少し・いいこと
今年6月に出版した「哀傷」という書籍を出版して販売冊数も好評につき、色々とコメントや感想を頂いてとても嬉しく思っていました。
この12月になり、きらめきぷらす WEB MAGAZINE の編集長・細田様より寄稿のお声かけを頂いて、恐れ多くもお誘いをその場で受けてしまい増した。
少しぐらいは考えてみたらどうか、普段の私ならば、お時間くださいなどと、かっこつけた言葉でもって、返事の引き延ばしをしてみるのが普通です。
おそらくだが、長いお付き合いの筆友さんにDM をするか、お電話をして相談してから答えを出すのがいつものスタイルなのだが、最近かなり、気が短くていけない。反省するところは日常生活でも多いが、今更ごめんなさいなとど言えるはずもない。
皆様良くご存じのGッターズさんの占い本によると、なんとまあ、私は今年から、来年にかけてこの12年の中でも、最もいけている歳に当たるとの
ことで、調子に乗ってしまった。
元々短気で、お調子者の気質も持ち合わせている。
勢いだけで、動いている毎日。
学生の頃から、先生や同級生に押されてやりたくもない、学級員や生徒会役員などを中学まではやってきた(立候補ではない)が、どれもこれも本意ではなかった。
そのためなのか、その前の性格的なものなのか、人前で話しをすることは特別に苦手ではない。母方の遺伝だろう。祖母も大きな声で良く話す人だった。私も叔父に言わせると同じ声で、よくしゃべるそうだ。
相方によると、私の祖母にできれば会ってみたいとのことで、これが馬鹿にされているのか、興味本位なのかはわからない。
と、いうことで初めて小説を発売して数年が経過して、文章を書くことをお仕事として所望されることになり、夏以降にはなんと、短編集の電子書籍の発売もしていただけるということで、ありがたすぎて、夢ではないかとほっぺをつねるまでもない。
満身創痍のこの体、先週から腰痛で整体院に通う日々、今日は美容鍼のトライアルに大金をつぎ込んではいるが、さほど美しくもない顔は年齢相応に傷んだままで、鍼は痛い。
京都の二条城付近に飛び出した途端に、左目をまた緊急手術して入院するまでの下りは既にお話しましたが、激動の今年も、残すところ、僅か。
来年はどんな歳になるのでしょうか?
運命のサイコロはもう既に振られたのでしょうか?
皆様にとって、コロナ禍からの解脱になりましたか?
私は辛い別れがありました。網膜剥離という眼病で残された左の目も、剥離の修復手術と同時に白内障の手術をして、自分の生まれ持った目ではなく、HOYAの人工レンズを通してものを見ることになったのだ。
右目は自覚症状はなかったけれど、剥離は3カ所穴が開いていた。それが一年半前のことで今回は網膜が垂れ下がっていて、視界の三分の一は見えていなかった。自分でも、これはまた手術と入院だ! ということはわかりきっていた。だが、医療関係者、送迎してくださったタクシードライバーの
皆さんのおかげで、こうしてPC が使える訳だが、今までの辛いことや、嬉しいことなどまでも、一緒に見てきた目の一部を失ってしまったことに、とても落胆した。
視力も戻って来ているが、自分が照準を合わせているところのみで、それ以外は以前のようには見えていないのだ。それは慣れていくことなのかもしれないが、今は歩道と車道、建物の段差でさえつまずく。
かなり情けない。くよくよと、考えて何でこんなことにと思う。
キップの良さが自分のかっこいいところだと、勝手に思い込んでいた。
なんだ、普通の女じゃない。
どこにでもいる、つまらない女の独り言。
こんな感じで毎月連載してもよろしいのでしょうか?
物書き、ここに至れり。
書くことを生業として、この先は邁進致したいと思います。
どうぞ、これからも応援よろしくお願い致します。
了