日本の教員の複業解禁したい。その熱量はどこから
どうも!先生の複業について日本で一番詳しい者です!
先日ZOOMで教員経験者の方から
「前田さんは先生の複業解禁のために色んなことをされていますが、その熱量はどこから来るんですか?」と聞かれました
自分でも「なんでだ?」と思ったので考えてみます。
その化粧はね、とらないといけないんだ
最初に思い浮かんだのは僕の教員生活のトラウマと言ってもいい場面です。
ある日担任をしている生徒が学校に化粧をしてきていました。
他の先生が気付き、担任として「指導」をしなければならなかった。
当時学年の生徒指導担当だった私は、立場上放置するわけにもいかずその生徒を「指導」しました。
化粧をとるよう、僕とその子の間でできかけていた信頼関係のバロメーターをガシガシ削りながら説得したわけですが、これがもう本当にイヤで嫌で…
僕はその子が様々な事情を抱えていることも知っていましたし、それが影響して肌荒れし、それを何とかしたくて…というのもあってお化粧してきたのではないかと推察していました。
彼女は涙目になりながら訴えるわけです。
「なんで学校にお化粧してきたらダメなのかわからないです!」
これがなんとも切なくて、
ああー僕はダメな大人だ。
大人たちが守ろうとしている「学校」をこの子に押し付けて、この子に折れさせて口八丁納得させようとしている。
これは今でも忘れられません。
本当に頑張り屋さんで良い子だったのに。
自立していないのは自分なのでは?
決まりだから、仕事だからとそんな説得しをしましたが、本当に自立していないのは自分自身なのではないかと思ったのです。
本当にあの生徒の心を大切にするなら、正しくないと自分が考えるなら、学校生指やら校長やらPTAやら、関係する人たちに対して何かしらのアクションを起こして、行動を起こすことはできたんじゃないかと。
でも僕はそうせず、あの生徒の尊厳を優しく曲げてしまったわけです。
本当に自立していなかったのはルールを守れないあの子だったのでしょうか。
それとも、教師として働いているから…と立場や風土に言い訳を求めて彼女を守らなかった僕なのでしょうか。
日本の学校と、社会と、見えない生き辛さ
僕は自立できていない人でした。
良くないと思ったことを、制度や決まりを言い訳にして放置する。
なんとかそれに合わせて生きようとする。
まずもって学校のこの雰囲気はどこからきているのかと考えたとき、僕は先生たちの自立のしていなさ、他責思考にあるのではないかと思いました。
これは先生たちにも世の中を広く知ってもらわないといけないと。
でもよくよく色々と調べ動いていると、そう生きざるを得ないシステムになっているようにも見えます。
先生という職業は立場が難しく、世の中にも出にくい。
また、もちろん副業などはかなりやりにくい構造になっているので学校の中に閉じこもりがちなわけです。なんせ僕がそうでしたから。
忙しすぎて消費税増税を生徒に教えてもらいました。
ところで唐突ですが、教員を退職する前は転職活動もしました。
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