娘と同じ、母、しっかりした二十代だったんだな。
きちんと税金おさめていたんだな。

自宅に帰って、コーヒーをいれ、持ち帰ったコピーをじっくり眺める。
ん?
申請・受付は昭和32年
しかし、手元にある母の手帳の交付は昭和37年。
んん?
住所や苗字が変わったから新しく交付…され…た?
そんなことってある?
じゃ、申請から交付まで5年かかったってこと?
いやいやいや…。
もー、なんで、母さんが死ぬ前にちゃんときいておかんかったんよ、私!

2025年はこの調査の旅にも出るか。
迷子から始まる旅だ。
いざ!



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